自然農法と猟師の@門さん | チキチキ☆トレイン

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友達のブログから繋がった
@門」さんのブログに、
共感した記事が記載されていました。




@門さんは猟師をされているそうで、
必要なときにお肉を獲って頂いているそうです
ですが、猟はなかなか難しいらしく、
スーパーのように簡単にパック詰めにされた商品を
手に入れられるわけではないので、
猟師でありながら滅多にお肉に有りつけず?
自然とお肉を食べる機会も減り、、

猟師を意識しだしてから
あまりお肉を食べたく無くなって来たそうです;
(意外でした;)

私はベジタリアンを志し、
ゆくゆくはビーガンを意識していますが、
私は@門さんのような命を捕らえお肉を頂く方は
好きです
※猟師@門さんの記事「」「

余談ですが、
脱肉をしていると、よく質問されることがあります。

「食べられて良かった。と、他者に自分の
命を与えることに喜びを感じる魂(動物)もいるのでは?」

答えは「私」が同じように食べられる立場になれば
自然と分かることだと思います。

生かさせて頂いていることに感謝をしている私は、
命を全うしたい。と自然に感じます。

もし、誰かの為に命を捧げたいと思うのなら、
自分の為にお世話をしてくれたものの為に
捧げたい。
つまり、自分に愛を与えてくれるものに捧げたい。
愛するものへ捧げたい。
自分が信じるもの、守りたいものへ捧げたい。
(そう思うと「完全なる無条件の愛」って存在しないのかしら?^^;)

知らない誰かの為にお肉として
囲いの中で生産されることに喜びを抱けない。
痛いものに幸せや楽しさを感じない。
(人間が動物の立場ならこれは「事件」です

痛いものは痛い。・・・流石に、される側として
これに「観自在」になることは究極の悟りかマゾなのかも?;
そもそも観自在は
真我(ワクワクすること)に基づくものだと感じています^^;

私が鹿で猟銃を持った@門さんに出くわしたら、
「事故」に会ったと受け入れるしかありません。
ただ、@門さんのように、
最大限に感謝してくれるのであれば、
恨みや悲しみ、痛みは和らぐでしょう

「ごめんなさい」「ありがとう」と心から言ってくれる
@門さんを許し、キレイに食べてくれてありがとう
と思うかも知れません。
※質問に対する私の見解です^^;
猟師さんでさえ躊躇することなので、猟師をしないものは
お肉を食べるなと言っているわけではありませんよ



福岡正信さんを知って、改めて
植物や動物の命、また少子化対策として
人の命をコントロールするような「生産」よりも、
「自然」に生かさせて頂くことを
意識していこうと感じたのでした