アマヤドリ -237ページ目

みずふうせん

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旅の準備をしながら部屋を片付けていると色んなものがでてきてそれが胸をうずうずさせる。つい写真に見入ってしまったり、懐かしい包み紙をまたきちんとたたみなおしてしまったり。こんなものが、こんなものが、って、私、つい2ヵ月前に大掃除したはずなのにな。

ああ、胸がぎちぎちだ。
きっと今、私の心臓の壁はきっと薄くて水風船みたいにうすーくぴかぴかしてる。
でも悲しいときと違ってそれはちょっとやそっとのつつきでは破裂しない。つつけば壁は内側にたわむしそれにつれて内蔵された水やらあったかい内壁だのは一緒に押されるのだけど。
ぐらぐら、どきどき、なんだか息が苦しいなぁ。もうちょっとで泣いちゃう子供のようなかんじだ。


大人になると10代の頃のような感動が味わえなくなるって昔のこいびとがよく言った。
そのことを恐れている風で、当時の私もそんなようなことを本で読んだことはあったし、切々とそのひとに説かれていたしでやっぱりこれいじょう年を重ねるのはもしかしたら虚しくて哀しい、と思っていた。
でも私は年々、こうして心臓の壁をぐにゃぐにゃ押されたり、きりって痛みが走ったり、逆に心臓の壁がなんだかわからない内側からの作用で晴れ間!みたいにひろがっちゃったりする瞬間は昔よりも増えているんじゃないかという気がしている。


見上げる行為に私はとても弱くてそれだけでうっすら涙がでてしまう。
空を見るのが大好きなのは、きっとそのため。

見上げて息を吸い込めばいくらでも新しくてちょっぴり冷たい空気が肺にちゃんと入ってくるのと同じことで、

たぶん、尽きることはない。





ぎりぎり。

いつもとても、自分のぎりぎり癖に困るくせに。
やっぱりこの旅の準備もぎりぎりです。

会いたいひとがいたのに。やっておきたいこともたくさんあったのに。
感傷に負けて色んなことをぼんやりとただやり過ごしてしまった。この2月。
あ~あ。

今日、明日でなんとか片付けよう。


お返事が遅れたり、なかなかご連絡ができなかったり。ごめんなさい。

ってこの場をかりて。

磁場をもった一日のおわり

8日。
久しぶりに出勤する仕事場は、久しぶりなんだけれどいつもの道のりなのでなんだかとても不思議な感じ。ぼんやり何も考えていなくてもあらら、と迷子になってしまうようなこともなく、かといってそうだ、私は今出勤しようとしているのだ、という軽い驚きがないわけでもなく。
久しぶりに駅からすぐの役所の前を澄ました顔で通りながら、そこにぽつぽつと立って通行人を眺め回している警備員たちに、私のことしばらく見なかったでしょう、などと心のなかで話し掛ける。
ひとは何を考えながら歩いているかわからないものだなあと思う。


事務所はやや殺気立った様相を呈していて、はたして私が働いていたほんの一週間前もここはこんな様子だっただろうかとどきどきする。それとも一週間でこんなに感覚は鈍くなってしまうものなのか。
入り口でちょっぴりたじろぐ業者さんやお客さんの心中がわかったような気がして、今まで受付でもじもじしているひとがいても半ば無視を決め込んでいたことがなかったわけでもない…ことを反省。

とはいえ久々のぴりっとした空気は懐かしくて。しかし懐かしんでいる場合ではない、お仕事に没頭したのでした。



6時半にチームは消灯。六本木にて送別会。
これで何回送別会をしていただいただろう。うれしいことだ。
お食事のあとは個室についているカラオケ。この2日間で一年分くらいのmyカラオケBOX時間を消費したなと思いつつ、本当に楽しいひとときを過ごす。
年代別メドレーをとにかく入力、マイクを回しつつ知らぬ歌でも無理矢理にでも歌わねばならない、というルール。裕次郎なんて無理だよ、とか、ブルーハーツ懐かしい!とか叫びながらいつのまにかマイクの奪い合いになった。
噂には聞いていたけれど皆歌がうまい。訳わからない場慣れ感が可笑しかった。あんなに忙しい職場にいながらにしてこのひとたちはいつこんな芸当を仕込んでいるのだ?

お花とお手紙と贈りものをいただく。
本当に私はこの親分に大事にしていただいていたのだなあと改めて思う。不器用でぶっきらぼうでちょっと子供みたいなところもあるひと。でも見え隠れする愛情がうれしい。と同時に照れ臭くもある。
まだ電車のあるうちなのにタクシー券をくれ、いや、ちゃんと電車で帰りますからこれはいただけません、という私をとにかくタクシーに詰め込む。
仕方ない。好意を受けることにする。


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タクシーでおばあちゃんのうちに向かうが、色んな思いが去来する。
大事にされてうれしかったことから派生して、このお仕事を通じて得た大切な気持ち色々。それからなにごとかを学んだつもりの自分とこの何年間かの生き方について。
その大半はやはりいつも車に乗せてくれて一緒に東京の夜景を見たこいびとのこと。
私は運転手さんとバックミラーで目の合わないところまで座高を下げてひとり物思いに耽る。

いったい私のこの思考パターンはいつまで止まないつもりなのだろう?もしかして何かことがあるたびに、浮かぶのだろうか。
懐かしい風景を見かけるだけで?
スーパーで買い物をするだけで?
建設中のたてものをみるだけで?
同じ年代の男の子を見るだけで?
今はまだとらわれていることを望んでいるふしもあるのでいいのだけれど、もし望まないのに繰り返しいつまでもこれが襲ってくるのだとしたらそれはとてもキツイかもしれない、という気がする。こんな風にして胸の痛くなることは生きている限り増えてゆくのかな。
こんなことに今更気付いた私は、どんなにか甘く守られて鈍感であったかということで笑われてしまうのだろうか。


恋愛は、記憶なのだろうか。


でも別に今はいいんだ。
生まれ変わるこの過程がひりひりするのは、蝉が脱皮の直後にはまだ翅がふにゃふにゃなのと同じ。
トウシューズをへたくそに履いて爪が剥がれるときにまだその下にのぞくベビーな爪が頼りないのと同じ。

だから、いいんだ。

3丁目、生まれたての友情について

7日のこと。

6時半に派遣会社での上司、Wさんと合流。私はこれで4度目になる、マイシティのナビィとかまどへ。ここのどっしりとした椅子が好き。狭いけど。
おいしいものをたくさん食べていると、今日Wさんとご飯を食べていることを前もって告げていたひとからメール。合流することに。
久しぶりに二人きり以外で会ったそのひとはとても大人に見えた。とはいえまだまだやんちゃ盛りみたいなんだけれど。初めて会う、彼の親友(まあ初めてではなかったんだけど。でも全然覚えていないから初めてと言ってもいいだろう)。
もう、この会合のことは文章にすることは難しいから割愛。
特別な、元気や色んな感情を味わったひとときであったということだけ。

途中から案の定4人でカラオケに移動、「プリプリ歌え」とか二人の絶妙なコンビネーションを目の当たりにし笑いが止まらない。いったいどれだけ君たちはカラオケで遊んでるんだよ。馬鹿みたいに大騒ぎして結局終電を逃す。…というか単にもう諦める。明日仕事なのにどうすんのー!とか騒ぎながらも、よし、ドイツ前にオールだ!とかまた盛り上がり。
そのくせやはり1時ごろになるとへなへなと疲れが見えはじめ、結局男の子たちは帰る。ごめんね、薄給の二人なのにタクシー代を使わせて。ああ、ハグくらいしておけばよかった。親友くんに彼をお願い、って念を押しておけばよかった。

私とWさんは、Wさん行きつけの新宿3丁目のバーへタクシーで向かう。
3丁目はなんだか雰囲気のある男の人が寒そうな格好でふらふらしているのに遭遇する率が高かった。どのひともどのひとも、そのすじのひとに見える。夜のまちで働くひとたち。
バーは、もう私の母くらいの年の女性(見かけは一寸の隙もなく男の人だけど)がやっているところ。サラリーマンらしきおじさんばっかりがカウンターを埋めている小さな店。赤い可愛い棚にお酒がびっしり。ママはぴかっと光る黒目がちな瞳で私をとらえて「初めてよね?」と言う。なんだかなんだかこの人が好きになりそうな予感。にこにこを押さえられなくなる。
ママの手料理は本当に美味しくて、うれしくなる。豆腐にピータンと搾菜をのせたの、卵焼きにピリ辛トマトソースをかけたの、味が染みとおったおでん。もしかしてああいう場で失礼だったかもしれないんだけれど私はトマトジュースを頼んだ。
サラリーマン風のおじさんがWさんに絡んできたのだけれどそんなのはママが一喝。上手に守ってくれる。
サラリーマンさんにお願いされて今井美樹のプライドを歌う。一曲でも知っていて良かった。なぜこんなに今日は歌うことになるんだろうなと、でもやっぱり歌うことは心地がよい。体を響かせて空気に溶かす、そんな風に歌えたらもっといいのに。
ママの歌ってくれたジャニス・ジョプリンのsummertimeに、惚れた。ねぇあたしは。こんな風に自由に踊れる?こんな風に踊りを愛している?こんな、そこの方からじわじわと溢れるような昂ぶりを感じ、伝えるところまで辿り着けるのだろうか?

私がドイツに行くことを告げるとママはおもむろに自分の夢を語りだした。あたしも、60になったら店をたたんで外国に行きたいんだ、と。そこでガラス細工や浴衣を縫う技術や、そういう何かを見せたり教えたりしてみたい。
真っ黒なボタンみたいな小さな目はきらきらと輝いていて、なんだかすごいやと思う。私のこともどしんと、応援してくれた。

あの2人連れてきたら、もうとても気に入られちゃっただろうなぁ。

バーは2時閉店だったのでそれから朝6時まで、ジョナサンで過ごす。いい大人のやることじゃないよねーって笑いながら、でも朝まできっちり恋話をする。


ふらふらと朝、誰もいない新宿を歩きながら私は長かったいちにちのことを思う。
これから大事なものになりそうな真新しい友情、ふたつのことを。
ひとつは生まれたてで、もうひとつは長い年月を経てやっと生まれ変わったのだった。

おばあちゃんのポケット、日向で想う

怒濤の2日間の続きを書きたいところなのだけれど、今日みた夢の話。

おばあちゃんちに来ている夢(実際来ている)。
おばあちゃんはどうやら少し具合が悪い様子。ガーゼみたいな白地に水色と薄紫の中間みたいな色の花の模様のあるパジャマを着ている。何かの拍子にポケットの中に入れていた色んなものが外に落ちてしまう。本当に色んなもの。お守りとか、ちょっとした綺麗なものとか、がらくたに見えかねないものを大切に。私は落ちたそのものたちを拾ってあげるのだけれどおばあちゃんはその中でも特に大事に思っているものがあるみたいでそれが見つからないことをずっと口にする。あるよ、あるよ、と言いながら私はひとつずつ拾いあげて渡してあげるが何だかとても切ない気持ちになる。こうしてさもないものを大切に仕舞っているそのおばあちゃんの心のなかをただ自分勝手に想像して。愛しいのとかなしいのが似ていて、私はおばあちゃんを安心させてあげたくてその小さなものを懸命に拾う。


★   ★   ★


ドイツに行くのはたった一ヵ月だけれど、そしておばあちゃんはそのことをただ私のためだけに心配してくれているのだけれど、私はそうじゃないことを祈らずにはいられない。そんなこと形にしてしまいたくないけれど、頭をよぎることすらいやだけれど、でもだからこそおじいちゃんにお願いをする。どうか、って。

なにが起こるかなんてわからない。いつだって私たちは危険にさらされているし誰もがいつも同じ、平等な時を持っているわけではないのだから。それは決しておばあちゃんのことだけじゃなくて。

だから。
大丈夫なんて何に対しても確信なんかできない。
私のこころにもあのひとのゆくすえにも、おばあちゃんや家族の時間も、大事な友達や周りの人の毎日にも。
何にも私の手ではどうすることもできなくてただ恐れるだけ。恐れても仕方ないと知りつつ、甘んじて受けなければならない何かに対していつも最善を尽くす心積もりでいる。たったそれだけ。決して私の手は小さいとも思わないし、逆に信じたり祈ったり想ったりしさえすればなんとかなると思うほど楽観的なわけでもない。

いつも強くいたい。
複雑なこころを抱えながら。そしてシンプルな何かに近づいて、やさしいひとになりたい。
ことばだけじゃなくてこの微笑みだけじゃなくて。


たくさん欲があってもそれも認めながら。