昨日、今日、2日連続で、「踊る大捜査線」観に行っちゃいました~

昨日は夕方で、少し空席がありましたが、今日は朝イチで行ったらほぼ満席でした~

前作「やつらを開放せよ」が、ワタシ的にはちょっと残念な感じだったんですが、「FINAL」は、もう、もう、もう、面白い

なんで、こんなに踊るが好きなんだろうか?って考えても、理屈じゃわかんないって思ってましたけど、「芯」が自分と同じだからだって気付きました

地位や名声を追っかけている人は嫌いだってとこ
心がなく、ただ組織的に動いている人も嫌い
おかしいだろって思っても、自分が可愛いから黙って上に従っている人も嫌い
人の事よりも、まず自分の損得を第1に考える人も嫌い
なんにでも一生懸命になると、時にはバカみたいに言われることもあるけれど、一生懸命になるのって素敵だと思うけどな。
私の世代はちょっとバブルを外れた時代だけど、それでもバブルの時代を知らなくはないから、覚えている事があるけれど、バブルの時って、なんでもやったもん勝ちって言う感じがあった。ずるい事でもなんでも、当たったもん勝ちというような。
その頃ふと湧き出た感情で、自分の気持ちの奥深くに今でもなぜだか治りきっていない「アザ」になって残っている感情が、「努力するってバカみたいな事なんだろうか・・・」というもの。
バブルの頃は努力なんて言う言葉はなかったように思う。
努力しているなんて古臭いし、馬鹿らしいというような。
何をするにも努力しないと出来ないタイプの自分だっただけに、自らそう思ってしまったことにショックだったのかもしれない。
今なら、もう、「同じ状態はずっとは続かない」ってことはわかるけど、その頃はそういうこと考えられるような大人じゃなかったってことです

同じ状態を続けるためには、やはり努力は必要よね

なんにでも一生懸命になるのって、悪い事じゃないし、熱血な人って、周りを引きつけるエネルギーを持ってるよね。
青島さんも、室井さんも、だから好き。
そして素晴らしい仲間たち。同じ信念を持つ人たちで素敵なチームを作っていることも何ともいい!
12月から診療を開始するために、そのうちスタッフを募集して、自分のチームを作ろうとしている私にとっては、あこがれのチームだな。
「こだわり」って、何かに固執する事だから良くない。だからこだわりは捨てましょう、なんて言葉を聞くこともあるけど、それも時と場合によって使い分けなきゃね。
「踊る~」のこだわりは、見る人を引き付けるこだわりで、それがなかったら何の魅力もないわけだし。
「変な」こだわりは捨てたほうが良いけど、こだわり全てを手放したら、なんてつまんない人生なんでしょう

この際、 「自分中心のこだわりは捨てましょう」と、言い変えておこう。
これにはこだわった方が、自分以外の誰かに良い影響があるんだ、だからこだわるんだ、というこだわりは捨てちゃいけない。
なんやかんやと、映画一つでここまで書いてしまいましたが、言いたいことは一つかも

映画館で観た方が面白いよ!是非観に行ってみて!!
踊る大捜査線「FINAL」
注)私はどこかのまわし者ではありません・・・