「今の子は…」という言葉は
私は嫌いだ。
大人の都合のよい
言い訳にしか聞こえない。
私は思う。
ケースによっては
「今も昔も変わらないんじゃない?」と。
最近またイジメの問題で
「昔のイジメはよかった。今は陰湿で…」
という大人の発言がTVや周辺の会話で耳にするけど、
そんなことを言う大人は
虐めた側のガキ大将か、ただの傍観者か、
もしくは陰湿なイジメをたまたま受けていないか、
そんなところじゃないの?と思ってしまう。
イジメを受けている方は
イジメに昔も糞も、イジメに良いも糞もない。
と感じる。(↑下品でごめんなさい;)
私の昔も、陰湿なイジメや事件が沢山あったし、
今の大人の世界だって陰湿なイジメが沢山ある。
TVの情報があまり無いその昔も、
実はあったんじゃない?と感じる。
今のイジメは暴力や犯罪というけれど、
戦争という暴力はどうなのだろう?
よく戦争という殺人を「仕方が無かった」と
正当化している大人もいるけど、
勇気を持って暴力に反対をし、
非国民として酷い拷問を受け
亡くなった人たちも沢山いたという話しも聞く。。
だからといって戦争をした人たちを責めることは
戦争を体感したこともない私が思うことはないのだけど…
ただ、昔のソレはよくて、今のソレはよくない。というのは
何かを棚に上げて何かのせいにばかりしているような気がして、
言い訳ばかりして反省も進展もない、
そんな違和感を持ってしまう。
という意見をいうと、
「今は子供がそういう暴力をするからオカシイ☆」
という話しになるのだけど、
では、そういう大人ならおかしくないのか?
そもそも、そんな暴力をしない子は、
大抵はそんな大人にはならないよ。と思う。
私の知り合いのある年配の男性はその昔、
今の大人が正当化する「ガキ大将」であった。
彼は大人になり大企業に勤め、人柄も良いため
出世の道へ一直線に進む順風満帆の人生を送るハズだった。
しかしある日、昔彼がガキ大将だったときの
彼的には「からかっていただけ」の当時のイジメられっ子から
その頃の積年の怨みつらみが書かれた投書が
会社の上層部へ送られてきて上司から呼び出しをくらい、
その上、大人になったそのイジメられっ子は
彼の家にまで押しかけてきて、その後彼は鬱になってしまった…
ということがあった;
人やケースにもよるけれど、
傷つけた方は忘れてしまうことでも、
傷をつけられた方は、なかなか忘れられるものではない。
ということだ。
きっと私にも、私が気づかないうちに
傷をつけてしまった人たちもいると思う。
そして常々感じることは…
先日も新幹線の中で大声で携帯電話で話すお婆さんや、
あるカフェで、
手操作で自動開閉するタイプの自動ドアで、
その押しボタンスイッチを手で触れることがしんどかったのか、
それともただの横着なのか、(多分後者だろう…;)
1メートル離れたところから持っていた杖を振りかざして
杖でボタンを押したお爺さん…
(汚いなー>0< なんて呆れたマナーなんだ☆;苦笑^^)
そんな若者の手本となる先人たちを
たまたま見かけると…
今も昔もないんじゃない?
と切実に思う。
逆に、今の若者だって素晴らしい子たちは沢山いるし、
昔の人だって、尊敬する人たちは沢山いると思う。
若い頃、悪さをしてしまっても、
自分の中の正義という「良心」に気づき、行いを改めて
成長していけばいい。
それは大人になって気づいても出来ること。
(「歴史」も同じことで、
同じ過ちをしないように歴史を知ることは大切だと思う。)
私は、この年でもう遅いからと開き直ったり、
自分のことはあれこれ言い訳して、
若い子は…と自分を棚に上げて魂の成長が無いより、
気づいた時点で改めることが出来る大人でありたい。
だって、
今の大人は昔の「今の子」なのだから
バンバン☆