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十六夜の夜、ひとつの別れを迎えた。
雲が月を隠すように、その人は姿を消した。
私は泣き笑いの顔で、立ち去るその背を見送った。
人と出逢えばいつかは別れが訪れる。
ちゃんとわかっている。
充分理解出来ている。
それでも別れの場面を迎えた時、私の心の中はぽっかりと穴が空き、酷い虚脱感に襲われ、立ち止まってしまう。
過去に囚われたままでは前に進めないとわかっているのに、思い出に縛られてしまう。
誰もがそうなのだろうか。
心強くあれば…過去を振りきり、真っ直ぐ前へと歩き出せるのであろうか。
雪が大地に舞い降りる様を眺めていた私は、ふっとある詩(うた)の一節を思い出していた。
「雪月花の時 最も君を憶う…」
居なくなってしまった友を想う詩だと、私はそう夢の中で聞いた。
その人はきっと大切な友人を想って、この詩を口にしたに違いない。
雪が舞い散る中、その人は私に背を向けたままそれ以上何も言わなかった。
今ならわかる。
言えなかったのだと。
友を想うあまりに涙が零れそうだったから…それ以上の言葉を続ける事が出来なかったのだと。
「おや?千歳君は白居易を知っているのかい?」
「はく…きょい?」
気がつくと、私の隣には山南さんが佇んでいました。
「白居易は海を渡った向こうにある大陸に居た詩人ですよ。白居易の名までは知らないのかな?」
「すいません、何も知らなくて…。夢で…夢で聞いたんです。友を想う詩の一節だと。それで雪を眺めていたらなんとなく思い出して…」
「雪、月、花…美しい情景を思い起こさせる言葉であるけれど、この語句は喜びも哀しみも連想させるね」
「そう…ですね。綺麗で、悲しい。私にとっては恐怖と苦しみも伴なうけれど…」
「あぁ…土方君達が君を見つけた時は雪がちらつく月夜でしたね。白く染まった大地に赤い花がいくつも咲いていた中に君が居たと、沖田君が言ってましたっけ。あぁ、失礼。思い出したくない事を思い出せてしまったかな?」
「いえ、大丈夫…平気です」
「そう」
山南さんは静かに言葉を続けました。
「私も丸暗記しているわけではないのでね、幾らか抜けている部分があるかもしれないが、君が先ほど口にしていた詩の前後はこうなのだよ」
五歳優游 同に日を過ごすとも
一朝消散して 浮雲に似たり
琴詩酒の友は 皆我を抛つ
雪月花の時 最も君を憶う
幾度か鶏を聴き 白日を歌う
またかつて馬に騎り 紅裙を詠ぜり
呉娘 暮雨蕭蕭の曲
江南に別れてより さらに聞かず
「悲しい詩ですね。美しい情景の中に思い出はあるのに、それが憂いをも引き起こさせる」
「そうだね。でも人は何時かはその憂いを癒し、前へと進んで行く。しかし思い出は消えない。忘れずに思い出せるのであれば、それは憂いではなく喜びへと繋がるのだと、私は思うけどね。君にこの詩を教えた人もそうだと思うよ。君が耳にしたその時は悲しみしかなかったとしても、その先には嬉しい事が待っていると私は思うがね」
「そう…ですね」
唇を噛み締め、俯いて涙を堪える私の頭を、山南さんは軽くぽんぽんと叩きながらこう言いました。
「君の身に起こるすべての事柄は、今の君に必要な事です。だから辛くとも受け入れなければならない。君自身が受け入れられなければ、君に起きた変化を良いものへと変える事は出来ない」
「…」
「変化を良いものに変えて行くのでしょう?口にした事は成さなければならない。成してこそ誠になる。そうでしょう?」
「はい…そうです。私、もっとしっかりしなきゃ…あぁっ!私、食事の準備をしなきゃいけないんだった。今日は沖田さんも食事当番なんですよ。また滅茶苦茶な料理を阻止しなきゃ。では失礼します!」
「あっ…千歳君…」
山南さんは何か言いかけた気がしたけれど、急いでいた私はそれに気がつく事が出来ず、勝手場へと走り出しました。
「ふぅ…行ってしまいましたね。少しでも元気が出ればと思いましたが…今の貴女にわざわざかける言葉ではないのかもしれませんね。縁があれば…きっとまた会えます。別れは出会いの始まりと言いますから」