
結論から言えば秋だから寂しいのではなく、寂しさとは自分自身が引き寄せそうさせている、のだと私は考えます。
今の私は自分の中の可能性を引き出す事で精一杯で、寂しさを感じる余裕すらありません。
目の前に現れた出来事を好機と取るか、手を出さずに見送るのか、一歩前へ踏み出し未知なる先へ歩き出すのか、今までの自分のままでいるのか、未熟な私は常に期待と不安のせめぎ合いの繰り返しです(苦笑)
確かに秋は春のように鳥達のさえずりが聞こえるわけでもなく、夏のように煩いほどの蝉の鳴き声が耳に入るわけでもありません。
木々の葉は枯れ始め、落ち葉を踏むカサカサという音に一抹の不安と寂しさを感じます。
自然と顔は俯き加減になり、心なしか前を歩く皆さんの背中も寂しげに見えて…
「…うわっ!誰かギンナン踏みやがったな!くそっ!」

顔を上げると、目に前にはたわわに実ったギンナンが目に入りました。
「わぁ~拾って良いですか?炒ってって食べると美味しいですよね!」
「くくっ…お前は万年色気より食い気だな」
「雪村君、我々は遊びに出ているのではないのですよ」
「良いじゃねぇか。留守番ばっかでふて腐れてる総司への土産だ」
「…沖田さん、喜んでくれるかな…」
先の見えない不安はけして拭い去る事は出来ないけれど、私は一人ではないから大丈夫。
だから寂しさは感じない。
きっと大丈夫。