小さくなって帰ってきたマノン
今朝 延命地蔵さんに マノンをお迎えに行ってきました
粉になって 小さく小さくなってしまったマノン
お腹のふわふわした毛をひとふさ ガラス瓶に入れて
わたしと夫のぶんのカロートキーホルダーにも お骨のパウダーをいれていただきました
家中 くわえて持ち歩いて もみもみしていた 私の古いセーターは ボロボロです
副葬品に入れていただけないので 形見として保管します
だけど ボロボロだから どうやって 永久保存できるだろう
ちびマノンは
おおきなジジ君に遊んでもらいながら 育った
おおきなジジ君に負けないよう あたしもおっきくなるの! とばかりに
もりもりご飯をたべて 女の子なのに5kgにもなって
まんまるだった
あんなに一生懸命
おおきくなったけど 車には かなわなかった
マノンが死んだ
マノン 2015年6月~2019年8月26日 朝
わたしの目の前で 車にはねられた
追いかけたけど間に合わなかった
それとも追いかけたからますます走ったの?
30kmぐらいだったのか それ以下だったのか
うちの目の前の道は 住民以外の車の通り抜けがほとんどないため
あまり車どおりがないのだ
それなのに きのうに限って きのうの10時ごろに限って
1台の車の音が それなのに 隙を縫って 飛び出して行ってしまった彼女
車の怖さもしらず 車を避けて走り抜けられると思ったのか
車も急ブレーキといえるほどのブレーキの速さでなかった
前輪にあたった
スピードがないから ぽんと強く跳ね飛ばされる感じでなく
低く からだが 回転した
パニックで逃げようとした ところに 後輪が
また 回転した
ふわりと ゆっくり スローモーションで
なんども そのシーンが繰り返される私の頭のなか
後輪にあたったときには とどろくような絶叫をわたしは 叫んでいた
車は しばらく停車して でも運転手が窓から顔を出すことも 降りてくることもなかった
ナンバーを控えるとか 運転手になにかいうとか そんな余裕はなかった
マノンは 後輪でもんどりうったあと そのまま ものすごい勢いで 家の前の階段を走り上がり 家の裏を半周逃げたところを やっと追いかけて つかまえるのに 必死だった
いつもの足取りに見えたんだ
足をひきずっているわけでもなく
そして どこにも外傷が見られなかったんだ
血は なかった
女の子だけど 体重も5キロあって 立派な 骨太な子だったんだ
わたしはパニックになりながら 血がない 怪我してないのだけはみとって
とにかく どこを打ったかわからないから 精密検査してもらうんだと
マノンをキャリーに無理やり入らせ バッグをひっつかみ
車10分ほどの いつもの獣医に 急いだ
まんなかすぎたぐらいで 1度 「ギャアッ」 てマノンが悲鳴を上げた
「おねがい もう少し もう少しでつくから頑張って」と声をかけながら急いだ
もういちど 悲鳴をあげた
そして もぞもぞ中で動くのがわかった
必死だった 必死で声をかけながらアクセルを踏んだ
目の前をずっとふさぐ 遅い車にいらつきながら
だけど私がここで事故っちゃ最悪だと思いながら
病院について 横付けして 受付にキャリーごと渡して はねられたこと伝え
駐車場に車を置いて走って病院に戻り 「状況は?」ときくと
2Fで 緊急措置中という。
案内され 沢山管をつながれたマノン を見ても まさか そんなことになってると思わず
状況をきいたら
「心肺停止です」
耳をうたがった
シンパイテイシ?
わからない 何だそれは
ありえない
ありえない
なにを言ってるのかわからない
走ってたよ?
怪我してなかったよ?
さっきまで動いてたよ?
なにそれ? シンパイテイシって なに? どういうこと?
心臓も呼吸も グラフが そこに何の動きも示してなかった
必死で心臓マッサージを続ける医師
口に挿入された酸素の管
心臓を刺激する薬と 呼吸中枢を刺激する薬の投与
薬に 心臓だけが反応し 無理やりだけど心拍が再開した
だけど呼吸がどうやってももどらない
瞳孔は完全に開き なんの反応もない身体
きれいな毛皮 血もついてない
どうして? 何が起こったの?
脳の呼吸中枢がダメージ受けてるかもしれない、という言葉
でも人間じゃないから 人工心臓や心肺装置つけながら 開胸手術だのMRIだの できない
人間だったら救急車にも いろんな設備あるし
人間だったら同じ状態でも 助かったのかもしれない
1時間半経過して 薬にも心臓がだんだん反応しなくなり
わずかに死後硬直の兆しが出てきたといわれ
もうだめなのだ もうマノンは返ってこなかった という現実を目の前に
呼吸器を外してもらったのが午前11時過ぎ
管を外したら 口の中に血があることがわかった
気道から出血があったらしい。 肺で出血していたかもしれないといわれた。
やがて心臓も停止。

エコーだけ みてもらったが 腎臓もとてもきれい、肝臓も脾臓も なにもかもがいうことなく綺麗
人間なら 臓器提供できる状態だった
頭をひどく打ったのか
じゃあ なぜあんなにしっかりした足取りで走ったの?
「事故直後は全身でアドレナリンなどが沢山出るので 」
「もしくは ショック性の心肺停止のことも」
わからないわからない
交通事故で足切断の大けが
あるいは半身不随になって でも命は助かった
そんな話をたくさん聞くのに どうしてマノンはマノンは どうして神様はこんなに健康で丈夫なマノンに 1%でも チャンスをくれなかったのだ
しかもすぐに医者に連れていけたのに
私のミスだ
私の管理が甘かったから 飛び出した
室内飼いの我が家だけど 一戸建てで 庭があるので
リードをつけて お庭で草をたべたり私の庭作業の間 昼寝したり幸せそうに何度も過ごしていた
災害で迷子になった時や 避難所にいったときも
一歩も外に出たことない子たちが味わう苦労を見聞きしていたから
人間の監視つきで家の周りだけでも慣らしておこうと思ってもいた。
なによりマノンが幸せそうだった
生き物に生まれて 肉球で地面や草に触れることや 木陰や風を味わう
五感の幸せの真似事だけでも 体験させたかった
知っている
リードつけてだろうが 一切 外の土など踏ませてはならないという意見のことも
自由に出すなんてもちろんありえない
室内飼いとの わずかな折衷案のつもりだった
その甘さが 招いた悲劇なんだ
管理の気の緩みがきっとあった
私のせいだ 全部 わたしのせいだ
マノン ごめん
マノン 怖かったね びっくりしたね 痛かったね
ごめん マノン
今の私は家の中も辛く庭を見るのも辛い。
年齢的に子猫は最後だね、といって いくつもの団体に照会して
夫が希望する「茶トラ」と 私が希望する「尻尾の長い女の子」 の条件の なるべく幼い子
できたらミルクの子 と 探し回って出会った子だった
離乳すれすれでうちに来た天使。

健康で長生きできるようにと、 これまでの猫飼育の反省から
離乳食から ヒルズのドライをふやかして食べさせ 一般の会社のフードの味は覚えさせないで大事に育てた宝物
甲斐あって 成猫になっても 素直にヒルズのフードを食べて
これなら 年を取って腎不全とかなっても スムーズに療法食にできるねと。
健康そのもので 幸せそのもので
先住の1匹 ジジととてもとても仲良しで
いつも一緒にじゃれあっていたし
朝晩ジジが投与されるサプリのあとにご褒美で少しだけもらうパウチを
一緒にもらいたくて 並んで仲良く 舐めあいながら 待ってる姿が 焼き付いてる
今朝は ジジだけ。 お皿もひとつになった。
マノンが食べていたカリカリのお皿が切ない
マノンが気に入って 毎日 遊んでいた シャカシャカトンネルは すっかりよれよれになって
今年の冬は新調してあげる予定だった
玄関先で もふっとした姿て座ってお出迎えしてた
階段の途中の段をふさいで 寝ていた
人がトイレに入ると 追いかけてきて ドアの隙間から 遊びたがった
のんきでのほほんと へそ天で幸せそうに寝ていた

そうだ
昨日の 朝食の時間もそうやって
遊んで遊んで ぐしゃぐしゃになった敷物のヒダを枕に ジジと一緒に床で寝ていた
そしてそのあと 私に遊べと誘いに来て おもちゃで遊んで・・・
そして
一瞬の惨劇が
昨日まで と 今日を 異次元のように分断する
まるで 道を歩ていた私に 誰かがすれ違いざま 刀を振り下ろし 一瞬で 腕が切り落とされてなくなってしまうように
あるいは 振り向きざま 硫酸を顔にかけられてしまって目も顔も失うような
突然 両足がなくなるような
信じられない
あってはならないことが起こった
神様などはいないのだ
8年前(2011年) 愛猫2匹を腎不全の介護の末に 失ったときも 心身衰弱しきって ロスに苦しんだけれど
病気で長い介護の末 失う苦しみと
10分前まで 完全無欠の幸福だったものを 失う苦しみって
どちらが強いってことじゃなくて ベクトルが違うものなんだなと 思い知ってる
昨夜 いつも世話になっているシッターさんがお花を持って駆け付けてくれて
お通夜になった
今朝9時過ぎに 8年前にもお世話になった 近隣の 平和メモリアルさんに
お庭のお花をたくさんと シッターさんの花束で埋まった マノンを 連れて行った
マノンのあの可愛い表情で 寝ているようにしか見えない むくろ。
あの ふかふかのお腹、 ふわふわの尻尾
死んでも可愛いマノン

ぎりぎりまで きのうは いっそ剥製にしたいと思い詰めた
それほどにあまりに美しい無欠な姿だった
なぜこんなに無傷なのに死ぬの?
毎年沢山の子猫が里親に出会えずにいる中で
お前はとても早期に 幸せな家族を手に入れた 一番幸運な猫じゃなかったの?
なぜ 8月26日なの?
なぜ その日に限ってなの?
どうしたらいいかまるでわかりません。
どうにもならないこともわかっている。
死んだ我が子(マノン)のために きのうの午後と
今日の朝 緊急で仕事を休んだ夫が
出勤したあとのからっぽの家の中が 辛すぎる
泣き叫ぶこともできない夫の辛さ
そう。 私もだけど 夫はマノンを溺愛していたのだから。
まのたぬ、まのたぬといって 毎日がどれだけ幸福だったか
それを私が奪った
私が
私が
そして 目の前で見てしまった恐ろしい映像は
何度でもフラッシュバックして私を追い詰める
私は知っている
こういうのは 何十年たっても消えない
心の傷になって ずっと私を苦しめ 責めさいなむのがわかっている
階段を上がれば 「あの段で寝ていた ここで寝ていた
一番上から 見下ろしてた ここにちょこんと座って帰ってきた私を見ていた」
洗濯ものを干せば ベランダで気持ちよさそうに寝ているマノンの幻影
2Fにあがれば 遊んでくしゃくしゃになったカーペットと 散乱するおもちゃと
いつも 大好きだったシャカシャカトンネルが目に入る
あそこで 寝ていた
あそこで 朝のお遊びタイムは背中を弓なりにして 私を誘った
ヒルズのマノン用のカリカリは 食べ残したままだ
遊んで帰っていたら いつものように 美味しそうに大切に音を立てて食べたろうに
食事をするとき テレビと私の間に座って 字幕がいつもみえなかった
焼き魚があると テーブルにあがって 注視して
なにをするでもなくても 人がいると 食卓の向こう側で 寝てみたり
人のそばが好きで
夜は 寝室のベッドを占拠していた
朝は 窓際に座って外のスズメをずっと眺めていた
ベッドから追い出されると 床で伸びて寝ていた
毎朝 クローゼットの扉の前で 着替える夫の足元に絡みついてじゃれていた
音楽室の窓から外を見ていた
私が練習しているとき カタンと猫ドアをあけて入ってきて
目の前で毛づくろいをしていた
そのうち 寝てしまったり
家中の幻影に 泣き叫びながら マノン、マノンと呼びながら
血を吐くみたいに床にはいつくばって 過ごす日々
胸がいつも 鉛でふさがって
手も足も力が入らないまま
返ってこない あの日々は二度と帰ってこない
私のせいで 私のせいだ マノン ごめん
夫よ 夫よ

家のどこでも マノンの残像と語り
その次の瞬間に かならず あの恐ろしい光景が嫌でも頭を覆うのです
ふわふわマノン
もふもふマノン
そのやわらかい身体が ゴムまりのように 回転する光景が
2回も車輪にあたり くるくる回りながら走ってゆく映像が
恐ろしい 恐ろしい 恐怖とともに 何度でも
<8/30追記>
「幻肢」というのがある。
切断されてもう存在しない手足が痛いなどと感じるやつ。
そんな感覚だ。
マノンの鈴の音がする。
カタリと猫ドアを開ける音がしそうな気がする
3匹いる子 どの子も 音が違うのだ。
だから 「あ これはマノンだ」 とわかる
カリカリを食べる音だって 聞き分けられる。
HDDの中の 猫画像を 整理していた。
だけど マノンが来た 2015年 ミミが死んだ年
そこから先は 手つかずだ
インスタも観られない
やっとの思いで 手元の画像の一部だけ ここに並べた
マノンはいない
二度と あの感触は戻らない
ベッドで寝ているときに 足の上に乗られて 脚で持ち上げてどかせた感触
ジジは 探しているのか何なのか やたらと よく鳴くようになった
遊び相手 仲良しのマノンがいない日が続いて だんだん 奇妙に感じているのか
だけど 通夜の時に遺体を見ても 逃げてしまったのに
マノンの幻影に 語りかける
そのうち かならず浮かび上がる事故の映像
叫ぶ
突然 手足のちからが抜ける
音楽を聴くとか 本を読むとか そういうことができない
一瞬でも この悲惨なできごとを 忘れる瞬間があっては許せない という きもちか
それでも 約束していた レッスンが きのうあり
なやんだ末 車ででかけた
どうしても襲うフラッシュバックで 涙で前が見えなくなる
このまま死んでしまいたいと 何度思ったか
理事長に 事故のことをうちあけた
しんみりと会話した
理事長は 12歳のときに可愛がっていた子犬を 目の前で車にはねられ失って以来 犬を飼えないのだそうだ
一生忘れられない痛み
なのに どうして私は取り返しのつかないミスをしたのだ
後悔しても時間は戻らない でも ずっと自分を責め続けるだろう
激しい痛みとともに
1日 1日 それは 「固定された 二度と戻らない過去」 に変わってゆく
辛い
夫は何を思うのだろうか
何年も前になるが A君の事件をいやでも思い出す
A君には 一緒に暮らす女性がいて 一緒に暮らす2匹の猫がいた。
マンションの7階だかに住んでいて ベランダに猫を出さないよう気をつけていた
ある日のよる 彼女が洗濯物を夜に干す時に
若い方の猫が すり抜けてベランダに出た
それに彼女は気づかず 窓を締めた
A君も 気づかないまま 夜が明けた。
管理人からの連絡で 転落死した「我が子」と対面する
通夜のような辛い日が続いたことだろう
今の我が家のように
A君は 彼女を責めてしまった
彼女のせいだと恨んだのだろう
そして 次の大きな悲劇が起こった
彼女は ある晩 猫の落ちた同じ場所から
夜空にダイブしたのだ
打ち明けられた時のわたしのショックを思い出す
だけど そのときの彼女は まさに今の自分なのだ
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マノンが大好きだったキャットミントの茂み。
うっとりして よく この中で寝てしまった。
棺の中に マノンの顔を埋めるように入れてやった
やる気も覇気もない春
なんだろ このダルさ・・
何をやるにもまるで覇気が出ない今日この頃。
ひたすら猫とだらだら過ぎる時間。
正月明けに2年越しで準備してきた演奏会が終わって以来、
ずっとこんな感じです。
一言でいえば「目標を完全に見失った」ってやつ?
空の巣症候群、ってのありましたねえ。 似てるかも。
去年も一昨年も3月下旬に 柄にもなくコンクールなんてものにチャレンジしてまして
2月も3月もキチガイ沙汰の練習詰めだったんですが
今年は「3年連続もどうかと思う」ってブレーキがかかってしまい、申し込まなかったというのもあります。
4月になれば 本業が始まってそれに備えなければね、ってのもあります。
正直いって去年なんかも、3月末ぎりぎりまで本業の準備がまるで出来ず、「あんまりよくないなーこういうの」って危機感は持ってました。
たかが「アマチュア」
「たかが趣味でしょ?」と言われがちな立場でやる音楽。
正直、この辺かなりのジレンマですね。
とことん行こうとしても、ものすごい孤独な立場になります。
ゆるゆるやるのでないとアマチュア界の中での居場所が作りにくいし、
かといってどんなに全力投入しようが、音大系の方たちの世界にも決して居場所はできません(師匠を含みます)。
どこにも居場所がない、そういう切なさがあるんですよねー。
師弟の絆、っていうのも音楽専門の道に行った方たちのようには築かれることは決してありませんしね。
ほら、あっちの世界って友達見てても、師匠は「親」そのものだし、親子の絆のような強いものを感じるので、それは常々 ほんとに羨ましい。
でもねー。
アマチュアの生徒にとっても 「先生」っていうのは 「親」 で、究極の心の拠り所なんですよね。
本番の時 先生が聴いてくれるとそれだけで頑張る。
小学生が、運動会に親が来てくれると張り切る、ってやっちゃね。
いい年のおじさんおばさんだとしても、そういうもんだと思います。
けなげやね、、、、、、 (涙)
親子参観に親が来てくれなかったら 死にたくなるほど落ち込んだりするじゃないですか? 子供って。
自分には価値がない! 親に愛されてない! って(笑)
一緒、一緒!
何歳でも変わらないんだよなー。
まあ 徒然 思いついたことを書いたけど 日が暮れちゃった。
無為に一日が過ぎる・・
ちょっと鬱気味ですかね。 最近。
無為に一か月やり過ごせば、お仕事が始まって、自己肯定感を取り戻して頑張ることでしょう。
40年前のパワーがもう一度ほしいと思う 暖冬の春先でした。


















































