例えば好きな人が出来たりすると、その人の言動を監視したかったり、気になって仕方なかったり、携帯を見たがったり、とにかく何でも約束してもらいたがったり、その約束を守れないと怒ったり、おそろいのものをつけている事で安心したり、時には言葉で責めたり脅かしたり泣いてみたり・・・とにかく自分にだけ気持ちを向けてほしくて、つまり相手を縛ることで安心していたわけです。
ここに書いたような事、読み返してみると、とても醜いですよね。
今の私ならそう思えます。
そんな事をしても、結局は人の心は縛ることは出来ません。
縛れば縛るほど、表面的には安心出来るような言葉をもらえたり、行動をしているかのように装っていても、本当の心、純粋な魂は、きっとそうではありません。
そこからは何も生まれないか、生まれるとしたら自分の思い望んでいた結果とは逆のものが生まれるでしょう。
縛っている側も、それに気付きながらもどうする事も出来ないのかもしれません。
以前はそうではなかったのに・・・なぜ変わってしまうの?
そんな事を思うのかもしれません。
人の心は移りゆく風のようなものです。
人の心をあてにして、自分の心を満たしていると、自分の心は乱れます。
約束を守ってくれなかったから悲しい。
メールの返事が来ないから落ち込む。
プレゼントをしてくれないから気持ちを疑う・・・。
どんどん自分というものが無くなります。
そしてひどくなると訴えたくなったり、犯罪に移行したり。(私は犯罪は犯していませんよ!)
過去の私と今の私は別人です。
醜い私にはもう戻りません。
でも、醜い事というものがどういうことなのか、それを知ることができ、それをどう克服すればよいのかが分かった事は人生の宝です。
いや、分かった、わけではないですね。
いまだ分かるための修行中です。
ヨガ、というと、大半の人はポーズをとるヨガを思い浮かべるでしょう。ヨガはスポーツの1つだと思っているでしょう。「ヨガって痩せる?」そう聞かれる事も多いです。
まあ、そんなところからヨガというものに入っていくのが普通だと思います。
例外なく私もそうでした。
でも、本当にヨガにはまっていく人は、もっと深いヨガを知っていきます。
ヨガとは本当に人生そのものなんだと思います。
今の私も落ち込む事も、悲しく思う事も、切なく思う事もあります。
そんな時、誰かを責めたり、誰かを自分の思う通りに動かしたりするのではなく、ただただ静かに自分の中心軸を探し、そこに意識の軸を一致させていきます。いわゆる「瞑想」です。
時には色々考えないようにしようと思っても、頭の中に浮かんできてしまい、上手く瞑想が出来ない事もあります。でも、とにかく瞑想を繰り返します。何日も。
すると、徐々にいろんな思いが薄れてきます。
そして、なんでも許容出来る自分が生まれてきます。待つ事が出来る自分も生まれてきます。風に吹かれるように、流れにゆだねることができる自分も生まれてきます。
今のところ、こんなことの繰り返しの毎日で、偉そうなことを言える段階にまでは至っていませんが、ヨガを通じていろんな出会いもあり、人生も私も変わったなと自分で自覚が出来ています。
人の心は物では縛れません。
ただ私に出来る事。
それは自分の軸を強く太くし動かない軸を作る事だけです。
見えない軸。
でも私にはこれが必要です。
それはとても大きな力を有するものである事が分かったからです。
どんな力なのか?
言うのは簡単ですが、言いません。
自分自身が気付いていく、その段階もとても大事なものだと思うからです。
最初はスポーツ感覚でヨガを始めてもいいと思います。
とにかくやってみる事が1歩ですから。
そこから深くヨガに入れる準備のある方にはきっとその先の動きが生まれてくるはずです。
実を言えばヨガに限ったことではないのです。
自分に関係のある事から言えば、マクロビオティックからそちらの境地に入っていく人もいるし、teateセラピーからそちらに入る人もいます。
私もヨガから始まりteateに通じて、その先のきっかけがあり今に至っているわけです。
大事なことは自分を見つめる事。
それは自己中心的になるのとは全く別の事。
自分の中心軸を見つけてみよう。
他人の心は縛れない。
でも動かない自分を作ることは可能です。
動かないというものまた自己中でもなく我が強いというのでもありません。
動かない自分が出来ると、むしろどんな事も許容出来る柔軟な心が生まれます。
それが何より大事なことではないかと私は思います。(注:私はあくまでまだまだ修行中
