京の街めぐり -壬生寺~蛤御門- | 千歳日記

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この先にある未来を…

たとえどんな未来でも私は見届けてみせる

最後まで…必ず

八木邸より少し進み、壬生寺へとやってきました。


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壬生寺は新選組の兵法調錬場に使われていた、相撲興行を企画した、沖田総司が境内で子供達と遊んでいたなどの逸話が残る事で有名なお寺です。


壬生は新選組が屯所を構えた場所として名を馳せましたが、元々は壬生狂言で有名なんだそうです。


能と狂言を総じて能楽と呼びます。


音楽的、舞踊的なものを【能】、滑稽な対話劇を【狂言】、そして【壬生狂言】は台詞のない無言劇です。


近藤勇を始め、多くの隊士が壬生寺で壬生狂言を鑑賞したと言われています。


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ちょうど休日前という事もあり、広々とした境内は静かでした。


壬生に屯所を構えていた頃が新選組にとって栄華を極めた時期でした。


当時の壬生寺はきっと多くの隊士達の声、遊ぶ子供達の笑い声が響き渡っていたのでしょうね。


右側の授与所には新選組関連の書物が販売されており、地下は壬生寺歴史資料館で、壬生狂言の面の展示、新選組に関する資料が少しあります。


その奥の壬生塚は初代新選組局長芹沢鴨と副長助勤平山五郎の墓、池田屋騒動で亡くなった隊士の合祀墓、新選組局長近藤勇の胸像などがあります。


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この後は御所近くへ移動です。






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御所に九つある内の一つ、【蛤御門の変】または【禁門の変】の舞台となった蛤御門です。


元治元年(千八百六十四年)京を追われた長州藩が形勢挽回のために京に兵を進め、会津・薩摩藩などの兵と蛤御門周辺で交戦して敗れた事件です。


この後第一次長州征伐が行われました。


【蛤御門】の名称は江戸の大火で初めて開門された事から『焼けて口開く蛤』にたとえ【蛤御門】と呼ばれるようになりました。


ここで新選組関連の名所巡りは終わりですが、京の街めぐりはもう少しだけ続きます。