俗に煩悩は百八つあると言われ、除夜の鐘を百八回衝くのは百八の煩悩を消失するためと言われています。
実際には時代、宗派、教派により数はまちまちで、少ないものは三つ、通俗的には百八、多いもので六万四千と言われているそうです。
三つは少なすぎ、しかし六万四千をもの煩悩は、どんなものかさえ想像がつきません。
煩悩の根源、すわなち『人間の諸悪の根源』は三つあり、【貪欲】【瞋恚(しんい)】【愚痴】この三つを合わせ三毒と呼びます。
私は【愚痴】とは文句や悪口の事を指しているのかと思っていました。
仏教において【愚痴】は物事の正しい道理を知らない事、物事を正しく判断出来ない事、すわなち『愚か』で『万物の理に暗き心をさす』を言うのですね。
【貪欲】は必要以上に求める心。
【瞋恚】は自分に背く事があればすぐに怒る心。
要するに自己中心的な考えから煩悩は生まれ、人は心身を乱し悩ませるというのです。
人を思いやる
誰かを思う
それは人の心に自然に湧き上がる感情だと思っています。
しかし人は知らず知らずの間、その先に見返りを求めてしまう。
自分に向けられる形ある何か。
自分への優しい言葉、自分にとって都合のいい言葉。
例えそれが世辞であったとしてもそれを自ら求め、与えてくれる人の元へ集う。
そんな事を…なんとなく考えてしまいました。
そんな風に考えている、私の中にあるそれさえも【煩悩】なのでしょうね(苦笑)
何も知らなければ、私は何も考えずに安穏と過ごせる。
何も感じる事が出来なければ、最初から思い悩む事もない。
でも何も知らなければ、何も感じる事が出来なければ、私は小さな箱庭で優しく笑うただの人形でしかない。
知れば惑い、疑い、それが私の心の中に黒い影を落とし、自分には関係ないと目を逸らし目を瞑っても…酷く心を乱す私がいるのです。