(このタイトルで嫌悪感を感じた人は、速やかにページを閉じて、私をブロックしましょう。私はそーいう人間です)



2020年は、本当にデトックスの年だと思う。

私の膿もどんどん出て、こんなものまで出てくる始末である(笑)



私の判断基準は、全て、
「いじめられる可能性が、いかに低いかどうか」
である、ということ。だ。


(最低だよね。うん、知ってる。



でも、これが今分かる、1番本当に近い気持ち。

明るく振る舞うのも、元気な投稿をするのも、少しでも心配されたくないため。目立たなくするため。標的にならないため。
(最近はだいぶ本音な振る舞いができてきてる。これも膿出しの一環)

いじめられないために、あと、お母さんを理解するために心理学を修めたり。
仕事してないと浮くから、とりあえず就職したり。
別れる理由が無いから、交際してみたり。
連絡が来なくなったから、何となく放置したり。

SNSだって、企業支援で必須と言われたから始めたんであって、動機はそれ以外無いし。
友達申請も、よほどでなければ断らないし。
勿論、自分からは滅多にしないし。(過去10人以下だと思う)



何が言いたいかというと、

そこに私の意志は無かったんだ、ということ。

そこには恐怖心しか無くて、
いつもいつも、どうしたらいじめから遠ざかれるのか?ばかり念頭に置いていて。

イベント事とかあって、一瞬盛り上がったりもするけど、すぐに「いじめられる」の恐怖が来て、逃げたくなって。



明るくして、言いなりになっていれば、とりあえずはやり過ごせるから。




本当に本当に、世の中敵だらけだと思ってるみたい。




(今だって、職場の駐車場からブログ書いてるけど、誰かに見つかって声かけられたらどうしよう!って恐怖しかない)






そう。




私は、




誰かに見てほしいわけでも




誰かと絡みたいわけでもなくて



ただ、



ただ、



「いじめられない瞬間」を、1秒でも長く



継続させること「しか」考えてなくて。



そのために、



文字通り人生かけてて、



自己実現とか、
願望実現とか、
それっぽいことを言ったりもしたけど、



そんなもん、



いじめられない「ため」の言葉でしかなくて、



深い議論とか、意見のぶつけ合いとか、そんなんに興味は無くて、



ただ、



ただ、



今日も、当たり障りない1日だったと、



ホッとするだけの、



そんな毎日でしかないんだ。




その点、起業支援は良かった。
お金をもらうためという大義名分があったから、多少の無理は効いたし、煙たがられても納得できたから。


こんな、クソで弱い自分、とっくに死んだと思ってた。
でもまだ、しぶとく生きてた。


コメントとか、いいね!とかもらって、
「喜んでおいたほうが良い」んだろうな、
って、
損得勘定したこと、何度もあった。

(そして、そうした)




恐怖から生まれたものは、
必ず恐怖へ還る。




そして今、ものすごく恐怖が高まってて、
本当に、誰のことも信じたくない気持ちで一杯で。



SNSなんてやるんじゃなかった!って気持ちと、
やったから気付けたんだよ?って気持ちと、


もう、わけわかんない。



でも、1つだけ確実なことは、
やっぱり、いじめられたくない、ってこと。
5股が発覚して、
昨日からバンジーとオエゲロを繰り返して分かったこと。

私はどうやら、契約と博愛の世界「しか」知らなかったんだ、という事が分かった。

それはつまり、無条件な特別扱いを「許さない」世界。

私の場合、私が一方的に旦那が好きで、どんな条件も呑んだし、破格のアドバンテージも提示して、やっとこさっとこ結婚「してもらえた」と思ってた。

まさに、契約。

だから、いくら本妻とは言え、所詮は書類1枚で繋がった関係でしかないと思ってた。

彼に不都合が出たら、すぐに破綻するんだと思ってた。
でも、それでも構わないと思うくらい、私は彼が好きだった。

だから、5(以上)股って聞いたとき、私にできることは、彼に離婚を望まれたら、それを受け入れてあげること「だけ」だと思ってた。

でも、色んな人から「好きでもないのに結婚するわけない」って言われて、

一瞬

怖くなった。

私は、彼の派手な交友関係を承知で結婚した。
そのはずなのに、まさか「私の事も好きになって下さい」だなんて、契約違反だからだ。

そんなの、

結婚の約束に入ってない。

そんなの、

嫌われるに決まってる。

今以上に嫌われたら、

もう、本当に、どうして良いか分からない。

死にそう。妊婦なのに。

でも、でも、でも、でも、
お願いしてみるだけなら、何とかなるかも!

断られても、首の皮1枚、何とか繋ぎ留まれるかもしれない!

約2時間の自問自答の末、真夜中12時、彼の寝室に行ったものの、声をかけれず数分経過。

十数分経過。

結局彼が私に気付き、そのまま、涙と鼻水とヨダレと過呼吸でぐちゃぐちゃになりながら、契約違反を詫びた。

そして

「両思いになりたいです」

って

お願いしてみた。

そしたら、

「あのね、好きでもないのに、結婚なんかしないよ?」

って、

何処かで何度も聞いたような事を言われた(笑)

びっくりした。

私が、

私個人として好かれるなんて、

有り得ないと思ってたし、そんな概念自体、無かった。

私が、

"私だから"というだけで

特別扱いされるなんて、

そんな発想すら無かったし、

許されないと思ってたから。

まさか私が、

他人の心に

影響を及ぼすなんて、

そんなこと、

有り得ないと思ってたから。

だから、
いっぱいアドバンテージも上乗せしたし、
無理な条件だって呑んだし、

私は、

無力な私を自覚していたからこそ、

色んな事を頑張ってたのに、

それが、

まさか、

全部、

見透かされてたなんて。。。。。

なんとも言えない温かい気持ちが、

絶望感と、恥ずかしさと、ちっぽけな私を一瞬で包んで、

何かもう、そのまま、泣いて泣いて泣いて、
泣き疲れて、いつ眠ったかもよく覚えてないけど、

ちゃんと彼から

「好き」

って言われたのは、覚えてる。

(ノンフィクション/笑)

自分のこと、綺麗って言っちゃったら、負けな気がするの。
自分のこと、素敵って言っちゃったら、負けな気がするの。
万が一、他人に褒められでもしてしまったら、ゲームオーバーな気がするの。
だから、当たり障りの無い、ちょいクズなラインをせめてしまうの。

理由は分からない。
誰に、何故負けるのかも、分からない。

ただ、ただ、ひたすら、そんな気がして、理由も分からず抵抗を続けてる。

辞めてみようかな、負けてみようかな、って、思っただけで、虫酸が走る。(で、結局辞めれない

ブサイクって言われる方が、楽で簡単で。
最低なクズと言わせる方に、どうしても誘導してしまう。

あ、いっそ、突き詰めてみても良いな。
そんなにクズと言われたいなら、徹底的にクズをやってみるのもアリだな(笑)

その先に一体、何が見えるんだろう?


私は、1人目を帝王切開したけど、2人目は下から産みたいという、無茶な取り組みをしている。

前回お世話になった、管内の大病院は、
「とても危険です。他を探して下さい。」
と、危険人物扱い。

今後お世話になることもないけど、助産院は、
「うちでは対応できません。」
と、そもそも眼中にすらない。

で、
今回お世話になる個人院は、
「やってみましょう!ただ、万が一は覚悟して下さいね!」
ど、戦友のように扱ってくれた。

これ、産院選びだけの話じゃない!

自分のことを、どんな人物として扱ってくれるのか?
その環境は、選べるのだ。

もっと言えば、

自分が自分のことを、

どんな環境が相応しい人物だと思っているか?

が、そのまま現実になっている。

厳密に言うと、無意識に取捨選択しているのだ。

私は今回それを、強く意識して、やってみた。

むしろ、
今までしてこなかったからこそ、
強く強く意識しないと、負けてしまって、できなかったのかもしれない。

あぁ、すごいな。

たった1度の帝王切開で、
ここまで気付きがあるなんで。

そしてこれは、まだまだ途中で、
予定日(2月)までの数ヶ月、きっともっと、たくさんの気付きがあるんだろう。

それだけでも、頑張った甲斐があるってもんだ。

さぁ貴方は、
自分に、どんな環境をプレゼントしたい?
自分を、どんな人物として扱われたい?

そのために自分に、何をしてあげられる?

答えはもう、知ってるはず。

それを、怖がりながら、実行してあげるんだ。

やりたい事をやろうとすると、
普段しないような事をしようとすると、
ちょっと他人とは違うとこをしようとすると、

必ず出てくる、まとも警察。

「らしくない事をしたら、浮くよ?」
「悪あがきは、所詮自己満足だよ?」
「そもそも努力の方向性が違うけど?」
「後悔するようなこと、何でしたの?」

こーんな感じで、常に頭の中にいて、
私の言動のいちいちに、
フリーズ&ドライな突っ込みを欠かさない。

まとも警察がいたから、守られていたこともあった。
でも、それ以上に、逃したチャンスは膨大だ。

わかっちゃいるのに、追い出せない。

何故ならそれが「正論だし、一理ある」と、自分もどこかで思ってるから。
(その気持ちの化身が、この、まとも警察)

この警察の影響力を、せめてあと半分は削がないと、どんなワークやカウンセリングを受けても、無意味なんだと悟った。

例えば、仮に私が自撮りのワークを受けたとして、
その時この警察は、
「可愛く映る方法を知る前に、そもそも可愛くなれよ。映し方の問題じゃないんだよ。まぁでも他人様の手前、いいリアクションはするべきだ。」
などという具合で。

例えば、仮に私がメイクの講座を受けたとして、
その時この警察は、
「メイクが気に入らないと感じるのは、そもそも素材の問題だ。素材が良ければ、そもそも化粧などする必要は無いだろう?」
などという具合で。

例えば、仮に私がファッションコンサルを受けたとして、
その時この警察は、
「痩せてみえる服じゃなくて、そもそも痩せろ。肌が綺麗に見えるアクセサリーじゃなくて、そもそも肌を綺麗にしろ。」
などという具合で。

何をするにも、何を感じるにも、
「素材」「そもそも」
みたいなことで、縛ってくる。

【鼻からスイカ】シリーズの妹は、まさにこの化身(に、されてしまっている)!

一概に追い出そうとも思ったけど、私がそれに守られているのもまた事実であって、なかなか追い出しきれない。

きっといつか、影響力が逆転して、私の方が勝てるようになれば良いのだけど。

今はまだ、縛られっぱなし、なんだよな。


今日、産婦人科の検診だった。
今回分娩予約した病院は、帝王切開後の普通分娩を取り扱っている個人院。

産婦人科では通常、1度でも子宮にメスを入れると、普通分娩はそもそも受け付けない決まり。

理由は、子宮破裂の可能性があるから。

でもさ、その可能性って、一体どのくらい?

何人がチャレンジして、そのうち何人が止むを得ず帝王切開になっているのか?

そもそも、そういう症例を扱ったことのない施設の助産婦は、さも90%以上が止むを得ず帝王切開になっている、みたいな言い方をする。

本当にそうなのか?
ほんの20年前まで、当たり前だったのに?

そう思って、今日、分娩予約した病院の助産婦にも聞いてみた。

リアルタイムで実際に症例を扱ってる人から返ってきた答えは、
「年間12〜13人程度が挑戦して、止むを得ず帝王切開になったのは、3〜4人程度ですね」
とのことだった。

あぁ、やっぱり、人は「見たいように物を見る」んだなぁ、と、思った。

否定派は否定材料として、
肯定派は肯定材料として、見ている。

他人の意見は、あくまで他人のもの。
色眼鏡は多少なりとも「必ず影響している」のだ。

だからって、
私みたいな無茶を推奨する気は無いけど、

改めて、
多方面からの意見を聞くのは、自分の財産になること、
そして、
決めるのは自分でしかない、ということ、

これを、改めて痛感した。

人は、見たいように物を見る。

数字はその結果に過ぎない場合も、往々にしてあるのだ。


1人目のとき、促進剤で子宮は6センチ近くまで開いた。
妊娠中からお腹は全く張らなかったし、生理痛も体調不良が重なった時しか痛くなかったから、全く未知の痛みで最初は怖かった。

でも、数時間経過し、痛さの感じや、波を上手く捉えることができると、そこまで大変じゃなかった。(6センチまでは、ね。それ以降は知らん)

ちゃんと呼吸もできるし、「せーの!」って感じで来るから、後半は痛さと可笑しさでずっと笑ってた。←危
(旦那は、指紋が擦り切れるほど腰を摩ってくれていた。有難い。)

で、促進剤も8時間経過した頃、理由は分からないけど、何故か「手応え」を感じた。

(あー、このままいけそう。あー、これかー。)

ただ痛いんじゃなくて、何かが「来てた」。
そう思った途端、子供の心拍に異常。
そのまま手術となった。

あの手応え、何だったんだろう?

痛いのに、楽しかった。
多分、エンドルフィンが出始めたんだろうな。
痛いのに、冷静な自分もいた。
痛がる自分は外側の自分で、
確かに痛いんだけど、怖くはなかった。

ホルモンって、すごいね。
脳内麻薬って、すごいね。
って思った。

切開して取り出した子供は、
頭の形が少しいびつになってて、キューピーみたいだった。

だからやっぱりあの時、確かに「来てた」んだ。

あの不思議な痛み。

うーん。

痛みというか、ワクワク感?

うーん。

もう少し、重厚なワクワク感。

自分のことなのに、圧倒される感じ。
でも、恐怖じゃ無いの。

何だろ?
元気玉が自分の中で目覚める感じ?

うーん。分からん。

とにかく!!!

1人目は、陣痛を怖がることしかできなくて、結果的に途中リタイヤというかたちになったから、ある意味成就したんだろうけど。

次は、もう少し、楽しんで味わいたいな。

そう思える、不思議な痛みだった。

存分に陣痛を楽しんだら、
子宮破裂する前に、病院に着けるように頑張るwww←そこな


まともから外れたく生き方を教える教育機関は、今のところ、日本の何処にも存在しない。

でもだからって、まともな生き方だけが、正解でもない。

そして私は、まともじゃない方が、自然だった。

まともに生きようとすればするほど、退屈で。
かたや衝動的に選択した事が、後々大きな財産に化けたりして。

だからもう、まともに生きるの、やめようかな、って。
まともに生きるために、それ以上の犠牲を払ってる。
余計な罪悪感も作り出してる。
そして、退屈に負けて、無意識にまともから外れる。

なんだこの、しょっぱい自作自演は!!!

だったら最初から、まともになんか生きなくて良いよね。
私は生まれた時から、ジェットコースターみたいな生き方が好きだったんだ。

それを認めるだけだ。

それを認めるイベントとして、
さして意識もしなかった最初の出産で、帝王切開することで、崖っぷちの状況を作り出し、
妹の超絶余裕の安産で、それに拍車をかけ、
やっと(笑)人生最大級のイベントだと意識できるようになった。←今さら感ww

そっか。

そっか。

そういうことか。

この状況を「さぁ楽しめ!」という、
自分からの、挑戦状であり、ギフトだったんだ。

ここ数日、妹のことでジリジリしていた。
非の打ち所の無い妹の生き様と、
非の打ち所しかない(笑)自分を比べては、
モヤモヤ、グルグル、していた。

(挙句、本人にそのことを打ち明けるも、え?何でそれ私に言う?知らんしww過去の自分を悔やめよww  くらいのこと言われる始末www)

でもね、さっき気付いたの。
これって、私が妹に「言わせてる」って。

妹は、私の中の、まとも警察の化身だ!
まともでいなくてはダメ。
周囲に心配かけてはダメ。
周囲に迷惑かけてはダメ。
着々と努力すべし。
正論は正論なのだから実行するべし。
過失とリスクを洗い出し、改善回避に努めるべし。

こーーーーーーんな警察を、大事に崇め奉ってたわ!!!

うわーーーーーーー!!!

ショックーーーーーーー!!!

妹が、チート級安産を成し遂げて早半月。
(切開なし、促進剤なし、産後太りゼロ、半日寝たら全回復)

次の出産にあれこれ悩む自分との差に、
ジリジリしたり、落ち込んだり。

そんな気持ちを、妹に吐いたところ
「え?仕方ないでしょ。」とか
「私は超安産だったから分からないよー。」とか
「それを私に言われても困るんだけど。」とか

的外れ&迷惑感満載の返答が返ってきて、
一瞬ひるんだけど、

なんか、パッカン、きた✨✨✨

成績優秀、スポーツ万能、美貌人望まで兼ね備えた、完璧な妹。
長い間、彼女の生き様が、私の中の「正解」になってしまってたんだ。
家族もそれを正解としてきていたし。

でも、そんなこと無かった。

私は、他人が自分を頼ってくれたら、
せめて気持ちくらいは共有したいと思う。
役に立てなくったって、一緒に泣いてあげることはできるし、そうしたいと思える自分を、今まで押し殺してたんだ。

傷口を痛がる人に病院をすすめる前に、
転んで泣いてる子供に絆創膏を貼る前に、

「痛かったね」って。
「驚いたね」って。
「大変でしたね」って。

そうやって言ってあげたい自分を、
そうやって言ってほしい自分を、

今まで散々、押し殺してたんだ。

そんな、
何の役にも立たないけど、
ただそばで、
背中をさすってあげることしかできない、

そんな私、おかえり。

勉強もスポーツもできないし、
美貌も人望も無いけど、

それでも私は、
こんな、道化でしかない私は、
こんな、いるだけ邪魔な私は、
そんな自分を、許してあげても、良いよね。