権威としての広範囲な影響力
古代ギリシャ医学の最盛期末、ヒポクラテスの後に登場したのが、"古代解剖学の権威"となったガレノス(129-216年頃)であった。
現在のトルコ領ペルガマにあたる、ペルガモンの裕福な建築家の家に生まれた彼は、農業、建築、天文学、占星術、哲学等様々な学業を修め、最終的にローマで医学を学び、医師、教師、実権者として地位も名声も得た。その博識ぶりは多くの著書に記されている通りだ。テーマは医学だけでなく、論理学、哲学、文献学等、多岐にわたり、本人による文献解題には約200の書名が挙げられ、それ以後にも多数の論文があったとされ、100程度の著作が現存するという。
彼の学説はヒポクラテスのものを受け継いでいたが、その中心は人体が四体液(血液、粘液、黒胆汁、黄胆汁)から成り、古代の四大元素(火・水・土・空気)や四季とも対応関係を持つという定義づけがなされていた。たとえば心臓は先天性の温熱を持っており、それが四体液を動かして活動する。その温熱を維持するのが食事であり、やがて温熱が消滅して冷たくなり人は死を迎えるといったものだった。太陽が宇宙の中心であるのと同じくして、心臓は身体の身体の中心器官であると考えられた。
これはキリスト教の、人間の魂は心臓にあるという考えに結びつき、その後も中世の西洋医学や思想の基盤となり、ルネサンスを越え19世紀まで様々な分野に影響を与えた。
医学の基礎としての解剖学
ガレノスは医学の基礎として解剖を位置づけたことでも知られる。当時は人の解剖は認められなかったため、豚・猿・犬等を解剖した臨床実験であった。そのため現代医学に照すと間違いも少なくない。また、彼は循環系を認識しておらず静脈と動脈は別のシステムと考えていた。しかし公開解剖での研究は当時の医学の主要な手法であり、医学生にとって開かれた討論の場になったともいう。そして彼は解剖の実践から、動脈が運んでいるものは生気ではなく血液だということを提示し、神経、脳、心臓に関して最初の研究を行った。アリストテレスが心は心臓にあるとしていたのに対し、心は思考する脳にあるということをガレノスは示すことになったのである。
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