八王子お散歩コース⑪「八王子城跡」 | 千弥香(ちやか) 〜愛が目覚める時まで〜

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千弥香の好みと独断による八王子お散歩コース⑪

「武蔵陵墓地」「八王子城跡」「宗関寺」「熊野神社」

 

「八王子城跡」です。

 

 「武蔵陵墓地」から歩いて30分ほど。大変だったら、霞ヶ丘住宅から霊園正門までバスに乗ってくださいね。

 

 テクテク歩いていくと

 

この看板が現れたー。八王子城跡まであと10分です。

 

八王子城跡ガイダンスセンターに到着。

 

 中はこんな感じ。奥に椅子とテーブルがあって、休憩もできます。パンフレットももらっていきましょう。(^○^)

 

さあ、この鳥居をくぐって、八王子神社、本丸向けて登っていきま〜す。

 

下調べもなく、簡単に登れるように思って、登り始めた私がアホだった。ガーン

確実に高尾山1号コースよりはきつい。しかもこちらのほうがしっかり山道。

石はゴロゴロしてるし、木の根っこは剥き出してるし。

本格的な登山用の靴とまでは言わないけど、しっかりした靴を履いて登ってくださいね。ウインク

といっても体力のない私が登れるくらいだから、それほどでもないけどウインク

 

やっと、八王子神社の鳥居まで来た。滝汗

休みながら来たから1時間弱かかったかな。

ガシガシ歩ける人なら、もっと早くこれるよ。

実際、ジョギングで登って降りてる人たちもいた。すご〜いな〜照れ

 

鳥居をくぐればすぐ神社かと思いきや、もうちょっと登らないといけなかった〜。ガーン

 

やっとこさ八王子神社の石段に到着ニコニコ

ここを登れば、、

 

八王子神社で〜す。

 

 山の上にあるので、あまり手入れができないのかちょっと寂れた感じ。。

 左の屋根が二段に渡って、ひんまがってるけど、大木が倒れてきて、こんなになっちゃって、まだ修復してないんだそうです。

 

有名な心霊スポットだって噂ガーン

なんか写ってる?写ってないよねニヤリ

 

 

八王子神社の由緒は、麓の宗関寺(そうかんじ)(元八王子町)に伝わる古記録(こきろく)に記されてます。

 平安時代、延喜(えんぎ)13年(913年)の秋、京都から訪れた妙行(みょうこう)という学僧が、深沢山(ふかざわやま)(後の八王子城)山頂の岩屋で修行をはじめた時、牛頭天王(神仏習合のスサノオ)と8人の王子が現れたのだそう。

 妙行(みょうこう)は、さらに修行を重ね、延喜(えんぎ)16年(916年)、この深沢山を天王峰とし、周囲の八つの峰を八王峰とし、それぞれに祭祀を建て八王子信仰を興しました。これが八王子の地名の由来です。

 

 八王子神社を中心とした地域が八王子と呼ばれるようになったってことで、この八王子神社は八王子の原点。八王子市民にとって、とっても大切な場所なんですねおねがい

 

 さ〜て、さらに山頂の本丸址に向かいます。💦

 

本丸址とうちゃ〜く(^○^)

 石碑と小さな祠しかないけど、ここまで来たら、やっと登った〜!と気持ちが安らぎます。

 腰掛けて、ゆっくりお茶飲んで休んでから、下りに向かいま〜す。

 

冠木門です。ここをくぐると

御主殿曲輪です。
ここは、北条氏照公や執事が居住していた場所です。
ただの広大な原っぱだけど、復元的整備事業で、礎石や会所跡の床面など復元されています。
 
曳橋(ひきはし)。御主殿へわたるために城山川に架けられた橋です。
2016年に掛け替えとなった橋で、新しくてきれいです。
せっかくだから、この橋を渡りましょうてへぺろ
 
とうとうやってまいりました。「ご主殿の滝」
 
 天正18年(1590年)6月23日、豊臣軍の圧倒的攻勢のもと八王子城はわずか1日で落城してしまいます。
 ご主殿にいた女性や子供、将兵たちはこの滝の上で自刃し、次々と身を投じたと言われています。その血で城山川の水は三日三晩赤く染まったそうです。
 
こんな小さな滝で....?って思うけど、、、
悲しい歴史に思いを馳せ、手を合わさせていただきました。
 
この滝も最恐の心霊スポットと言われています。
写ってないよね滝汗
 
 そのまま下山して、八王子城跡を後にしました。
 予想していた以上にいい運動になったし、八王子の原点や歴史に想いを馳せることができて、とってもいい経験ができました。
 また行ってみたいと思います。
 
次は「宗関寺」です。
 
千弥香