おはようございます。今週も、おいでくださって感謝します。

実は、今回の聖書のおはなしって、6月2日(日)に、うちの教会の礼拝でお聴きした話なんです。

そん時の牧師先生のように旨いこと語れるわけやないですけど、頑張って書きますね。

 

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  おはなしの始めに

イエス様の時代のユダヤ人にとって、最も大きな関心っていうんは・・・、

「どうしたら永遠のいのちを得られるんか」いうことでした。

ただね・・・、ここで言う「永遠のいのち」っていうんはね。

「決して死なへん『いのち』」いう意味やないんですよ。

地上に生きとっても、神様の子どもとして歩む「いのち」

ほって、死んだ後も神様と一緒に生きる「いのち」のことなんです。

 

それを踏まえて、今回のお話を始めますね。

引用する聖書の箇所は、マルコの福音書10章17~31節です。

 

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  金持ちの青年の質問

ある時、一人の青年が、イエス様んとこにやって来ました。ちゃんとした身なりの感じ良い人です。

まだ若いんやけど、人々を導く指導者で、お金持ちやったとも・・・言われとる人でした。

この青年は、イエス様に、こんな質問をしました。17節を引用してみますね。

「良い先生。永遠のいのちを受け継ぐためには、何をしたらよいでしょうか。」

たぶん、この青年は、イエス様の評判を聞いて「立派な良い先生なんや」と思たんやろね。

でも、イエス様は、18~19節で、こう言われたんですよ。読んでみましょか。

「なぜ、わたしを『良い』と言うのですか。良い方は神おひとりのほか、だれもいません。

戒めはあなたも知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んでは

ならない。偽りの証言をしてはならない。だまし取ってはならない。あなたの父と母を敬え。』

イエス様が話されたんは、神様が定められた『十戒』なんやんね。

だいぶ前にも、聖書のおはなしで十戒について綴ってるんで、良かったら見てみてください。

モーセの十戒(1) モーセの十戒(2)

 

 

イエス様が、こんなふうに十戒を仰った後、青年は、こんなふうに答えました。

「先生。私は少年の頃から、それら全てを守ってきました。」

青年には、神様の教えを守っとるっていう確固たる自信があったんやろね。

やさかい、自分だって「永遠のいのち」を頂けるはずや。イエス様にも褒めて頂けるに違いないて。

もしかすると、そう思とったんかもしれませんね。でも・・・実際には、違うとったようですよ。

イエス様は、青年の姿を優しい見つめられると、21節で、こういうふうに言われたんです。

「あなたに欠けていることが一つあります。帰って、あなたが持っている物をすべて売り払い、

貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」

青年は、イエス様の御言葉を聞いて、どうしたと思いますか。

実は彼ね・・・、イエス様の話を聞くと、目を逸らして、悲しげに帰って行ったんですよ。

今回の聖書とは違うんやけど、ちょこっと・・・マタイの福音書6章24節を見てみましょか。

だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んでた方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。

この御言葉を読んでみると・・・残念ながら、この青年は、神様よりも、財産を優先したんやね。

さぁ・・・こっからは、この御言葉を踏まえて、さらに深い点に踏み込んでみることにしましょう。

 

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  永遠のいのちって、なぁに?

去っていく青年の後ろ姿を見もって、イエス様は、お弟子さんらぁに、こう仰いました。

「富を持つ者が神の国に入るのは、なんと難しいことでしょう。」

ここで言われた「神の国に入る」っていうんは・・・、

今回のお話の最初にも書いた「永遠のいのちを頂く」っていうんと同じ意味なんです。

式で書くと、こういう式ですね。「神の国に入る」「永遠のいのちを頂く」・・・ってことやね。

お弟子さんらぁは、イエス様のことばを聴いて驚きました。

当時のユダヤ人は、富(財産)を、神様の祝福やと考えとったんやんね。

やでね・・・、お弟子さんらぁも、青年が神様から祝福された人やって思とったようなんですよ。

でもね。イエス様は、25節で、こんなふうに仰ったんです。読んでみましょか。

金持ちが神様の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。

 
「はぁ~?イエス様。何を言うたはんのぉ~?」って、皆さんも、きっと思われとるでしょうなぁ。
そうや思いますよ、そんなもん。らくだが小っちゃい針の穴を通るなんて、出来るわけないやんね。

イエス様は、それよりも、金持ちが神様の国に入るほうが難しいって仰ったんですよ。

何でやと思いますか?

金持ちは、目に見えへん存在の神様よりも、自分の目に見える財産に頼っとるで・・・なんやんね。

イエス様の前から立ち去った青年も、心ん中では、神様よりも、自分の財産に頼っとった。

イエス様は、その青年の本心のようなもんを、パッと見抜いとられたんやんね。

 

もちろん、自分の生活を営んでいくためには、お金も大事なもんや思います。

ただ、そのお金が神様より大切ってなると、クリスチャンは「優先順位が違う」て言われるんです。

神様以外のものを優先順位の上にしてしまうと、それは、偶像になってしまうさかいなんですね。

厳しい事を言われとるような気がするんですけどね・・・

でも、クリスチャンが信仰生活を歩むためには、神様を第一にするっていうんが、大切になります。

神さまに喜ばれる歩みをするためには、まず、神様を優先順位のトップにする必要があるんです。

イエス様御自身が仰った言葉ん中に、27節で語られた、大事な中身があります。見てみましょか。

それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。

 

罪から救われて、永遠のいのちを頂く・・・ってことは、人の力では出来いひんのですよ。

救いっていうもんは、ただ、神様御自身のあわれみによってのみ、与えられるもんなんです。

子どもは、親からプレゼントを貰うた時、それを素直に喜んで『やったー』って受け取りますよね。

それと同じように、私らぁ一人ひとりが、神様から頂く救いっていうプレゼントを受けとったら、

ただ、それだけで、私らぁは罪を赦されて、天国行きのフリーパスを頂くことが出来るんです。

 

本来、私らぁは、神様から引き離されて、生まれつき、罪を持った状態で生まれてきました。

たとえ死にたないと思てても、結局、最後は命を終えて死ぬことになる。それが何よりの証拠です。

ローマ人への手紙6章23節に、その証拠がハッキリと書かれとんです。読んでみましょう。

罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

でも、たとえ地上で死ぬことになったとしても・・・、

永遠のいのちを得ることによって、平安をもって生きられるようになる。まさに希望のしるしです。

決して自分の力で頑張ったり、良いことをせんかったら救われへんっていうんではないんですよね。

それが・・・どんだけ感謝なことでしょうか。