「観過ぎだよ!」と周囲に突っ込まれつつ、
鬼滅の刃の映画を、先日、16回目を観に行ったのだけど…
(多分、まだ観に行くけど…なんか日課みたいになりつつあるかも💧もう、私の中で教典と化してる^ ^💧
ちなみに16回も観ると、激しいアクションもスローで観え始めました…)
私には、それを何回観ても、
そこから得る感動が増すばかりなんだよね✨
でも、私の彼はアニメを全話観た後で、
「ところで主人公って誰?」とか、
(ウソでしょ💦おい✋おい✋💦)
私が好きな煉獄杏寿郎さんを
「愛さんが好きなキャラって禰󠄀先輩だっけ?」って、
誰だよ!禰󠄀先輩って?!!というくらいに作品に集中出来ず、
それでも本人は映画を観たら感動するに違いない…と
ひとりで車で一時間かけて映画を観に行ったらしいけど、
魘夢の「お眠りぃ〜」というセリフを聞いて、
ホントに血鬼術にかかり、爆睡…
目覚めたときには、炭治郎の「煉獄さーん!!」と
心の中で叫んでエンドロールという…💧💧💧
殆ど観てないやんけー!!!
と、、まぁ、人それぞれなわけで!笑
そんな16回目を観た翌日、
たまたま鬼滅の刃の作品を考察する人たちのやり取りをSNS上で見かけたのだけど…
それは違う!とか、
いや君こそ理解出来ていない。とか、
しまいには、君はバカだの、あなたはウ◯コだの、
罵り合っていて、残念だなぁ〜…と思いながら、
こんな時、君たちや私たちの尊敬やまない煉獄さんだったら、何というだろう?と、私の角度から想像してみた。
「うむ!そんなに(互いを罵るほどに)作品を愛してくれて、ありがとう!!🔥✨」
と、皆んなの手と手を取り合い、繋げてくれる気がした。
その人たちの怒りや憎しみ、罵る向こう側には、
作品への愛のエネルギーを感じたんだよね。
感想や見解は、人の数だけ色々あるよね🌈
お互いに自分の見解を相手に押し付けあって、
お互いが受け入れられないからと、理解出来ない相手を罵る。
そんなやり取りを、たまたま見掛けてしまった私から観たら、
多角的に捉えると、両方の見解は両方とも頷けるものに感じたんだよね。
両方とも正解👍✨
この作品に限らず、何にでも当てはまることだから、
自戒の念を込めて改めて綴るけど、
対(たい)するものは、大概が対(つい)なるもの。
自分の意見を相手に受け入れて貰いたい時は、
上から目線では相手の心を「支配」出来ない。
「支」え合い、愛を「配」ることで、
相手は容易に心を開いてくれる。
相手の意見を理解したい時は、
あなたと私の「差」を「取り」、「悟る」ことが出来る。
私はあの作品で、様々なことを得ていると思う。
(あの作品に限らず、様々な漫画やアニメから沢山のことを学んでいるよ^ ^)
その中で、相手を受け入れる器の広さも
あの作品から共鳴されていると思う。
(なかなか完璧に実践できないけどね〜^ ^💧
ま、そんな自分も受け入れよう♡^ ^)
取り敢えず、論争でヒートアップしたら、
深呼吸して、バカやウ◯コは手放そう💩✨
うむ!間違いあるまい🔥✨
「もしも煉獄さんだったら…」をテーマとして作りました。
シリーズ化しよ〜♪ ^ ^
取り敢えず、1回目も読んでみてね♡
笑う身体作りの案内人
リウマチに見えないセラピスト愛