先日のぶろぐねたにて、私は撃剣師範 沖田総司 さんを『青い焔』に例えました。
『沖田総司』には赤が似合うけれど、彼は赤ではなく『青く燃える焔』だと。
赤い焔を誰かに例えるなら、私は芹沢鴨がそうだと思います。
私は芹沢さんに会った事はありません。
書物の中で生きる彼の事や、いろんな人の口伝で聞いた彼の姿しか知りません。
傍若無人
一言で言えばそんな人なんでしょうか?
力士相手に乱闘を繰り返したり
いきなり大砲を打ち込んだり
宿が取れなかった事に腹を立て、建物を壊し篝火を焚いたり…
これは創作の可能性もあるそうですが、芹沢さんならやりかねないですよね(苦笑)
彼は何故思うままに振る舞い、力を見せつけ、好き勝手に生き、仲間の手により粛清されたのか…。
梅毒に冒され、自制が聞かなかったという話も聞きます。
しかし私は、こう思いました。
彼は自分があとどのくらい生きられるのかを知っていた。
あの夜、自分が粛清される事を予感していたのかもしれない。
だから最期の時まで、命の炎を燃やし続けようと激しく生きたのだと。
死ぬとわかっていたから、この炎が消えるまで自分は生きるのだと
自分の最期の姿を彼らに見せつけるため、激しく燃え尽きたのだと…そう思いました。
これは単に、私がいくつかの書物を読んで自分が勝手に思った事です。
本当の姿は、きっと共に戦い生きた彼らが一番良く知っています。
あの夜、芹沢さんに手をかけた土方さんだけが…
芹沢さんの本当の心中を知っているのかもしれません。