言えばことの葉となりて | 千歳日記

千歳日記

この先にある未来を…

たとえどんな未来でも私は見届けてみせる

最後まで…必ず

古くは言葉を表す語は『言(こと)』でした。

『言(こと)』には『事(こと)』と同じ意味があり、事実にもなりうる重い意味を持つようになりました。

それに軽い意味を持たせるために『端(は)』をつけたし『ことば』となったと考えられています。

『言葉』『事羽』『辞』『詞』『ことば』『言の葉』

ことばを表す漢字や文字は色々あります。

その中で『言葉』が残った理由は、私がここに来た頃に土方さんから教えていただいた通りです。

古今和歌集の中の

やまとうたは ひとのこころをたねとして よろずのことの葉とぞなりける

という歌に表現されているように、『葉』が豊かさを表すためだと言われています。




人の紡ぐ言葉は不思議です。

同じ言葉でも心に響いたり素通りしたり、涙を誘ったり怒りを感じたり、恐怖を覚える時もあれば喜びに打ち震える時もあり、人を傷つけたり癒したり。

紡ぐ人が変われば感じ方も変わる。

受ける人が変われば言葉の受け方も変わる。

音に乗せることにより多くの人の心に伝わったりもする。





私の言葉が誰かを傷つけたなんて事は、数え切れないほどたくさんあります。

言葉は軽くて重い。

粗雑に扱えるからこそ、大切に扱わなくてはならない。

それを忘れてしまった時、言葉は人を傷つける武器となるのです。

その反対に私が誰かの言葉に救われた事もたくさんあります。

言葉とは不思議と自分が欲している時に与えられるように感じます。

求めているつもりはないのですが、なんでだろう本当に欲しい時…いえ…その言葉が必要だとされている時に私の元へと届くのです。

言葉は生き物だから、自分の意志で必要な時を計っているのかもしれません。

それとも…言葉を紡ぐべき時をその人達は知っているからでしょうか。





言葉は文字の通り葉っぱみたいですね(笑)

人の心に言の葉が生い茂り、そして花が咲く。

それは大輪の花だったり小さな花だったり。

その言の葉に力があれば…花はきっと枯れることはない。

長い時代を超えても人が紡ぎ続けた言葉は色褪せることなく、時を越えて多くの人々に愛されるのですから。

$千歳日記

あなたが私にくれたように、私も誰かに優しい言の葉を贈りたいのです。

大輪の花を咲かせずとも、たった一枚の花びらでもいいから…あなたのように…。