神無月の始まり | 千歳日記

千歳日記

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去る十月一日、神無月の始まりの日の事です。

神無月の謂れは、『出雲の出雲大社に全国の神様が集まって、一年の事を話し合うため、出雲以外の地には神様が居なくなる』という説が一般的のようです。

出雲では『神在月』と言うそうですよ。

新しい月の始まりの日の朝、私は心も新たに仕事に取り組んでいました。

しかし夕刻から心の中に引っかかったものが少し重くなり、気持ちがだんだんと沈んできました。

皆さんと楽しく夕餉の時間を過ごし、お湯もいただいてさっぱりとしても、なぜか気持ちが晴れる事はありません。

私は気分転換にぴぐ活動をする事にしました。

友人が風邪をひいたと聞いていましたので、お見舞いの品を持って部屋を訪れました。

モタモタと手紙を書いているうちに本人が現れてしまい…(笑)

体調が気になるものの、時間を経つのも忘れてたくさんお話させていただきました。

お互いの近況、そして私の心にひっかかっている正体の事…、それは彼女の心にも不安の種を落としていました。

日記で洩らした何気ない言葉、愚痴や泣き言が、見た人の心に不安の種を蒔いている事を、私はこの時初めて気がつきました。

言の葉は人の心に種を蒔き、芽吹き葉を生い茂らせ花を咲かせる。

陽の言葉が心を温かく癒してくれるのであれば、陰の言葉は心に暗い影を落としてしまう。

暗い影は人から人へ伝染し、その果てに生まれるものは…きっと混沌とした世界。

とは言え、私はただの人間です。

愚痴も言えば泣き言も言う。

悲しみも怒りも感じる。

しかしその感情をただぶつけても、意味のあるものは何も生まれないのです。


やまとうたは ひとのこころをたねとして よろずのことのはとぞなりける



いつか土方さんに教えていただいた和歌です。


和歌は人の心を種として、そこから無限に広がった言の葉という意味です。


和歌だけではなく、言葉も同じ


『ことのは』の『は』の文字が『端』から『葉』になったのも、言葉に『意味』という重みを乗せるため。


その重みは人を暗くするためではなく、きっとその言葉の中にある意味を感じて欲しいから…。


人の紡いだ言葉が人の心を傷つけるのであれば


人の心を癒すのもまた、人が紡いだ言葉のはず。


紡ぐのであれば、あたたかく優しい言の葉を


蒔くのであれば、美しい花が咲く言の葉の種を


いつかあなたの心に一輪の花が咲くというのなら


私はあなたの心に、あたたかな言の葉の種を蒔こう。


ありがとう


あの晩、貴女と話せてよかった


気がつかなくてはいけない事を


貴女が気がつかせてくれた













眠る前にこの日記を書くつもりでしたが、心が軽くなって少し安心したせいか、急に眠くなってきました。


時刻もおそらく真夜中に近い頃。


あまり遅くまで起きていると、土方さんに怒られてしまいます(汗)


明かりを消し、布団に潜り込み目を瞑りました。


うとうととする意識の中で、誰かの足音と話し声が聞こえる。


何を話しているのかわからないけれど、私の名を呼んでいる…気がする。


もしかしたら…夜更かししていた事を咎めにきたのかもしれない。


でも…もう返事は出来そうにない。


明日謝ろう。


そんな事を思いながら、私は深い眠りへと落ちていったのでした。











お話に夢中でお見舞いの品を渡す事…すっかり忘れてしまいました。


また改めて伺います。




千歳