脚本は三谷幸喜氏だけあって、
どのキャラクターも個性溢れて魅力的!
脇役なのに、主役のように心理描写が丁寧に描かれている✨
現実の世界でも、ひとり、ひとりが主人公であって、
それぞれの視点から観た物語がある。
その主人公ひとり、ひとりに陰陽(善悪)は必ずある。
(無いとバランスが崩れて必ず問題が出るので、
100%善。100%悪。という出来事や人物は有り得ない。)
それを繊細に描写されているから、
キャラクターがリアルに活きていて、
歴史に実在していたけれど、物語上の話ではなく、
現代社会の日常と重なると感じることが多い。
「鎌倉殿の13人」の主人公、北条義時も、
現代社会の私の周りにも沢山いそうな人物像だと思う。
(私にも似てる部分があったりする…^ ^ )
今までの大河ドラマも、
今の大河ドラマも…(というか、様々な歴史から)
みんなそれぞれに「義」を抱いて行動していることが、仇となって返って来ていて、一見、不憫に感じるものの、よくよく観察すると、「因果応報」だな…と、切なくなりながら物語を観ています。
「義」=「我」
「道理(我)に従って行動する」という意味を持つ。
(自分ルールや自分モラル)
源頼朝の父、義朝は平清盛と共に「義」を持って
父・為義の首を切り、
その義朝は平清盛の「義」により倒され、
清盛(平家)は頼朝の「義」により滅ぼされる。
頼朝は「義」(というか不安や心配、疑心暗鬼)により、
味方であった上総広常をはじめ、義経など、
沢山の人たちを陥れ、殺める。…あぁげんなり
(上総広常や義経もまた、
生前は「義」を持って沢山の人たちを殺めているわけで…)
結局、源家は北条に乗っ取られ…
北条もいずれは滅びるわけで…
(北条時代も様々ないざこざ、暗殺などもあったわけで…)
信長、秀吉、徳川…
最後はやっぱり、して来たことの尻拭いがあり、
因果応報って、絶対にあるな。
と痛感させられるのでした。
なので私は、
自分に何か問題が降り掛かって来た時、
自分が気に掛かる出来事がある時、
他人のことより、それを通して自分を見つめ直し、
反省や気づきなどがないか…と、考察する癖があります。
(考察するとき、ぼやきも出ますけどね…💧)
自分にも必ず何か失態、反省することがある。
なかなか反省出来ずに、うっかり人を責めてしまうヘナチョコな部分もまだまだ沢山あるけれど、
物事の道理=物理的にも、
自分の目の前に現れた出来事というのは、
自分に無関係ではないことが証明される…のですけどね。(スピリチュアルでもなんでもなく、科学で証明できるものなんです。)
同じ周波数は引っ付くという法則があるので。
(違うといっても、物事の道理。法則ですから…1+1=2と同じ。)
なので、他人をせめるより自分(の周波数)が変わらないと、歴史は繰り返されるのだな…と、
上総広常(佐藤浩一さん)や、木曾義仲(青木崇高さん)や、源義高(市川染五郎さん)が亡くなるシーンに…
無性に切なくなるのでした…
(好きな俳優さんばかりが早く消えていくー)
あぁ、切ない… 愛