京の街めぐり二日目です。
まずは四条大宮にある、新選組総長山南敬介と縁のある【光縁寺】にお邪魔しました。
ここは山南敬介の他、数名の新選組隊士が埋葬されています。
光縁寺は観光目的ではなく、あくまでも『隊士の墓参り』を目的とした上でしか入れません。
玄関横の小さな戸口から中に入ると住職さんが現れ『墓参りが目的か?』と念を押されました。
百円を払い(百円払うとお墓参りが出来ます)、案内書をいただき簡単な説明を受けました。
なぜ光縁寺が山南さん縁の寺かというと
当時お寺の門前近くに新選組の馬小屋があったため隊士が往来していた事、瓦に山南家と同じ『丸に右離れ三つ葉立葵』の家紋があった事、当時の住職が山南さんと年が近かった事。
そして葬式に出せないほど困窮した人達が寺の門前に死体を放置する事が度々ありました。
当時の住職はそのような死体も分け隔てなく弔っていた事もあり、山南さんの紹介で屯所で切腹した隊士を弔い埋葬されるようになりました。
皮肉にも三人目の埋葬者は山南さん自身となってしまいました。
油小路の変で命を落とした御陵衛士伊東甲子太郎、藤堂平助ら数名も同寺に埋葬されています。
しかしどれか誰の墓なのかは不明のようです。
山南さんのお墓は墓地の奥にあります。
長年の月日を経てひびが入り風化した山南さんのお墓の前に立つと、自然と涙が込上げてきました。
本堂周辺に戻ると『本堂に山南さんの位牌があるから、お焼香していくか?』と声おをかけられました。
ご好意に甘えで本堂に上がらせてもらいお焼香を済ませた後、住職さんの集めた幕末関連の書物を少し拝見して、光縁寺を後にしました。
前川邸の前を通過し(前川邸は私有地のため一般公開されていません)、八木邸へと向かいます。
八木邸では浪士組が上洛した経緯から上洛芹沢鴨暗殺までの説明を受けます(私は途中から参加したので、最初の十分ほどは聞き逃してしまいました)。
芹沢鴨が暗殺された部屋、暗殺事件の夜についたという鴨居の傷、芹沢鴨がつまずいた文机を見学して説明はは終了。
後は自由に部屋の中を見学させてもらいました。
芹沢さんは最初に襲われた部屋から廊下を伝って隣の部屋に逃げ込み、部屋の端にあった子供の机につまずいてとどめを刺されたそうです。
もしあの場所に机がなく、芹沢さんが逃げ切ったとしたら…歴史はどうなっていたんでしょうね?
あの時代の家は天井がずいぶんと低く作られています。
当時の平均身長が現在より低いからが理由らしいですね。
私は背が高い方ではありませんから、鴨居に頭をぶつける心配はありません。
しかし土方さんが当時の人間としては長身の百六十八㌢、沖田さんは同じくらいか五㌢ばかり高かったとか…おそらく酷く狭く感じたのでしょうね。
休養を強いられ暇を持て余した沖田さんがもし部屋の中で刀や木刀を振り回し剣の稽古を始めたら…部屋の中は滅茶苦茶になる事間違いなしです(汗)。
やっぱり斎藤さんに全力で止めていただくしかなさそうです(苦笑)
説明の後はいただいた茶呈券でお抹茶と屯所餅をいただきます。
屯所餅は簡単に説明すると、京野菜の壬生菜を練りこんだ柔らかい大福餅です。
次は新選組縁のお寺、壬生寺へと向かいます。