Don't Think,Feel。 | I LOVE 知立ホルモン&牛ざんまい豊田元宮店!

I LOVE 知立ホルモン&牛ざんまい豊田元宮店!

名鉄知立駅前徒歩3分、名古屋名物味噌とんちゃん屋知立ホルモン、豊田市 炭火焼肉牛ざんまい豊田元宮店を運営するH’BOID株式会社のブログです。イベントや、常連様やスタッフさん紹介、弊社代表取締役渡辺英人の日常も綴っています。

I LOVE ホルモン!

ホルモン&焼肉ファンの皆様、こんばんは。

 

さて、ずいぶんと空きましたが日々の様子を。

令和5年度の「私のあしながおじさんプロジェクト」へ協賛させて頂き、

そのご報告を頂きました。

 

子供たちに、芸術に触れる機会を作ってあげるという素晴らしい企画に

参加できたことを嬉しく思っています。

将来、この中から、あの時観た劇で将来のやりたい事が見つかった。

自分の好きな物に気が付けた。

そして、その体験を通じてそのご家族が話をする時間ができたりしたら。

 

1度だけ人形劇にお邪魔させて頂いた時に、

子供たちが本当に嬉しそうにケラケラと大きな声で笑っていて。

子供たちが一生に一度しかない今、を懸命に、

そして楽しく過ごせているならいいな、と。

子供たちの幸せな笑い声に、嬉しくて涙が出たのを思い出します。

4月の事を書いています・・・すみません。

今年も「知立まつり」の応援をさせて頂きました。

いつも、素晴らしいおまつりを見せてくれてありがとうございます。

常連様の風景。

初めて会ったみんなが仲良くなるお店。

親和性が高いのかなと思いますね。

お店がしっかりとこういう店です、と打ち出してるから

それが好きなお客様が集まってきてるなと。

良い雰囲気です。

頑張った日は、いつものご褒美ご飯。

最近、1日1食生活なので夜は食べないですが、

スタッフさんが頑張った日は一緒にご飯を食べて。

こういう時間も後で思い出してくれたら。

またある日は、牛ざんまい豊田の社員さんと活動後にお疲れ様ご飯を。

なかなか普段、一緒に過ごす時間がないので、こうやって機会を作り。

小さな会社ですから、仲間と一緒に頑張る。

いつも、ありがとう。

 

この日はすごい行列に朝から並び・・・朝9時半ころ?静岡の目的地に着いたけど、

本当に自分まで順番が回ってくるのか、と(笑)

目的来店、要は山の中でもきちんとやれば、

これだけの人が集まってくるのだなを勉強したな、と思いました。

「期間限定」。

ネット、SNS含めてマーケティングもやりやすい世の中になってきていますから、

こうやって上手に使いこなせばいい。

地方、としても別に悲観することもなく。

むしろそれが武器になることもある。

面白い視察でした。

少しお参りをし。

リサーチしてたお店へ。

 

そう、皆さんはお気づきですね(笑)

2024年も「鰻マラソン」をやっております。

この日も大当たり。

関東風ですが、もうふわふわ!!!

静岡ですから、メロンがついて。

 

帰りのお会計も奥から大将が出てきて。

焼きも会計も全部大将がやるのか、と思って見ていましたが

それだけお客様へ全部私が妥協なく一生懸命やる、と思えばすごいな、と。

 

知立ホルモンなら、誰かはプラプラしてるだけですから(笑)

こら。

喋るのが仕事です・・・たぶん。

 

今日も新店リサーチ当たったなあ、と。

要は口コミを読まない(笑)

ネットも使い方ですね。使いこなせばよいだけ。

赤信号で見るとちょうど桜が満開から少し散り始め。

せっかくなので、少し視察を続け。

リアル店舗へ足を運ばせる何か、て。

SNSで足を運ばせても1回こっきりでは意味がないですからね。

いろいろなお店へ足を運ぶと学びになります。

Uさん何回目かの定年お疲れ様会。

差し入れも頂きました。

 

ニンベンのついた自動化。

現地現物。

 

面白いお祝い品でしたので、真似しようかなと。

勉強になりました。

お店からもお祝いのお肉を。

長いお付き合いに感謝、感謝、感謝。

お客様からの差し入れ。

皆さんから貰えることをとても喜んでいます。

お店にいない時に、お店の事を考えてくれていたなんて。感動。

「知立ホルモンハラスメン党」党員の皆様。

ハラスメント活動の普及に日々いそしんでくれています・・・たぶん(笑)

ハラスメン党を国会へ!!

楽しく活動していきます。

お客様海外出張のお土産とこちらも差し入れ。

美味しく頂きました。

こちらも「知立ホルモンハラスメン党」入党、ありがとうございます(笑)

日々、ハラスメント活動の普及にご協力お願いいたします(笑)

社員さんとまめにコミュニケーションを。

話題のお店も行ってみました。

流行りの賞味期限は短いかもしれないなとは個人的に思いました。

おまつり期間中は、おまつりの皆さんが。

義理固い皆さんに感心します。

頑張ったら、ご褒美ご飯。

いつも、ありがとう。

幼馴染のお母さんが亡くなり、葬儀へ出るため朝から実家へ。

亡くなる前も、あんまり時間はないかも、と連絡は貰っていて。

少しでも生きていてくれたらいいな、と思いましたが、天命を全うされて。

中学の時に同じ部活でしたので、メンバーには少し声をかけて。

 

久しぶりに同級生の顔を見ました。

中学卒業から35年あまり。

久しぶりに会った仲間たちの会話が、あの頃と一緒の雰囲気で

思わず笑ってしまいました。

 

私は部活の部長で、今思えばひどい部長だったと思いますが、

小さなころから役割について考えるきっかけ、

体験は積ませて頂いてありがたかったな、と思っています。

 

先輩の小林さんから、

「渡辺、お前部長やれ。」と言われ。

「いや、無理だと思います。自分じゃないほうが・・・。」

「うるせー。伝統で先輩が次の部長決める事になってるんだ。やれ。」

「・・・分かりました。」

 

一つ上の先輩たちが優勝総なめで優勝旗がすべて集まっていたのを

私たちがすべて返還(笑)

すべて準優勝で、最後の大会だけ市内大会優勝。

東濃大会はベスト4で散る。

先輩たちの偉業をすべてお返ししてしまった情けない代でしたね。

すべては、私のリーダーシップのなさかなと今は思います。

「リーダーシップを仕事と見る」

ドラッカー。

 

中学の部活の仲間も古くは生まれた時から、

小学生の頃からの付き合いと思うと40年、50年という時間を

一緒に過ごしてくれたありがたいご縁だな、と。

時間が経てば経つほど、出逢えたご縁の幸せを思います。

この日は遠出。

山の中を抜けて。

「山城」て書いてあったので、登ってみる。

まあ、山城。

 

ウソつけ!!!!!!!!!!

 

最後、登り道が2種類あって、城好きの私はあえて難しい方を。

 

・・・難しすぎるやろ。

 

×山城

〇崖城

 

最後がロープ1本。

 

道中ずっと、

「アホじゃないの。まじで、アホじゃないの。

こんな山、誰が攻めるかあ!!!。」

100万回言いました(笑)

 

やっとのことで登った後は当たり前?ですが、良い景色。

ただ、街道を見張る場所としてはここしかないかな、と思いました。

 

昨年の明石城じゃないけど、本当に昔の人は

地図もないしGoogle earthもないのにどうやってこういう場所を決めるのかな、と。

明石もあの場所に城を作るのも見渡せる本当に良い立地だな、て。

泉南から小豆島、西方からの攻めてくる兵も見える。

目の前が淡路島。

この場所も、真田の住む場所から見えて木曽方面から進んでくる人たちは見渡せる訳ですから。

 

昔の人たちの方が優秀だったかもな、と思う時があります。

人は便利になっていくと衰えていくのかもしれないですね。

もちろん、使い方はあるかと思いますが。

お腹空いたので、調べると名物がかた焼きそば、と。

2種類食べられるお店へ。

 

戦略は当たってるかな、と思いました。

だいたい2種類に分かれるとして老舗のお店もある。

でも、1回しか来ない観光客はどっち行くのか。

両方食べられるところ、選んでしまうかな、て。

待っている人たちも地元半分、観光客半分かな、て感じ。

どちらかというと、いわゆるハレの店、外から来たお客様が1回食べて終わりになってしまわないか。

コロナの時に、京都で潰れたお店はほとんどが観光客向け。

書いてしまえば当たり前ですが。

嵐山の方なんか、最初に潰れていきましたよね。

私のいくお寺のお母さんが、

「嵐山のほう、店潰れていってまっしゃろ。ふふふ・・・。」

 

こらこら。

ふふふ、て。

それが地元の方たちの本音かもしれませんよね。

他所モンが、て。

 

コロナ当時、定点観測で京都へ行っていましたが、

地元客に愛されるお店は本当に普通にお客様が入ってました。

本当に、コロナてあります?てくらい普通に動いていました。

 

あのコロナの3年ほどを過ぎて、やはりオーセンティック、

スタンダード、正道、王道と呼ばれる道を歩くのがいいな、と再認識させられたな、と。

覇道でもなく、流行でもなく。

 

また、私はアナログを信用してるのでデジタルについてはずっと懐疑的ではありますが、

今の世の中で流行る、てところのデジタルの使い方は少し学ばせてもらった、と

このお店で思いました。

そこで流行らせる、見つけてもらうようにする。

そこを、言い方悪いですが、イジる。

今日の目的地へ到着。

 

少し前に、樹木希林さんの娘さんである内田也哉子さんのエッセイを読んでいた時に

書いてあって。

もともと、何か検索してた時かに、内田也哉子さんのエッセイの文章が美しい、と。

気になり読んでみましたが、本当に文章が美しい。

私の好きな養老孟司さんや中野信子さんとの対談も入っていたので読んでみようと思い

購入しましたが、美しい文章てこういうことを言うのだ、と思いました。

 

そして、言い方悪いけど、あのモックン、本木雅弘さんが、

モックンなら彼女みたいな感じでなく、

もっとビジュアル的に美人、みたいな人と結婚しても、と思うけれど、

あの、ここ大丈夫ですかね(笑)?(最後までちゃんと読んだら理解できます)

彼女と結婚した時に(しかもあの年齢差で)、それは本木雅弘が

内田也哉子という才能、美しい才能に惚れて結婚したのではないか。

 

(ここからは本のネタバレなので理解してお読みください)

そんな事を思わされる本でしたが、その中で樹木希林さんが訪れていた場所と。

美術学生で戦争へ行って亡くなった人たちの絵画を集めて展示がしてある。

 

その中の一つが「帰ってきてから完成させるから残しておいて」

そう言ってそのままずっと残してあった絵。

その絵を、いつだったか、

一人の老婦人が来て、書置きを残していく。

 

「〇〇さん、あの時に描いてくれた絵にようやく出会えました」

 

モデルの女性は戦後も生きた。

彼は戦争へ行き、亡くなって。

 

数十年経って、あの時に描いてもらった絵が展示されていることを知り、

彼女が訪れる。

 

そのストーリーに感動して、観に行きたいと。

 

私が到着した時に私より少し上のご夫婦らしき2人が先に入る。

私も入ると、入って数分の前の女性が号泣。

 

私もそれに我慢できず号泣してしまいました。

 

鹿児島知覧の特攻記念館などは、

「喜んで行ってきます!」と書いてある手紙ばかりだけど、

ここはそうではなくて。

 

ある青年のところに、

父の前では「喜んで行ってきます」と言っていたものの、

3日後に母と姉が会うと「本当は行きたくないんだ。」と。

 

ある方は招集がかかってから、ずっと故郷の風景を絵に描いていた、と。

もう、見られないかもしれない。

これで故郷の風景を眺められるのが最後なのかもしれない。

 

どんな気持ちで描いていたのか。

そういうことを考えると言葉になりませんでした。

 

作品や遺品を見ながら進んでいくと、

「展示物が古く傷んできているので、お子さんなど作品に触れないように

お気を付けください」

そう壁に書いてあって。

 

戦後80年近く経ってきているので当たり前だと思いますが、

翻って戦後、こういう方たちの犠牲、愛する国や家族を守るために

命をかけてくれた人たちに恥じない国に、

私たちはしてきたのだろうか。

 

この方たちが今に甦ってきたら今の日本を見たら、

何と思うのだろうか。

三島由紀夫じゃないですが、無機質の、空っぽの・・・

 

今の日本を、あの頃見た日本と思うのだろうか。

 

飾られている絵の作者がみな、20歳、24歳など、

私の半分以上も生きていない若者ばかりで自分の身に重ねてみれば、

今の自分が十分に生きてこれたか、そう思うと、20年という命なんて

生まれたばっかり。

何もなしていない。

有名になる、とか金持ちになる、とかではなく。

 

そう思うと、多くの大切な命の犠牲と引き替えに私たちは祖国の上に生きている。

あの、わが身を犠牲に特攻していった人たちに、欧米人は恐怖を覚え、

徹底的にWGIPを行ったに違いない。

二度と立ち向かってこないように。

戦後80年近く経って、ずいぶんと骨抜きにされてしまいましたから。

彼らが、日露戦争からいつか自分たちの敵になると恐れ、

準備し戦争を仕掛けられ、今に至っている。

 

もうそろそろ、日本人が西洋思想が合わないことを認める時期が来たのではないか。

明治もうまくいった。

和魂洋才。

 

今はただの侵略。奴隷生活。

 

明治期に、ある人が論文を英語で書いたら市井の人が、

「日本人なのに、なぜ英語で書くのか」と。

昔の日本人は気概がありましたね。

それに対して、森鴎外が、

「今は仕方ない。今までも海外を取り入れてうまくいってきたのだから、

あと100年経てば分かる(うまくいく)のではないか」

 

今回は、そうじゃなかったと私個人は思っています。

1人称、2人称、3人称の話。

事実を基にしたフィードバック。

(このあたりの話は、6月のアメリカ視察の時に感じた事を改めて書きます)

そりゃ、出来んわ日本人は。

全体の中の私。

今回は、この話は割愛。

お店では聞いたら教えます。

私の自宅みたい(笑)

 

しばし、沈思黙考。

 

残りの人生、本当に大切な事に使っていかないといけない。

改めて、そう思いました。

 

そして、私たちが正しい日本人として一生懸命生きることが

若くして命を落とした彼らに対する供養になる。

 

昭和を取り戻すしかない。

今は、そんな事を思っています。

帰りにワイナリーを見つけて寄って。

ここは、ワイナリーという名の商業施設。

個人的な感想です。

ソースかつ丼食べて帰路。

 

卒業生のたかが、おまつりの方たちと。

 

日本人として生きる。

日本人とは何か。

 

Think 言葉より
Feel It 本能の赴くままに

Don't Think,Feel/Awesome City Clib

 

日本語はハイコンテクストな言語。

 

「人の心が分かる心を教養と言う

人の心を思いやる心を常識と言う」

 

私たちは、日本人である。

日本人として生きよう。

 

「お帰りなさい」

今日もあなたのお帰りをお待ちしております。