アマヤドリ -295ページ目

no title

生きてるって不思議。

なんだか突然そんなことを思った。

別に絶望しているとか、今が楽しいから未来が怖くなったというわけじゃない。
ただ漠然と。

生きてることを不思議だなと思う。



ほんとうはすこし、多分気持ちが重い。理由はわかってる。どうしようもないこと。これ以上私にはもがきようのないこと。多分わかってもらえないこと。

このまま手放さなきゃいけないのかな。でも以前よりは手放せそうな気がしている。
...てばなさなきゃ、と言い聞かせている...意識的に。
進歩している。

だって。

頑張りたかったけれど...




海鳴りが遠くなっていくのを、私は懐かしく見送る。

哀しいんじゃなくて、そう、懐かしいんだ、って思えるのはいつのことだろう。

それは来る。知ってるから大丈夫。



ただ…
大丈夫、って知っているからってそのことで今の感情を見失っていないか...それが恐いかもしれない。
故意に消している部分があるのは知っている。
怖いのは知らない部分だ。
扉の向こうの。

でもね。



吐き出すままに動けたのは、怖さを知らなかったからじゃない。あの時だってとてもとても怖かった。

じゃあ何故...かな。

天井に映る街の灯を瞳に映し

ヨガで大量の汗をかいたせいだろう、心地よい疲れ。
それから昨日の昼からちゃんと食べてなかった。だから夕飯はもりもり食べた。うどんすきと枝豆と揚げだし豆腐とカツカレーと湯豆腐。…どんな組み合わせだ。最近食卓はこんな風に雑多だ。たぶん、もう私たちが食育の時期を脱したからなのだろう。

食育って大事。
一生その人の人生に関わってゆくことだもの。
だから以前お仕事で行った小学校の給食が本当に不思議だった。あれを考えた栄養士さんは、飲む両親のもとに育ったにちがいないと思う。メニューがつまみみたいなんだもん。組みあわせもおかしいし味も面白い。


熱が冷めぬうちにムットーニのことを書きたかったんだけれど…今日はもう無理みたい。
明日、母とDVDを見ようかな。
でも本当にじっくり時間があるときに行くと楽しい展示会でした。
あ、“時間があるときに”というのはひとつひとつの仕掛けを全部見たほうかきっと楽しいから。
オルゴールや粘土細工が好きな人もきっと引き付けられる世界だと思うな。
絵本みたいなファンタジーなんだけどちょっと妖しい。
ぎっちり狭い箱に詰め込まれた世界。紙芝居みたいなどきどき。

ぜひぜひ。
渋谷のパルコ3(パルコ1の裏側でちょっとわかりにくい)の7階、パルコミュージアムにて。


やっとひとつ、観たい展覧会を観ることができた。
忙しいからこそ、だな。

ホットヨガ体験

ものすごく綺麗なスタジオ。
できたばかりの匂い。受付にはずらっと女の子が待っていて出迎える。2500円で特製のお水が1リットル、バスタオル2枚とフェイスタオルがついてくる。安い。
更衣室は綺麗だし、アロママッサージルームもある。お風呂はシャワーが30台。ひとつのスタジオの定員が30人だから待たずに使える計算。3つスタジオはあるのだが、同時に稼働することはないから。
スタジオに入ると気温は40度、湿度60%。これはかなり蒸し暑い。でもサウナのように重苦しくない。
先生は元気な感じの人。ヒップをやっていたらしいがまさにそんな雰囲気。
ストレッチをやっているだけですごく汗をかく。

始まると、誰よりもたくさん汗をかいた。代謝がいいんだな…
先生の言葉の発し方はよく訓練されている。これは素人に仕込んだんじゃないな、という感じ。私たちの方は大丈夫だろうか?一緒に行った子はあまり教えの経験もないというし…ちょっと不安になる。
ヨガの知識だけ詰めてこと足りると思っているのかな…すごく甘いと思うけど。
教えやバレエをやって培ってきた体に対する知識、発想。それを以てしてもとても大変なことだと思う。関節の方向のことや使う筋肉のこと、レッスンに使うことの10倍も知っていなければできない色んなこと…それを皆もっているだろうか?たぶん、ないと思う。

んー。

汗をものすごくかいて水も1リットルじゃ足りなかった。
私はサウナが苦手だ。体温があがりすぎるのか、めまいがして具合が悪くなる。しまいには寒くなる。
今日も似たようなことが最後に軽く起こった。40度の部屋の中で寒くて鳥肌がたった。
大丈夫だろうか…慣れれば強くなるものなのかな。


ひとつ気になったのはお風呂の施工。水の抜ける場所と勾配が合っていず、いつまでも足元にたまってしまう。
ほかにも、ちょっと倉庫みたいな感じがする扉の作りのところがあっと…なぜあんな扉にしたのか疑問だった。
安っぽい。
せっかく徹底してるのに。
マイナスイオンドライヤーまで用意しているのに少し残念な感じ。



渋谷は人がおおかった。
日曜だものな…と思う。

帰りにパルコミュージアムでムットーニの展覧会を見てきた。以前日記にも書いたけれどとても気になって。

すごーくよかった。
ああいうの大好き。
DVDとポストカードを買っちゃった。

感想はまた詳しく書くつもりです。

わたしとことば

そんなつもりはないのだけれど…
とても抽象的なことばを使ってしまう。
ことばはもっと変換をうけて具体性を持たなければならないのかもしれない。んー…そういう必要を感じることは頻繁にある。
ものごとに色や温度やビジョンを感じる、そのただの感覚をそのままことばにしようとしてしまう。私は…だから多くの場面で表すことに時間がかかるんだろう。
同じ感触を知ってくれているひとと話すときは自由に旅ができる。またはそのなかに引き込めた時。あちこちかいつまんだり、時間をすっ飛ばしたり、上下に冒険してみることも恐くない。
でもそうじゃないと、すごく慎重にならざるを得ない。そして慎重になったとしても…雲のようなことばを発していた私が、いきなりレコード針のように繊細に、道筋の通った会話ができるはずがない。私がしているのはそのレコードを指紋の襞で感じたりちょっと齧ったりして舌で味わったりするような行為なんだ。

ことばに変換できない。
あふれるたくさんのことが。この感情や空気のまろやかさをぽん、と預けられたらどんなにいいか。
ほらね、って。
うんうん、て相手がうなずいてくれる。
そうだね、って。

ああ、これはテレパシーだよね。どんな望みなんだか。


たまに本を読んでいてこの皮膚にちりちり感じる文章に出会うことがある。
それは決して感覚のことの描写に限ったことじゃない。

全く別のアプローチの方法があるはず。たぶん、場数ばかりではなくて習慣付けること。
やっぱり客観視なんだよな。
お芝居をする役者に大事なことと同じ。
ことばの巧みさでは決してなくて、そこには視野や空気を感じるちからが必要。


その訓練がなされていない、もうそれは痛いくらい感じる。
だから臆病になる。
だから自分を子供だと思う。

言霊

きらきらボンネットや緑や過ぎてゆく黄色い花の輝く日曜の午後。
夏の厳しさが和らいでみんなが少しずつ淋しさを感じて優しくなっている気がする、のどかな風景の中を移動。
もうずっとこんな風に休みなく飛び回っている。でもこの方がいい。ベッドに頭をもたれかけて、どこでもないところを見つめているよりは。それはそれで楽しかったけれど。ハリー・ポッターを読み返せたし。

今日はヨガの体験レッスンに行く。仕事のための。だけど楽しみだ。自分の中に何かが取り入れられて、取捨選択して、たまには不注意で抜けていってしまったりしながらも組み込まれて行くたくさんのこと。
少しずつこうして外身は整っていっている。いつ崩れるかまるでわからないけど。保険のようにひきずっているものもなく、ちゃんと心を預けたいと思えるものを引き寄せて。


昨日のコンテンポラリーのレッスンの呼吸の時に改めて気付いたんだけれど、息をするときにどうしても左肩近くの肺に空気がはいってしまう。腹式呼吸の時はましなんだけど胸で息をするとき。左右対称なら問題ないんだけれど左だけだからわずかに気持ちが悪い。

自分の畑だけでなんでもやろうとする臆病なところ。
臆病…じゃないとしたら傲慢かな。打ち壊せないのは臆病だけれど変われた、取り入れたと思い込むのは自分を客観視できないこの弱点から生まれる傲慢からだ。

ことばにし、反芻しなければ。
それが私に欠けていること。