身体に感謝すると言う事は、
自分の過去全てを肯定する事と同じだ
過去に起こった感情の全ては、この肉体が受け止めてきた
悲しみや怒りのエネルギーそのものを受け止めていたのは肉体なのだ
こう気づいた時、肉体に感謝しても仕切れない、と思えた
生まれた時から死ぬ瞬間まで
ずっとずっと一緒にいる
深いところを刺激するネガティブな感情
それをじっと見つめていると分かる事がある
ネガティブな気持ちの底にも共通してあるのは
自分や人生を否定する想い
これはどんな環境や立場の人でも共通する
普段は日常生活の忙しさにまぎれて気づきもしなかった想い
長い間、無意識のうちに掴んでいた想い
本当の自分(たましい)以外を自分だと思い込んでいる想い
自分でも気づく事が出来なかった、あるいは以前に気付いていたけど再び思い込んでいた
その根本的な否定をあらためて意識するという事は
ある特定の環境が必要であり
ある条件を備えた相手が現れなくてはならないのだ
全ての条件が揃って初めて
感情の底の底に沈んでいたある一つの想いが
意識という光に照らされる
意識する、という経緯が無ければ
そのまま無意識の海の底に沈んだままであった想い
人が意識して初めて
消えてゆく事ができる
”こんな想いがあった”と気付いている自分はその想いでは無いのだ
そうしたら、自分に起こるネガティブな現象、環境、相手に対して
今まで通りにネガティブな反応をしなくなる
感謝できなくてもいいのだ
ただ、縁を得て、時を経て
その否定の想いが今、消えてゆく
そのタイミングで手助けして貰えたという事
時々思い出す
亡くなった祖母は今ごろ、何処でどうしているのだろう
大好きな祖母 愛の深い、器の大きなひとだった
とても言葉で言い表せない すばらしいひとだった
もう地上に生まれて来る選択はせずに
宇宙の意図とまったく一つになってその働きとなり
それでいて
祖母を想う全ての人の胸の内にいつも、いつも居る
私の全てのよろこび、哀しみ、憎しみ、後悔、罪悪感
それらのエネルギーが私の中より現象世界に現れ消えてゆく時
それをそっと観ている
嬉しさに全身が弾けそうな時も、
悲しみの底の底から抜け出せなくて人生の意味が分からない時も、
怒りに顔を歪ませ天を憎んでいる時すら、
愛という意図で存在する
常に鳴り響いている宇宙の意図に同期せよ、同調せよ、
かえりなさい、とわたしを呼ぶ愛
遠いようでものすごく近い胸の内