表現をされている記事をよく目にする。
そして、
「本能=下等動物」「知性や理性=高等動物」
の様な表現を見る。
さも人間が知性や理性を持つ高等動物で、
知性や理性を持たない本能のままに生きる動物が
下等動物だと表現する。
「本能」とは何ぞや?
辞書を調べる前に、
「本能」という響き(言葉の周波)を感じると、
多くの人間は生きる術を知る「本能」を
「感情や欲動」と勘違いされている気がしてならない。
そこで例によって徹底して「本能」を調べる私。
以前にも本能について持論を展開しているので
自分の過去記事も振り返る。
すると私の違和感による点と点がやはり繋がる![虹](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif)
![虹](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif)
辞書でも「本能」は…
またある辞書では、
本能の概念も時代によって変わって来ているとあり、
本能がどのようなものかあやふやな感じでしたが、
果たしてそうであろうか?^ ^
そこで面白い記事を見つけた![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
「衝撃!人間の本能は「壊れていた」」より抜粋…
『人間は大脳が発達しているため、感覚器官から入ってくる情報に対する抽象化が高度になります。
感覚器官からの情報がダイレクトに小脳に届く他の動物と違い、人間が本能だけで生きることができないのはこのためです。』
『猿も生まれただけでは猿ではない』(←クリック)
『生』=『無意識的』=『本能的』
故に『ありのままの自分=真我』では?
というような、
「本能と欲望(欲求)」の違いを私は以前から綴っていたけれど、
こちらの記事
『人間の本能は壊れてる?』では
「本能」と「欲動」について詳しく書かれていました。
人間が「知識」や「理性」を持つことを、
特別視するその慢心さを振り返ることが
ありのままの本能を目覚めさせ、
自然と調和し、
シンプルに生きる術なのかも知れない。
また、上記添付記事内に、
人間には「精神」があると綴られているけれど、
人間以外の動植物にも「神聖な精神がある」こと、
全てが平等の上で成り立っていることを忘れては、
生態ピラミッド(食物連鎖)の関係が崩れてしまう。
力や知識があるものが賢く偉いわけではない。
土台が崩れれば頂点も崩れてしまう。
この世は個であって全てが個の連鎖、
エネルギー循環で成り立っている。
本能とは仲間意識、協調性なのかも知れない
愛
![星空](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/122.gif)
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