視野のちがい | HIROのホリスティックヘルス探究記

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人を「本当の健康」に導きたい!大きすぎる人生目標がある。人は十人十色。みんなみんな違うのに「この方法なら大丈夫」なんてのがあるわけない。どうすればいい?まだまだ探究中。そんな私の探究記録です。

雨の休日、どのようにお過ごしでしょうか。
埼玉県南部には大雨洪水警報が出されました。
ここよりも、水がめに降って貯水率がアップしてくれればいいのに・・・と、思ってしまうのは私だけでしょうか?


今日は視野のちがいについて書いてみようと思います。
視野の広さのちがいです。実際に見ている視界ではなく、どこまでの事を考えているのか、という視野です。
これを、難しく「抽象度」と言ったりもしますが、ちょっと難しくなってしまうので、今日はその言葉を使わず書いてみたいと思います。


何か困ったことがある時に、愚痴を聞いてもらう人と、実際に解決を求めて相談する人とでは、多分人選が違いますよね。
自分が悩んでいる時に、同情を求めて話をする人と、解決を求めて話をする人選も違いますよね。

その違いは、何でしょうか


愚痴を聞いてくれる人、同情をしてくれる人とは、話をしていても話の内容は平行線。でも、その時の自分がただ話を聞いてもらってすっきりする事を望んでいるならば、それが良いんです。
そんな時に、解決策を見出されて、きっぱりと言われても、自分側に得になるような策であるならばまだしも、否定されるような策を言われたら、むしろ言った人に対して嫌悪感を抱いてしまうでしょう。
でも、解決策がほしいのに、ただ話を聞いて 「ねぇ、ホントそうよねぇ。どうしたらいいのかしらねぇ」なんていう事の繰り返しなら、話さなきゃ良かった、と、思ってしまうかもしれません。


人間ですから、話を持ちかけられた時にどのように対応するかは、かけ引きもあるでしょうが、それも含めて、対策を打ち出せる人は、視野が広い人ではないでしょうか?
無意識のうちに解決策がほしい時には、色々経験があって、積極的に行動を起こすことができて、それなりに力を持っている人に相談したりしていませんか?
言いかえれば、瞬時に沢山の選択肢が頭の中にひらめき、その中から一番いいと思われるものをピックアップする事が出来る人、ともいえるでしょうか。ですから、選択肢の中に、「今は同情が一番」あるいは「かかわらないのが一番」というものがあればそれをピックアップする事もあると思います。


広く物事を考えている人は、当然、「今」だけでなく、「これから」の事も視界に入れています。でも、それが理解できる人と出来ない人がいるので、出来ない人から見るとその人のとっている行動が理解出来ないことがあるかもしれません。

また、視野が広いと、一つの同じ物事を見たり聞いたりしても、その事の裏を読むことも出来ますが、そうでないと、その言葉のままを受け取ってしまったりします。
例えば実際にあったのが、「東大に合格する人の多くは、テレビもついていてみんながいるような台所の机で勉強している」って言ってたよ。だから、自分の部屋で勉強なんてしなくても台所でした方が頭が良くなるんだよ、という解釈です。「東大に~」という話が、どこから出てきたものなのかは分かりませんが、何かのテレビ番組でそういうのがあったようです。それを真に受けて、じゃあ台所で勉強すれば頭が良くなる、あるいはテレビがついた状態でも勉強が出来るようになると思ったら・・・成功者はあまりいないのではないでしょうか。
これは集中度と「臨場感」のちがいという、凄く大きな物が隠れている事に気づかないと、失敗してしまいます。テレビがついていたり、他の人がいたりしても、それを気にせず自分の勉強に没頭できるだけのものすごく鍛錬された集中力と、そういう場所でも自分ひとりしかいない場所のように自分の中で組み立てることのできる臨場感を備えているからこそ、台所で勉強しても東大に入れるわけなんです。やっぱり東大生は違います!!


だから、残念だけど、普通の人間は、台所なんかで勉強しないで、まずは自分の部屋で誰にも邪魔されずに集中する事、集中力を養う事から始めないといけないわけなんです
でも、ただただ「そんなとこで勉強してもダメだよ」と言われたら、そこまで分からない側にとっては、「だってテレビでそう言ってたもん」と、ただの腹の立つ返事になってしまうわけです。


難しいですよね。


こんな事書いているからと言って、私がすぐれた人間かというと、全然です。
足りないからこそ勉強しているわけなんです。
こういうことは、代々木の「ホリスティックヘルスケア研究所」の高橋龍三先生(高岡英夫先生のお弟子さんです)から教えて頂いたり、個人的に結構好きな苫米地さんの本で今でも学んだりしていますが、まだまだ足りなさ過ぎて、今世の命のうちにどこまで出来るか分かりませんが、勉強は続けていくつもりです。


ただ、まだまだな人間だからこそ分かることもあります。


視野の広さが同じ位の仲間で話をするのはとても楽です。
1話せば10分かってくれます。
でも、欠点は、ごまかせない事です。その辺から崩れることもあるかもしれません。


視野の広い人が、そうでない人に話すのは、とても大変です。
1話しても、1以下の事しか伝わらず、場合によっては重大な事故につながるかもしれません。
なんでこんなことも分からないんだ!と、喧嘩にもなります

分かっていないという事が、分からないんです。分かっているのが普通の人にとっては。

逆に、視野の狭い側から広い側の人の話を聞くと、なんの事だかさっぱり分かりません。
バカにされたような感覚に陥ることもあります。
何かが起こっても 「だって説明しなかったジャン」 と、言いたくなります。
「あのヒトムカつく」という感情も生まれることでしょう。
この場合もまた、広い視野というものが理解出来ないわけなんです。視野が広くなった事が無いから。


ここなんですよね。


この違いさえカバーするだけの頭の回転の速さと判断力と、そういうのを全部許せる心の広さってのがさらにさらに必要なんだなーって思っていますが、難しいですよね。


人間も面白いし、人生も面白いです。知らない事がいっぱいだし、知ると面白いことがいっぱいです そう思いませんか?


視野を広げるためには、近道も抜け道もなく、やはり勉強です。
苫米地さんも言ってます。今では私たち代々木メンバーもみんな知ってます。
「脳は知らないことは認識しない」


です。
だから、知識があって始めて、見たものや聞いたものから信号が脳に送られ、それが多くのネットワークを形成し、いざという時に役立つものになってくるわけなので、自ら知識は習得していかなくてはなりません。知識だけでなく、経験もです。
人に頼ってばかりいても、その時は楽でも、長い目で見たらつまらないですよ。


さて、季節は秋

読書の秋。食欲はほどほどに(腹8分目にね!8分目ならたとえ添加物とっても代謝出来るから)、ちょっと本を読んだりしてみませんか きっと新しい発見がありますよ