ピアノ教師として約30年間の経験と今年、自宅にサロンを持ったことから、30年ぶりに下手ながらも演奏を再開しました。
楽譜に書いてある音符。それを一音弾いた時に、実際に弾いている鍵盤の音だけが鳴るわけではない。タッチが良いほど、共鳴して、それ以外の弦の音が聴こえるはず。だから弾く時に、弾いている以外の音の響きを捉えることが大切だと思う。
ベートーヴェンのカルテットを知らない人が、ベートーヴェンのソナタを理解できるはずもない。そのような類のことはたくさんあるはず。
何事も時間は必要だと思うが、特にピアノなんて、その最たること。今やっていることが理解できたり、実を結ぶのは10年、いや20年先かもしれない。その覚悟は必要であり、だから未来が待ち遠しいと思えれば、きっといつかは手に入る。
声楽は根源的な楽器であり、声楽的発想に基づいて音楽を捉える重要性を感じる。国際コンクールに出るようなレベルであっても、カルメンさえ聴いたことも無いなどあってはならないと思う。ピアノばかり練習していてはいけないということ。
身体の感覚に鋭敏にならなくてはいけない。例えば、クレッシェンドをする時に、人は身体が力んでしまうことがある。そういうことに、どれだけ気がつくことができるかが、実はとても大きい。
学ぶことを思った時に、経験から感じるのだが、究極的には習うことではなく、自分で感じ、考え、見つけることだけが、本当に自分のものになるのかもしれない。
半音の関係がただの半音としか感じられないとしたら、ただの半音ではないと言いたい。と私が言っているのはなぜか?本気で考えてほしい。何かが感じられるようになってほしい。
私は、これでも寛容な人間に惹かれるし、また自分もそうありたいと思っている。それが、人として最も大切なことのひとつだと思う。そういう人が演奏してほしいと思う。
人生の成功のために音楽をピアノを利用している人は多いのかもしれない。ピアニストにはなれるが、芸術家にはなれない。
指慣らしに、いきなりスケールをものすごい勢いで弾きまくる人は多い。そんな人の演奏は曲を聴くまでもない。
練習の基本は、ゆっくり、弱音で。信じられないかもしれないが、上手い人ほど、これを実行している。
調律が終わり、試弾した時、その調律が好きか嫌いかわからなかったとしたら、あなたはまだまだなんだと思う。
ドクターショッピングのように、教師を転々とする人がいる が、どうかと思う。昨今ではその風潮が当たり前の人を多く見かける。残念なことだと思う。
芸術的な作品、また、その作曲家は、精神的に病んでいる。それを感じ取れないとか、感じていても表現できなければ、あなたは作品や作曲家の意図を汲み取っていないと言える。
ホールにある楽器は、新しい楽器でなければ、その多くは、いろいろな弾き手によって、荒れてしまっている。まるで病気になってしまった楽器だと思う。
楽器をうまく成長させるのは、普段の弾き手のタッチが関係する。一般的なタッチで毎日練習すると、楽器は2.3年で荒れてくる。どんなに元は良い楽器だったとしても。そうなったら買い替えか、そうならない為にあなたのタッチを変えるか、いずれかだろう。
簡単に言うと打鍵した時に音が鳴った瞬間とその後の響きという2種類というか、2段階に聴こえる調律は良いとは思わない。まるでパイプオル ガンのように鳴る調律が私は良いと思う。
良い音をよく聴いてみると、なった瞬間に表の音と裏の音が聴こえる。言い換えるならば、良い音の定義として、音に天使と悪魔が存在するとも言える。どんな人の心にも天使と悪魔が存在するように。
打鍵の基本は弾いてはならない。指を置いていく感覚で弾けた時に、楽器は歌い出す。
人間関係の基本は互いに信頼している方が良い。演奏する時も、楽器を信頼し、楽器から信頼されているような関係を築くべきだ。