今日は幼児教育隊員とのコラボではなく、うちの配属先だけのワークショップ。

 

パートナーのGさんと僕だけで試す経験も大切だと感じていたので好機ととらえよう。

 

 

と、そこにもうひとりの登場人物、配属先のマダム。

どうやら彼女もワークショップに同行するらしい。

 

 

マダムは謎の人で、僕と同じ部署の人かと思ったらちょっと外部の人っぽい雰囲気もあり、僕らとは別のルートで別の誰かに環境教育をしている人。

 

環境教育のやり方も独自の手法で、廃品で工作するのが得意技という印象だな。

 

僕のセンサーが(悪い意味で)反応して、今までの活動ではマダムとそんなに絡んでこなかった。

 

 

だって職場の彼女の部屋にはこんなものが飾ってある。

 

 

 

 

こういったものを作るのが彼女の仕事らしい。

ポリ樹脂系の素材で出来ている。

(どんだけ大掛かりなオブジェ作るねん!)

 

作品として良いか悪いか以前に、ただ飾られてるだけで(放置されてるだけで)環境教育としての使い道を感じられない。

置かれてる場所は一般の人が見れる場所じゃないし。

 

費用対効果の概念おかしいやろ的な。

 

 

そんな彼女主導で、彼女繋がりのとある保育園へ向かう。

 

 

促されるままにいつもの感じでGさんとワークショップ。

園児20人ほどに対し、『紙芝居・ゴミ玉入れ・ぬりえ』をする。

 

ちなみに打ち合わせらしい打ち合わせもなく。

マダムに振られたネタを堅実にこなすGさんと僕。

 

 

じゃぁマダムは何をしていたのかというと。

僕とGさんのワークショップの後で、同席していたママたち10人ほどに環境に関しての講義をしていた。

 

マダムの講義にあった興味深いトピック。

 

 

「リサイクルはとても重要です。なのでゴミは分別して捨てましょう。」

 

 

 

この国に来て2年ほど。

 

分別の推奨という講義は初めて聞いたかもしれない。

 

 

というのも、この国には分別収集のシステムがない。

というか、そもそもゴミ収集のシステムがない。(ほんとに)

 

 

国が収集に手を付けないので、先進国のNGOが丸ごと業務を引き受けている現状だ。

 

そんな国で唐突にゴミ分別の指導。

 

捨てた後にどんな手段で回収し、どうやってリサイクルする考えなのだろう。

 

 

 

マダム 「あなたも分別が大事だと思うわよね?」

 

僕  「、、え?」

 

 

 

マダムから不意にボールを投げられる。

 

 

 

2秒迷ったが。

 

 

「まずは分別よりもただゴミ箱に捨ててくれればいいよ」と言ってみた。

 

道にポイ捨てするんじゃなくて。

 

 

だって日本ですらまともにリサイクルできてないんだよ。

 

リサイクルにはエネルギーやお金がたくさんかかるし。

 

 マダムの言うように分別は大切だけど、まずはシステムの構築が先だよね。

 

 

 

投げられたボールをまるでドッヂボールのように全力でかわす自分。

 

 

特に揉めたりはしなかったが、びみょーな空気のままワークショップはシレっと終わった。

 

 

 

後日、信頼する上司にこのエピソードを伝えてみる。

上司は失笑しながらも、どうやら僕の意見に賛成らしい。

 

 

だったら組織全体での意思統一が必要だよねという話をした。

 

 

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「ゴミ拾いしなさい!」

ではなく、

 

「おなかが空いたよー。ゴミを食べたいよー。」

と遊びながらゴミ拾い出来る教材。

 

 

 

ゴミを食べさせた瞬間、子どもたちの脳内にドーパミンが形成される。

その快楽が記憶の断片に残り、ゴミ拾いが習慣化するというもの。

 

 

→実際の様子はこちら。

 

 

自分で言う。

 

僕には、子どもとすぐに打ち解ける才能がある。

(まだまだ褒められ足りないので再度しつこく言う)

 

 

なんとなく評判が良さそうなので『コツ』シリーズ第二弾を書く。

 

今回は小学生以上が対象である。

 

 

熱心な読者諸君はお気づきかもしれないが、今回のタイトルは『会話できるコツ』ではない。

『打ち解けられるコツ』だ。

 

時代はノンバーバルなのである。

 

 

 

小学生以上が対象の場合、僕の持論によれば『一発かます』しかない。

(グーじゃなくて)

 

 

何でもいい。

 

彼らが「コイツすげー!」と思うようなサムシングを見せつける。

 

 

サッカーが得意な人はどこの国に行っても強いだろう。

 

僕は残念ながらサッカーの技術は低いので、得意の空手を見せる。

するとあっという間に謎の東洋人としてジャッキー級の立ち位置になる。

 

 

「え、でも私には特技なんてないし。。」

 

そう思ったそこのアナタ!

皆まで言わずともわかってます。

 

何も心配はいりません。

 

 

とっておきの手品を紹介しよう。

 

誰でも簡単に真似できて準備もわずか5秒。(もちろん言語力も必要ない)

その癖して瞬殺でキッズのハートを鷲掴みにできるとっておき。

 

 

日本にいた時に勤めてた幼稚園の園長さんに教わった手品。

それを自分なりにカスタマイズしたもの。

 

 

用意するものは厚紙を小さく細く切ったもの(2ミリ×25ミリ)とセロテープ(5ミリ×7ミリ)だけ。

厚紙は帰国した専門家さんの名刺を使うのがちょうどいいだろう。(冗談ですよ!)

 

 

その紙切れを、親指の爪の下にこうやって貼る。

 

 

つぎに親指を掌の中に入れて、グッて持ったら準備完了。

 

 

 

「この紙よく見ててねー」って子どもの注意をひきつけ、一気にパッと放す。

 

 

すると手に持っていた紙切れがどこかに消えているというものだ。

消えたからには、パッと現れたりもする。

 

種明かしは単純で、ただ紙が死角に隠れたり見えたりしてるだけのこと。

 

 

そんなんで騙せるんかいなと侮るなかれ。

演技次第では大人にも通用する。

(紙が消える瞬間、あれ??と上を向いてキョロキョロする。紙はどこ?みたいな)

 

 

僕はこの手品を赴任当初から通算1000回はやっていると思う。(いやマジで)
今日も通勤途中に3回見せた。

 

 

 

これでアナタは一夜にして人気者の座に君臨できる。

 

 

ちなみにワークショップの小ネタとしても披露してるし、自作の紙芝居にも手品の要素があるので、子どもにマジシャンだと間違われることも多い。

 

 

 

プラス、手品でも何でも、やはり表情や醸し出す雰囲気が重要だということも補足しておこう。

 

 

たとえるなら、、やっぱりのび太のおばあちゃんなのだろう。

 

この世のすべてを赦す優しさと思いやりのかたまり。

失われし愛が具現化したキャラクター。

 

僕はのび太のおばあちゃん最強説をずっと提唱している。

 

 

のび太のおばあちゃんのようなおじいちゃんになりたい。

 

 

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つまらなかったらポチっとしないでいいからね。

 

こうなるといよいよ帰国までのカウントダウンって感じだな。

 

JICAからの帰国関連メールも増えてきて。

日本に帰ってからのスケジュールもポツポツ埋まりだしてる。

 

 

でも結局どんな仕事に就くかは未定のまま。

 

 

このままだと帰国後の進路は旅人が濃厚だ。

 

 

どうしよう。

 

他人事だったら笑える話なのに。

 

 

まぁいいか。

なるようになるだろう。

 

 

 

活動の話。

 

 

今までの人生を振り返ると、

 

僕はゴール間際で減速する傾向がある。

 

 

受験とかでも最後に油断したなぁ。

結局は心が弱かったのだと思う。

スポーツの試合とかは特に顕著。

 

 

あと少しで勝てる!みたいなタイミングで、なんか力が入らなくなる。

 

満足感の訪れが早いというか。

張りつめてる糸がぷつっと切れてしまう。

 

もっと向こうにてっぺんがあるはずなのに、なんとなくボチボチなラインで。

ここまで頑張ったしまぁいっかみたいにフェードアウトし、最終的に追い抜かれる。

 

 

 

むかし見た映画にこんな台詞があった。

 

 

多くの人は幸せを手に入れる一歩手前で、その幸せが怖くなって手放してしまうらしい。

 

活動を気持ちよく終えるということが真の幸せかどうかはさて置きとして。

 

ここらへんでもうそーいうのやめにしよう。

責任やプレッシャーから逃れようとせずに、望んだ未来を手にする勇気。

 

 

いまいちど自分と約束しておく。

 

 

減速しない。

置きに行かない。

怖れずに最後まで走る。

 

 

これはチキンレースだな。

 

不安に負けぬよう。

 

 

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あと1ヶ月なんで、ねぎらいの1ポチを!

『ありがたい』とは、『有難い』と書く。

 

読んで字のごとく、その語源は有るのが難しいということ。

 

反対語は『あたりまえ』とも言われている。

 

 

 

誤解を恐れずに言うならば、僕は『ありがたい』という感覚は必要ないと感じる時がある。

 

 

 

日本にいた時、僕には仲のいいおばあちゃんがいた。

 

血縁ではないのだが、家族のような関係だった。

 

 

ある時、

 

ことあるごとに「ありがとう」と言うおばあちゃんを、僕は鬱陶しく感じたことがある。

僕は当たり前のようにおばあちゃんの作ったご飯を食べて勝手に風呂に入ったりしてるのに。

 

そんな自分が図々しいと感じた時もあった。

 

 

これは別にどちらが間違いとかの話ではない。

どちらの気持ちも僕の中にはあった。

(ちなみに今も変わらず仲良しである)

 

 

 

この国で暮らしていると、他者同士で支え合うことを当たり前のようにしてる人が多くいることに気づく。

 

かと言って、感謝の気持ちもそこにはある。

 

 

 

何なんだろう、この感じ。

 

何の疑いもなく、微塵の迷いもないように見える。

 

 

 

僕は彼らが羨ましい。

 

 

 

『右足出して左足出すと歩ける♪』

 

そのくらいにあたりまえの感覚として、自分と他者が支え合える関係であるということをイメージしたい。

 

もちろん感謝も忘れずに。

  

 

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