「恥、付き合う人間は選べ」
小学5年の時の担任だったS先生から、卒業する時に貰った言葉です。
2007年当時で45歳くらいだったでしょうか?
鼻の赤い、色黒の男性。茶っけのある髪色、
天然パーマでモジャモジャアフロの先生だったので、私は陰で彼を
「モジャロック」
と呼んでいました。
(“ロック”はどこから来たか自分でもわからず…)
モジャロックは変わった
というより「異常」な先生でした。
我々の小学校に彼が赴任してくる前、
飲酒運転で警察に罰金刑を喰らうという不祥事を起こしていたのでした。
(当時は飲酒運転が今ほど厳罰化されていないとはいえ、かなりの不祥事だったそうです。)
それを知ったのは、私が中学2年の時。
知った経緯は後ほど書きますが。
飲酒運転のことは、本人はオープンにしてはいませんでしたし、無論、私も含め児童は皆知りませんでした。
ただ、本当にモジャロックは変な先生で、小学生ながらに
「このおっさんなんか変」と悪い意味で、児童のほとんどから思われていたと思います。
理不尽にキレ散らかすわけでもない、
児童を叱りはするが、なんか哲学的というか、
別に感情表現に乏しいわけではないし、
普通に笑うし、冗談も言う。
けれど、なんというか、本当に説明が難しいけれど、
「なんか変」なのです。
頑張って一言で言い表すと、「何考えているかわからない」かな?
具体的に意味がわからないエピソードを挙げると
このモジャロックが我々を担任した年の1月。
年明けすぐのこと。
私が、当時所属していた剣道チームの新年稽古で、学校を訪れると、たまたま校庭でモジャロックとすれ違いました。
「先生。明けましておめでとうございます!」
と挨拶をする私に対し
「恥。俺先生辞めるわ。」
と一言。
ん?どういうこと?
理解が追いつかず、
「どうしてですか?」
と聞くと、
「色々考えてな。まぁ近くの工場とかで再就職するわ。」
と。
いや、答えになってねぇよ。
と思いつつ。
「何だこのおっさん。あと3ヶ月残っているのに、ここで担任変わるのかよ。」
とものすごくモヤモヤしました。
それから1週間後の冬休み明け、
恐る恐る学校に行くと
普通にモジャロックが教壇に立っていました…。
そして、開口一番、教壇から
「恥には先生辞めるって言ったけれど、俺、しばらく続けます。」
と。
私以外みんなポカーンですよ(笑)
その空気を尻目にモジャロックは続けました。
「俺な、冬休み中に「藤田東湖」っていう学者のことを知ってね。その後に仕事で運転していたら、偶然藤田東湖の石碑を見つけたんだ。ただの偶然に思えなくて、それで色々考えながら家に着いてドアノブを回した瞬間に、急に近くに雷が落ちたんだ。なんか神様に導かれている気がしてね。咄嗟に「先生を辞めよう」と思って衝動的にたまたま会った恥に、先生辞めるって言ってしまってね。でも、色々考えて、やっぱり続けようって。なので先生はこれからもみんなの担任です。」
と。
ことの経緯を聞いても、余計に意味がわからなくなりました。
私でも意味が分からなかったのです。
そもそもモジャロックが教師を辞めようとしていたことすら知らないクラスメイトは、もっと意味が分からなかったでしょう(笑)
このエピソードを書いている今も意味がわかりません(笑)
つまるところ、それだけ変な先生だったのです。
でもね。
モジャロックは何故か私とウマがあった。
というより、モジャロックが私を認めてくれた初めての先生だったというべきかな?
当時の私は、完全にクラスから浮いた子どもでした。
イジメられているわけでも、仲間はずれにされているわけでもない
でも、皆が昼休みに校庭でサッカーをする中、ひとりで図書館で本を読んだり、
皆が流行りのアニメやゲームの話題で盛り上がる中、戦国武将の話を唐突に切り出したり、
よくイジメられなかったなと今でも思います。
でも、成長し、周りとの「ズレ」に敏感になる歳頃。
でも、成熟しきっていないから何が違うのか、どうすればいいのか、自覚できない中途半端な時期でした。
その前の年、小4の頃の担任には、
何となく「変な子」「扱いずらい子」「小生意気な子」と思われていたのは子どもながらに感じていましたし、他のクラスメイトと悪い意味で、扱いに差をつけられていました。(あくまで私の感覚ですが)
だから、自分は人と違うということが辛く、
自分は存在していていいのか?
という存在への疑問にまで発展していました。
しかし、翌年担任になったモジャロックは、
そんな浮いている私をことある事に気にかけ、話しかけたり、遠足では私を捕まえて「恥、一緒に弁当食うぞ」と言ってきたり、やたら絡んできたのです。
クラスメイトが、
「恥くん、先生のお気に入りじゃね?(笑)」とからかってくるほどに。
でも私は
「俺、なんでこの変人に気に入られてるの?」
と
嬉しさより疑問が勝りました。
でも、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
そして、その年の12月。
学校全体の児童会役員を決める選挙が開催されました。
その時モジャロックは、
「俺は恥が立候補すべきだと思う」とクラスメイトの前で宣言したのです。
続けて
「恥は、めっちゃ変なやつだけれど、こいつは人を差別や区別せずに分け隔てなく接する。こんなことを自然に出来るやつはそうそういない。」
と言ったのでした。
モジャロックに変人扱いされたくないよ
と思いつつ、凄く嬉しかったのを覚えています。
「あっ、俺存在していていいんだ」と。
モジャロックが自分の長所、価値に気付かされてくれたのでした。
進級し、6年生では別の先生が担任になり、モジャロックは別学年の担任になりました。
が、モジャロックは頻繁に6年教室を訪れては私に絡んでくる毎日でした。
そして、卒業式の日、モジャロックから
「恥、付き合う人間は選べ」と言葉を貰ったのでした。
まっさきに、
「誰とでも分け隔てなく接するのがお前のいい所だ」って言ったのはアンタなのに、「人を選べとは?」と思いました。
まぁ、小学校の先生としては、
「みんなと仲良くしよう」
「人を区別せずに分け隔てなく接しよう」
って言うのが普通ですよね。
でも、疑問を感じながらも、その言葉は卒業後も、成人後も、ずっと覚えていたのでした。
そして、16歳の時、20歳の時、24歳の時
私は接する人間によって苦しめられることがあり、モジャロックの言葉がその度に思い出されました。
それらの出来事を語ると冗長になるので、割愛しますが、
苦しみながら続ける人間関係は自傷行為に等しいと学びました。
あのまま行っていたら、きっと私は崩壊していたでしょう。
人は変えられない。でも、自分や環境は変えられる。
だから、「離れる」選択肢は逃げではないと。
人を大切にするのと同じくらい自分も大切にしろと。
モジャロックが言いたかったのは、そういうことなのか分かりませんが、私はそう解釈しました。
きっと彼も45年の人生で導き出したひとつの結論を私にくれたのでしょう。
そして、私が中学2年のとき、モジャロックが小学校から転任するという知らせが届きました。
すぐに学校を訪問するもモジャロックは不在。
その場にいた他の先生にモジャロックがいない場合のために用意した手紙を渡してもらうようお願いし、帰りました。
後日、我が家にモジャロックから手紙が来、そこにかの飲酒運転の過去の告白と、
「その時、皆が自分から離れる中、1人の女性が味方でいてくれた。「あなたには価値がある」と言ってくれた。飲酒運転をしたことはいけない事だが、その経験は私に自身の存在を肯定してくれる人の存在を気づかせてくれた。君はこの手紙を読んでどう思う?」
と書いてありました。
私に無断でその手紙を開封し読んだ父からは
「こんなもの捨てろ」と激怒されましたが、
(人宛の手紙を勝手に読むなんて悪趣味極まりないですが…)
モジャロックが過去の汚点を告白してまで私に何を伝えたかったのか、それを手紙を受け取った当時も、今も考えています。
きっと、私が人生経験を積む中で、私なりに答えをみつけるのでしょうか。
でもね、モジャロックのお陰で、私は人生における大切なものを得たと思っているし、己の存在価値を見出すことができたと思います。
あの時のモジャロックとの出会いがなければ、私はここに居ないかもしれません。
本当に本当に変な人でしたし、
客観的にみれば、異常者です。
でも、間違いなく私にとっては「先生」でした。
