この「お母さん」を選んだ理由 | 魂と共鳴するピアニスト 千代音のブログ

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インスピレーションで見えるもの見えないものを描き奏でる、ピアニスト、アーティスト。
音色、言葉、対話、アートを通じて、ご縁ある方の魂の声と寄り添いながら、人生の豊かな変容、変革のお手伝いをしています。

こんにちは。

 

 

千代音です。

 

 

今日は母の81回目のお誕生日です。

 



 

母の住む私の実家は、

 

今、私が旦那さんと娘たちと住む家から

 

徒歩5分強のところにあります。

 

 

父が脳出血で病院に長期入院になってから

 

母は実家でひとりぐらし。

 

 

今まで、何でも父と二人三脚で

 

歩んできた母にとっては、

 

とても心細いのを、

 

日々の母の言動からも感じます。

 

 

できるだけ、一日一度は、

 

娘たちを連れて母との時間を

 

過ごすようにしています。

 

 

 

「一緒に暮らしたら?」

 

 

 

周りからはそうよく言われるのですが、

 

母が1人で歩めるギリギリまで、

 

この距離感での生活を

 

スープの冷めない距離での生活を

 

大切に続けたいと思っています。

 

 

 

なぜか。

 

 

ふたつ理由があります。

 

 

ひとつは、母の一番リラックスできる環境、

 

母が母でいられるリズムが、

 

今の生活のなかにあるから。

 

 

人って結婚すると、パートナーの

 

考え方や生活習慣に自然に

 

影響を受けます。

 

 

たとえ、パートナーと性格が正反対でも

 

ぶつかることがあったとしても

 

そうしてエネルギーが融合するなかで

 

今としてベストな自分ができあがっていく

 

 

そうしたときに、

 

昔、たとえ20年以上同じ屋根の下で

 

暮らしていた親子であっても

 

共にまた暮らし始めたとき

 

過去と同じかたちには

 

絶対にならないと思うんですね。

 

 

共に暮らしたら、

 

異なるエネルギーが入ってきて

 

母にとって「不快」や「ストレス」の

 

要素をより増やしてしまい、

 

場合によって、

 

母が私や私の旦那さんに気を遣って、

 

母が母でいられる居場所を

 

奪いかねないと思うのです。

 

 

そしてね、ふたつめの理由。

 

 

私にとって、こちらの理由のほうが

 

母と距離をとって暮らす、

 

より大きな理由になると思います。

 

 

それは、

 

母と私があまりに相反し、

 

衝突しやすい相性であること、です。

 

 

相反するといいましたが、

 

親子ですから、

 

似たところも多くあるのです。

 

 

いや、似たところが

 

あるからこそなのでしょうね。

 

 

母と私は、私が小さい頃から、

 

よくぶつかりあっていました。

 

 

母は、母自身のなかにある

 

欠点だと思っている部分が

 

無意識に私の様々な面から垣間見えて

 

許せない気持ちになったのでしょう。

 

 

母が、私の欠点(だと母が感じた点)

 

をとりあげては、

 

「どうしてあなたはこうなの!?

 

あなたの悪いところはね、

 

カクカクシカジカ。。。」

 

と長い説教のような形になり、

 

私は私で

 

「どうしてお母さんは、

 

そういう言い方しかできないの!?

 

私が落ち込んだり、

 

やる気をそぐような

 

言い方ばっかりするじゃない!!!」

 

 

そう言い返すと、

 

私が子どもだった頃は特に、

 

 

「親に生意気な口ごたえするんじゃない!

 

そんな生意気なこと言うんだったら

 

出て行きなさい!!!」

 

と言われ、

 

私は大泣きか癇癪を起こす、、

 

といった、そんなやりとりを、

 

母とぶつかるたび、

 

何十回、何百回と、

 

くりかえしていたと思います。

 

 

その度に、落ち込んで、傷ついて、

 

無意識に、私のなかで、

 

自己肯定感が低くなり、

 

どこか自信のない私が

 

出来上がっていったと感じています。

 

 

(今は、母のせいで…と考えるのではなく、

 

私がそう受け止め、

 

その価値観を取り込んで、

 

そのあとの人生を選んだと解釈しています)

 

 

そして、母は元々が、

 

細かいことに気がつくほうで、

 

心配症ということもあり、

 

私が学校であったり、仕事であったりで

 

何か落ち込んだことがあって

 

帰ってくると、

 

玄関先で、すぐに気がつくのです。

 

 

これは、母親としての本能も

 

あるかもしれませんね。

 

 

 

そして、

 

「何かあったの?」

 

と聞くのです。

 

 

私としては、

 

落ち込むことがあったわけですから、

 

聞いてほしくて、なぐさめてほしくて、

 

正直に、あったことを話すわけです。

 

 

それでね、当時の私としては、母に、

 

 

「そうなのね、

 

そんな落ち込むことがあったのね、

 

辛かったね。

 

大丈夫よ。

 

お母さんはあなたの味方よ。」

 

 

という言葉を求めているわけです。

 

 

でもね、当時の私と母の関係性では

 

そうは絶対にいかなかったのです。

 

 

絶対にです。

 

 

私がその日のあったことを打ち明けるなり

 

 

「あなたの悪いところはね、

 

カクカクシカジカなのよ!!!

 

だからダメなのよ!!!」

 

とまた、説教がはじまるのです。

 

必ずといって、でした。

 

 

今なら、母の特性を理解しているので、

 

こういうパターンに陥ることはないのですが

 

当時の私は、心のことも、心理学も、

 

コミュニケーション方法も、

 

何も知らないので、

 

もう、何十回、何百回と、

 

このパターンを繰り返し、その度に

 

まさに

 

「傷口に塩を塗られる」

 

という

 

痛〜い体験をしていたのでした。

 

 

今ならね、わかるのです。

 

 

母にとって私は大切な一人娘。

 

 

私の痛みや傷つきは、

 

母も同じくらい、もしくはもっと、

 

辛いのです。

 

 

母がそういう辛い思いをするのが嫌で

 

余計に、そういう行為にでたのだろうなと

 

あれは、母の防衛本能だったのだと

 

今なら思います。

 

 

そして、

 

母にとって、心配すること、

 

間違っていると思うことを、

 

悪いことだと指摘することが、

 

母にとっての、母にできる最大限の

 

愛の表現の仕方だったのだと

 

今は思うのです。

 

 

当時の母は、ものすごい忙しさで、

 

心の余裕もなかったと思います。

 

 

母は、当時、認知症であった

 

祖母(父の母)の介護をしながら、

 

子どもの私の世話をしながら、

 

父の本屋を手伝いながら

 

完璧な家事をこなし、

 

ものすごい量のお役目を

 

こなしていたのです。

 

文句ひとつも言わずに。

 

物凄いことだと思います。

 

(わたしには到底できません)

 

 

認知症だった祖母のケアの仕方は

 

それはそれは丁寧で、

 

祖母と口ゲンカはしょっちゅうでしたが、

 

何年間も寝たきりだった祖母に、

 

床ずれを一度もつくらなかったのです。

 

(これって凄いことなのだそうです)

 

 

また、家族が病気などで弱ったときの

 

ケアの仕方はそれこそ神レベルで、

 

料理であったり、マッサージであったり、

 

なんでこんなに神技ができるのかと

 

そういったことが、

 

あたりまえにできてしまうのも母なのです。

 

 

また、当時の父は経済観念に疎く、

 

お金の管理は母に任せっきり、

 

そして自由を愛する、

 

基本的に楽天的な人だったので、

 

母がそれによって回ってきた大変な分を、

 

精神的にも仕事的にもカバーするという

 

夫婦の関係性であったけれど、

 

日々の不安は口にしながらも、

 

母はそんな父のことを常に尊重していて

 

私に対して父の悪口をひと言たりとも

 

言ったことがなかったのです。

 

 

逆に、私が父のことを少しでも

 

悪く言うような発言をしたものなら

 

物凄く怒られました。

 

 

そのため、私は父に対しての

 

反抗期というものが、

 

一度もありませんでした。

 

(父は、私が母とぶつかった先の、

 

いつも、優しく受けいれてくれる

 

安定した味方のような立ち位置でした。)

 

 

親に対する肯定感って

 

子どもの心の成長にすごく影響を及ぼします。

 

母は、子どもの私に、

 

父に対する肯定的なイメージを


しっかりと染み込ませてくれたんです。

 

 

 

母は、そういった意味で、

 

しっかり、母として、妻として、

 

家庭のお役目を丁寧に丁寧に

 

はたしていたと思います。

 

 

でも、私とのコミュニケーションについては

 

いろいろ問題がでたわけです。

 

 

私は感受性が強い子どもでもあったので、

 

ちょっとした母の態度や、

 

言葉のニュアンスにも、

 

すごく敏感に反応していたのです。

 

 

母の、

 

「気にしすぎなのよ」

 

という言葉にも、毎回傷ついていましたね。

 

 

私の環境に影響されやすい性質についても

 

「あなたはすぐ人に流される」

 

って言われては食ってかかってたなぁ(笑)

 

 

母が、

 

「私たち親は、あなたよりも先にいつか

 

死ぬのだから」

 

軽はずみに言うのもすごく嫌でした。

 

 

でもね、だからこそ、

 

私が心や精神の世界や、心理学を学びたい

 

という思いが強くなり、

 

実際に探究していくことになった

 

要因のひとつでもあるのです。

 

 

その当時は、

 

「私は悪くない!!」

 

がベースにあって

 

「母を変えよう」

 

と必死でしたけどね(笑)

 

懐かしいな。

 

 

それでね、

 

心理学や心や精神の世界を深めるにつれて

 

コミュニケーションの仕方を学び、

 

「人生を変えるには、

 

相手を変えるのではなく

 

自分を変えるのだ」

 

という考えが、

 

徐々に自分のなかで浸透していって

 

母との関係性もだんだんと

 

穏やかになっていったのでした。

 

 

それでね、

 

今は、そういった

 

過去に私が母に対して思っていたことを

 

フランクに母に話せる関係性に

 

なっているわけですが、

 

最近になって、母との対話で

 

気づいたことがあります。

 

 

過去の私が、あれだけ、

 

母に求めても求めてももらえなかった、

 

受容(そうだったんだね)

 

承認(つらかったね、がんばったね)

 

信頼(あなたならできるよ)

 

などの言葉たちですが、

 

今、一人暮らしで、寂しかったり

 

落ち込みやすくなっている母へ、

 

私自身が母に伝えているわけなのです。

 

 

そして、

 

「お母さん、お母さん自身を労ってね。

 

自分の身体に、ありがとうって、

 

よくがんばってるって伝えてね。

 

お母さんがお母さん自身を

 

優しくしてあげてね」

 

 

って伝えているのですが、

 

母が、目を丸くして、

 

 

「そんなこと、一度も考えたことなんて

 

なかった」

 

って言うのです。

 

 

そして、その世界観に触れて、

 

今まで経験したことがないような

 

心がぽかぽか温まる感覚を感じるって

 

喜ぶんです。

 

 

 

なんだかね、もうだいぶ前から、

 

母との関係性は、改善したと

 

思っていたんですが、

 

これで、完全に私のなかのしこりが

 

とれたんですよね。

 

 

私が母に与えて欲しくて、

 

たまらなかった言葉たち。

 

 

それは、母も、両親から

 

与えてもらったことがなかったんです。

 

(戦後間も無くの大変な時代でしたしね)

 

 

そして、心のことを学ぶことがなければ

 

当然、母の口から出るはずなんてないし、

 

私の当時の思いが、

 

理解できるはずなんてないんです。

 

 

私が欲しくて欲しくてたまらなかった言葉は

 

実は、母も欲しかった言葉で、

 

きっと、母との関係性から悩んで、

 

私が心の世界を探究して、

 

母にプレゼントして、お互いに

 

より深く、わかりあい、

 

癒されていく経験をするために、

 

すべての出来事はあったんだって、

 

そう思えるようになりました。

 

 

そして、そんな母との今の関係性ですが。

 

 

父が寝たきりの長期入院となり

 

一人暮らしとなった母は

 

不安になりがちなので、

 

私の携帯には、一日に何回も

 

母からの電話が鳴ります。

 

(私は母と同じ年齢と環境を

 

経験しているわけではないので、

 

母は今の私にはわからない苦しみを

 

抱えているのだと思います。)

 

 

でも、私は今、私の価値観として、

 

自分を整えることを最も重要視しています。

 

 

私が十分に整っていないと、

 

母のネガティブに引っ張られて、

 

私も共倒れになってしまうのです。

 

 

私が私自身を大切に扱い、

 

欲しい時間や欲しいエネルギーを

 

私自身に与えることで、

 

私の内側をじゅうぶんに満たしつつ、

 

その溢れたエネルギーで、

 

母を不安ではなく、信頼する立ち位置で

 

丁寧に向き合い、関わっていく

 

 

いくら大切な人だったとしても、

 

自分が疲弊するほどまで、

 

相手にエネルギーを渡しては

 

いけないのです。

 

 

(母は、どんなポジティブな言葉や

 

承認の言葉を投げかけても、

 

不安が大きいときは特に、

 

ブラックホールのような状態です)

 

 

このバランス、毎回、

 

いつも難しいなと思います。

 

 

うまくいく日と、

 

うまくいかない日があります。

 

 

でも、どんな日があっても、

 

母とのこの関わり合いが、

 

今の私にとって必要で、

 

成長させてもらっていると

 

受け止めています。

 

 

母は、私と違って社交的というよりも

 

付き合いは狭く少なくなほうで、

 

限られた人のみに心を開きます。

 

 

また慣れた場所で静かに過ごすことを好み、

 

人には気を遣う方なので、

 

なかなか、本音をさらけだすのが

 

苦手という性格でもあります。

 

 

だからこそ、ひとりぐらい、

 

本音を100%さらけだせる相手が必要だし、

 

それが私というわけなのです。

 

 

今、私は必要あって、このお役目を

 

いただいているのだと思います。

 

 

そしてね、別の視点として。

 

 

人生に起きる出来事って、誰もが、

 

陰(ネガティブ)と陽(ポジティブ)で

 

5割5割で、

 

半々にできているのだそうです。

 

 

それでね、その半々というのが、

 

出来事や人の数ではなくて

 

「質量」なのだそうなのです。

 

 

関わる人たちの99人が

 

自分にとって

 

プラスの要素をもたらす人達だとしたら

 

残りの1人が、

 

そのプラスの99人と同じエネルギー量で、

 

マイナスをもたらすという!!!

 

(すごいエネルギーの濃さ!!!)

 

 

わたしにとって、

 

母は、そのマイナスの役割を

 

わざわざ担ってくれているように

 

感じるのですよね。

 

(有難いことに、母ほどに、

 

わたしをネガティブエネルギー

 

で心揺さぶる登場人物は、

 

今の私の人生のなかではいないのです。)

 

 

もちろん、日々、

 

孫(娘たち)の面倒を共にみてくれたり

 

人生の要所要所で

 

すごく助けてもらっているし、

 

母には数えきれない愛と恩恵を

 

いただいているのですよ。

 

 

でもね、今のわたしの生活のなかで

 

母の関係性は、俯瞰すると、

 

そんな立ち位置にあるのです。

 

 

母が、私の人生における

 

エネルギーバランスを

 

とってくれているのです。

 

 

だからこそ、

 

母との日々の出来事や感じることを

 

無視するのでもなく、

 

ないがしろにするのでもなく、

 

今、私にできるあり方で、

 

母が今、もたらしてくれるものは、

 

どんなギフトなのか、

 

思いをめぐらせながら、味わいながら、

 

日々向き合うことが、

 

わたしにとって、かけがえのない

 

ものすごい大きなギフトになっているし、

 

今後も、大きなギフトになってゆく

 

感じています。

 

 

そう、

 

ものすごく、大きな大きな大きなギフト

 

なのです。

 

 

そんな、かけがえのない母が、

 

今日で81歳になります。






 

☆  * ☆ * ☆ *

 

お母さんへ

 

お母さん、81歳お誕生日おめでとう。

 

 

いつも、共にいてくれてありがとう。

 

 

お母さんの両親(私の祖父母)は

 

2人とも60代で天国に旅立っていたから

 

お母さんは昔から

 

「自分は遺伝的に長生きしないかも」

 

ってよく言っていたよね。

 

 

あのとき、小さな私は、

 

大切なお母さんを失ってしまう恐怖で

 

怖くて怖くてたまらなかったけど、

 

今もこうして、この世界を

 

一緒に生きてくれていること、

 

本当にありがたくて、嬉しいよ。

 

 

お母さんのもとに娘として生まれてこれて

 

本当によかったし、だからこその幸せを

 

この今、沢山受け取っています

 

 

今もぶつかることもあるし、

 

ときどき、冷たいって

 

感じさせてしまうこともあるよね。

 

 

でも、どんなときも、

 

お母さんは、わたしにとって、

 

世界でひとりだけの

 

大切な大切なお母さんです

 

 

娘たちにとっても、かけがえのない

 

大切な大切なおばあちゃんです。

 

 

今までにできていたことが

 

できなくなって、

 

「生きてる価値なんてない」って

 

思うことがあっても、

 

お母さんはお母さんとして

 

そこに生きてくれているだけで

 

とっても大きな存在なんです

 

 

お母さんのいのちは、

 

お母さんだけのいのちじゃないんです。

 

 

お母さんの存在は、

 

お母さんが思っている以上に、

 

すごくすごくすごく大きいんだよ

 

 

これからも、共に、人生を、味わい、

 

楽しんでいこうね。

 

 

これからも元気に長生きしてください。

 

いつもありがとう。

 

 

今までも、これからも、

 

ずっとずっと大好きです




 

☆  * ☆ * ☆ *

 

 

 

最後まで読んでくださって、

ありがとうございます。


あなたの心の中に

いつも穏やかで心地よい風が

流れていますように。


愛と感謝をこめて

千代音

 

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