いわせてもらいます | 天守閣から、こんにちは!

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「株式会社チエル」社長が、業務 のこと、北海道観光のこと、日々のことを綴ります。

今日から8月ですねやしの木

 

 

 

 

今年は梅雨明けが遅くて、

なのに

いきなり猛暑到来晴れアセアセ

 

 

 

 

コロナ禍も加わって

しんどい夏になりそうですが

負けずに乗り切りましょう!!

 

 

 

 

 

                        夏はホッカイドー

 

 

 

 

 

今朝の全国紙日曜版

“いわせてもらお”から

 

 

 

今年、孫が小学校に入学し、

6月に入ってようやく登校が

始まりました

朝早く起きて準備も万端、

登校が待ちきれない様子です

 

ある日の朝は

「なぜお前はそんなに進むのが

遅いんだ」と

時計に怒っていました

 

 

 

もう一つ

 

 

 

水泳が趣味の妻(79)は、

年中新しい水着を買ってくる

 

帰宅するやいなや洗面所で

新しい水着に着替え、

居間に現れると私に向かって

「どう?」と聞いてくる

水着のデザインは素晴らしいが、

感想を求められても・・

            (84歳)

 

 

 

 

 

 

話変わりますが

台湾を民主化に導いた

李登輝元総統が

他界されました

 

 

 

 

 

台湾は

1894~1895年に

繰り広げられた日清戦争の

結果として日本の統治下に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして

第二次大戦後

日本の支配下から離れた

途端に、今度は中国国内

での政権争いの中で

中国大陸から逃れてきた

国民党政権の支配下に

置かれることになりました

 

 

 

 

 

そんな激動の歴史の中を

生き抜いてきた

李登輝元総統

 

 

 

 

 

若い頃は日本にも留学し、

学徒出陣も経験

 

日本語を流ちょうにこなす

親日家でもありました

 

 

 

 

 

そこで気になったのは

全国紙のA新聞社が

この元総統の死を悼む

記事の中で盛んに

“日本の植民地時代”

という言葉を使っていたこと

 

 

 

台湾は日本の植民地?

 

 

 

 

昔のイギリスやフランス

のように、アジアや

アフリカの地域を侵略し、

愚民政策を取り続けて

反抗できないようにし、

富と資源を収奪し続けた

わけではありませんよ

 

 

 

 

 

台湾は、日清戦争の

処理の結果として、

当時の中国(清)と日本が

下関で条約を結んで

日本の統治下に

置くことに決めたもの

 

 

 

 

 

その台湾で日本は、

灌漑用水路を整備して

地元の農業の発展に

努めたほか、

鉄道を敷設したり、

学校を建設して教育水準の

向上にも力を入れました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ですから台湾には

元総統をはじめ親日家が

多いのです

 

 

 

 

 

もちろん

日本の統治を歓迎しない

人がいたこと、

そして、いまでも

いらっしゃることは

確かですが、

生意気にも言わせて

もらうとすれば、

“日本の大新聞たるものが

軽々に植民地などという

言葉を使っては

いけません”

 

 

 

 

 

親日家であり、日本名も

持っていた李登輝元総統が

日本と日本の政治家に

こんな言葉を遺してくれて

います

 

 

 

“日本はアメリカの

 ほうばかり

 見ていていいのか?”

 

 

“日本の政治家は

 小手先のことばかり

 論じている”