「信」の背景?!
おはようございます。
長い間お休みさせていただき、
ありがとうございました。
皆さまにはご心配をおかけしまして
申し訳ありませんでした。
お陰さまで体調も回復して参りましたので、
本日から再開させていただければと思います。
よろしくお願いいたします。
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全力でぶつかり合う!?
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(参考)
大相撲で力士が全力でぶつかり合う。
そんな激しさが禅の修行にもある。
禅問答などはその類である。
全力でぶつかり合えるのは、崩れること
のない土俵があるからだ。
老師と私と、三十年来、背かれたと思う
ことは数知れず、こちらも背いたと思わ
れたであろう。
しかし、それでも全力でぶつかり合えた
のは、お互いに信じ合っていた土俵があ
ったのだと、師の棺を蓋って気がついた。
信が土俵なのだ。
三喚の声――耳に聞こえる老師の声
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺
『1日1話、読めば心が熱くなる
365人の生き方の教科書』 藤尾秀昭 監
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「信」というのは、人生において
とても大事な「徳目」のひとつですが、
実際には、
「信じ続ける」ということは
そう簡単なことではありません。
何事も「うまくいっている時」は
問題ありませんが、
「何か不都合でもある」と、
そこから急に綻び始めるものです。
「信」も同じで、今日まで
「あんなに仲良くやってきたのに」
と思っても、ちょっとしたことで
簡単に崩れてしまいます。
その一方で、
どんなに罵り合った時でも、
戻るときは、あっさり戻ったりもします。
これは、
「相手がどういう人であるか?!」
ということよりも、
「その人とのご縁」を何となく感じる
という何かが支えになっているようです。
実際には、いろいろありますが、
この
「何となく感じるご縁」によって、
自分の人生は支えられてきた
ということを、今回も強く感じました。
「同時代を一緒に生きるご縁」
「偶然を装った不思議なご縁」
というものに、
改めて感謝したいと思います。
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<今日の「智&慧」>
「何となく感じるご縁」によって、
自分の人生は支えられてきた。
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このご縁にも感謝いたします。