外部性
ある経済主体の行動が、第三者、あるいはその行為の決定に参加しない人々、またはその決定に同意しない人びとになんらからの影響を与える場合がある。これを外部性という。外部性の存在も市場の失敗の一つである。
外部性には二種類がある。外部経済と外部不経済である。外部経済とはプラスの影響を及ぼす場合で、外部不経済とはマイナスの影響を及ぼす場合を指す。また、金銭的外部効果とは、市場における価格変化を通じて、他の主体の費用や利潤や効用(効用とは、単純にいえば人が財を消費することから得られる満足の水準を指す)に影響を及ぼすこと、技術的外部効果とは市場を経由せずに、他の主体の費用や利潤や効用に影響を与えるものをいう。
金銭的外部効果の例には、ある産業の生産能力が技術革新等により拡大し、規模の利益により価格が下がったとき、その産業の製品を中間財として使用している産業に利益を与える場合がある。技術的外部効果の例には、消費者間では、騒音、混雑といった現象、消費者と生産者の間には、公害というようなさまざたな外部経済・不経済がある。医療では、感染症のように他人に感染してしまう場合、喫煙のように、間接的にタバコの害を及ぼしてしまう場合があげられる。
情報の非対称性と不確実性
情報の非対称性とは、ある材の需要側と供給側との間に、持っている情報の質や量に差異がある状態のことである。多かれ少なかれ、どんな財でも需要側と供給側との間に情報の差はある。普通はその製品やサービスを100パーセント理解してから購入することはないはずだ。ところが、医療の場合にはむずかしいことに、患者のみならず、情報が多いはずの医者も患者の将来が100パーセントわかるわけではない。手探りで診断や治療をする場合も多く、これを供給サイドの不確実性という。
経済学者のフランク・ナイトは、広義の「不確実性」を情報量の制約と定義したうえで、確率の測定可能な不確実をリスク、また事象の希少性から確率を測定しえない不確実を「真の不確実性」と考えた。医療の不確実性には、医師による診断は測定可能な不確実性、感染症の突然の流行などは測定しえない不確実性である。
不確実性には二つの場合がある。一つは、需要サイドの不確実性である。これは、情報不足からくる場合もあり、一般に見られる。医療を例にすれば、自分の健康状態、将来医療をどれだけ必要とするか、どれくらいの確率で必要となるのかがわからないのは、このタイプの不確実性であろう。
いっぽう、供給サイドの不確実性というのもある。これは一般の財やサービスの場合には普通は見られない不確実性である。たとえば、コンピュータを修理する業者とそれを依頼する客の場合には、客はどこが壊れているのかわからないが、修理する側はそれがわかっている。前述のように医療にはこれが見られる。
分配
分配の問題もまた、医療と市場の関係を考えるうえで避けて通ることができない問題である。
分配は、上述してきたいくつかの課題とは異なる視点に立つ。すなわち、社会政策には、①どのような財・サービスをどれだけ生産するかという資源配分問題と、②生産された財・サービスを人びとの間にどのように分配するかという分配問題の二つがあり、前者は効率という視点が大きいが、後者は、公平という別の視点が重要な要素になるからである。
詳しくは、後で考えるが、公平を基準に考えると、効率との両立の問題が出てくる。
たとえば、所得分配の問題は、パレート最適を基本的な基準として用いて得られた効率的な資源配分の結果が、現実的な意味を持ちうるか否かの問題であるといっても過言ではないだろう。したがって、所得分配を考えるには、なんらかの価値判断を必然的に含むことになる。究極的には、どの価値基準を選択するかは思想および政治哲学にもっぱら左右されることになる。
価値財(メリットグッズ)
分配の問題に近い位置にあるものが価値財の考え方である。この考え方は元来は財政学のものであったが、スティグリッツによれば、個人の私的選考に反映された価値に取って代わる社会的価値があり、政府には市民にその価値観を強制する権利と義務がある財を価値財という。
田中滋は価値財とは、市場メカニズムを通してだけでは、社会的に見た必要量まで十分に供給(消費)されないおそれが強いため、公共福祉の立場から公的セクターが強制、説得、費用保障によってでも割り当てる財であると定義した。詳しくは後述するが、日本の医療は公的な費用保障、すなわち国民皆保険制度により価値財とされている。
医療の場合
このように、医療は情報の非対称性や不確実性を持つ財であるという点で、市場が失敗し、価格による資源配分に失敗が起きるという問題が生じる。
医師患者間の「情報の非対称性」という言葉を聞かれた方はあるだろうか?簡単にいえば、医師は最低六年間大学で医学を勉強してきていて、医学知識が多い。いっぽう患者は、突然病気になっておろおろして何もわからない。患者と医師間の情報の非対称性は、一般に患者側に発生し、患者の主体性にゆだねると命を失う、障害が残るといった不利益をこうむる可能性があるので問題である。だから、パターナリズム(家父長主義原理)が必要である。つまり「よらしむべし、知らしむべからず」という話がいままで正当化されてきたのだ。医療機関の広告規制もこれにあたる。経済学の言葉にいいかえると「情報の非対称性にもとづいた広告で消費者を惑わしてはいけない」という言い方になる。
このように、医療では「情報の非対称性」が大きいのである。しかし、だからといって、情報を示さなくていいということにはならない。
また、前述のように医療が外部性を持つ場合もある。
緊急時の備えも必要である。薬剤や医療は、インフルエンザの特効薬であるタミフルのように緊急時の備蓄が必要であり、最大限の生産余力あるいは在庫を残しておくことが必要になる。
医師も、患者に何も起きなければ待機しているだけの場合もある。これらは何も起きなければ無駄になる。このため、確実に需要が予測できないという不確実性を持つために、需要と供給のバランスからでは必要量が決定されない場合があることになる。
そこで、薬剤市場、独占市場ではないが償還価格(薬価)が定められ、コスト+適正利潤=価格の価格体系がとられてきた。すなわち、ここでいうコストとは、市場での適正なコストではない。上記の余力を見込んだうえでのコストである。
政府の失敗
このように、市場がうまく機能しないのが医療である。だからといって政府に任せておけばいい、というわけにもいかない。医療における市場機能が働かないという問題とは別に、こんどは市場のみならず、政府が失敗するのではないかという考え方があるからである。
スティグリッツは、政府の失敗の原因を四つ指摘している。それは、①政府政策の予測が困難な点、②市場への影響が限定的な点、③政府過程による制約、④官僚制の非効率である。
そのために、医療を含む社会保障については、①従来のパターナリズム、福祉の視点にもとづく公正重視の大きな政府の考え方と、②新古典派経済学に代表される小さな政府の考え方、③社会学者のギデンスの考え方にもとづきイギリスのブレア首相が実行しているような公正と効率の両方を目指そうとする第三の考え方である。
また、現実的な視点からは政府の執行のむずかしさも重要である。ここで医療や介護サービスをどのように提供するかが問題になる。専門家であるがゆえに、医師や看護師らは政府の命令に唯々諾々としたがうケースは少ないのである。
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