先日とある大きな買い物をしました


その額なんと、給料2ヶ月分


正直めちゃくちゃ高かった


でも、それはお金以上の価値があるから


それはあるものの「証」


それは、選ばれた、たった1人の人にしか渡らないもの


アクセサリーに見えるけれど



アクセサリーではなく、もっと重要な意味を持つ



一体それはなんでしょう



その答えはもちろん…



半年後に答え合わせをします



早いもので2021年も残り僅か


今年も色々あったけれど、ココ最近を比較しても、特に濃密な1年だったと思う  


まず始めに、6年間過ごした東海の某県から東京に引っ越したこと


なかなかに大きな決断だったと思う


6年間で培ってきた人間関係とはまた違うコミュニティでのリスタート


その中で様々な気付きがあったかな


今までの人間関係の中での常識が通用しないこと  


これまでは接触する機会のなかった様々な価値観をもつ人と出会い、ズレや自身の至らなさを感じたこと


その事で1番大きかった出来事は5月のこと

 

お世話になっているお兄さんの紹介で会った女性  


結論から言うと、初対面でその人をめちゃくちゃ怒らせた…(汗)


言い訳がましいけれど、悪意があってしたことでは無い


ただ、そのある種の善意の方向性がズレにズレまくっていたのだ


幸い「顔も見たくない」と言うほど嫌われている訳ではないらしく、酒の席で相手がネタにしてくれるほどには落ち着いているらしい


ひとえに彼女の寛大さのお陰というか…


本当に自分の至らなさを反省するばかり


でも、その出来事は、自身の「傲慢さ」を気付かせてくれたと思う


ある意味、自分なりの「善意」はきっと相手に伝わるはずという傲慢さを


置き換えれば、愛情表現や相手を想った行動のつもりでも、受け手が精神的に苦痛を感じたらそれはハラスメントとなるように


いかなる想いが裏にあろうと、相手の受け取り方次第ではそれを正当化できないし、してはいけない


故に、言葉や行動に出す前に、それが相手にとって最善なのか、苦痛を与えないかをよくよく考えねばいけないと痛感させられた


彼女には本当に申し訳ないの言葉しかない



その後はさらに奈落に堕ちた    


7月


学生時代から7年近く付き合いのある女性


その人からのSOSを求める連絡があった


理由は付き合っていた男性に拒絶され、彼女のご両親からは日々その男性絡みで責められ、彼女がうつ病に近い状態となったと


彼女の気が紛れるならと、上司に頼み込み、無理やり休みを獲得した


そして、私の田舎に招待し、家族にも会わせた


しかし、そのことも根本的な解決にはならず


精神的にパニックになった彼女から度々来る電話


夜まで向き合い、終わったら家事や仕事の準備をし、3時間睡眠で仕事に行き、帰ってきてまた電話



身体的には正直ボロボロだった


でも、精神的には苦痛ではなかった


少しでも、彼女の癒しになれればと


背伸びをした正義感に支えられて


そんな生活が日常になった頃、彼女から言われた


「あなたと最初から付き合っていれば。東京に連れてって」



人は追い詰められれば藁にもすがりたくなる


そんな事はわかっていた


でも、私はそれを冗談で片付けたくなかった


彼女は辛い日常を耐えながら必死に生きている


そして、私を必要としている


その想いを半笑いで受け止めてどうする、と


だから、いざとなれば、交際0日で籍を入れることとなっても責任は取るつもりだったし、彼女が東京で職を見つけるまでは、私のバイト時代の貯金を切り崩してでも面倒を見ようと


先に「奈落」と表現している以上、無価値な覚悟だったのだけれど


9月末

 

彼女が精神的に少し回復した


それと同時に、私への連絡が遅くなった


10月 


私は彼女の地元を訪れた


目的は、彼女への想いを告げるため


中途半端はしない、と


あなたと共に歩む覚悟を決めた、と



が、


そこで待っていたのは、何だろう


失望?諦観?虚無?


形容し難い負の感情だった



彼女に告げられた事実


元彼さんとヨリを戻せそう


私への連絡が疎かになったのも合点がいった


そして、元彼さんの地元に翌週会いにいくと


その地元は、東京なんかより遠い場所


彼女といる間、7割以上が元彼さんの話だった


少しの望みを託し、冗談交じりに聞いてみた  


「東京には来ないの?」


帰ってきた答えは


「元彼の地元に行くのでお金遣うだろうから、また今度ね」



「こいつ無理だ」



心の底からそう思った


精神安定剤として利用されたなと


病気が治るように問題が解決すれば、薬なんて無用の長物だし


そして、それっぽいセリフに踊らされていたなと




そして、

東京に戻ってすぐ、私の方から拒絶めいた文面を送った  


私の思い上がりは承知の上だし


彼女に、そこまでの悪意はなかったかもしれない


元彼さんから拒絶されてからは、しつこいくらいに彼女の方から復縁を迫ったらしいが


私が上記のように文面を送った後は、何の連絡もない


それが、返答だろう



かくして、私は7年ほど大切にしてきた人間関係に終止符を打った



それからの私は燃え尽き症候群のような状態である


それに、人は利用価値がある人間のことは徹底的に利用するとわかった


いや、初めからそのつもりはなくとも、利用価値を見出し、且つ相手を見下したら、人は人を物としか見なくなる


ある意味、人の本質的醜さに触れ


手放しに人を信用出来なくなった



会う人会う人から、憂いを帯びた目をしていると言われるようになったし、写真で見る私の人相は醜悪そのものになったと感じる



そして、バグったゲームのような、あらゆる感情の波が不定期に且つカオスに私の中に混在するようになった



常に頭の中に「120% VOlTAGE」が流れているような




まぁ、カビ臭い話はほどほどにして、



これでもいい事はたくさんあった



東京に来てから、東京を拠点とするプロレスサークルの皆さんのオフラインでの仲間に入れていただいた


歳上のお兄さんお姉さんがたくさんいらっしゃるが、かなり可愛がっていただいているし、「大人」

というものは何かを学ばせていただいていると思う



それに、東京に来てから、大好きなプロレスをたくさん見に行けるようになった


後楽園ホール、日本武道館、両国国技館、そして東京ドーム、あらゆる聖地に足を運び、多くの熱闘を目の当たりにした


今年から始めた仕事も、人間関係には特に恵まれ

上司の皆さんから仕事もプライベートもかなり良くしていただいている


それに、奈落と表現した出来事の数々も、

将来的には「あれがなければ今の幸せはない」と思えるようになるだろうし、思えるようにしてみせる



さて「総括」というより「雑感」を述べた形になったが、かなり濃ゆい1年だったと改めて思う (汗)



来年は果たしてどんな年になるのか、


その答えは、もちろん…








2021年11月14日



内藤哲也選手が帰ってきた


遡ることおよそ2ヶ月前


9月18日、G1CLIMAXの公式戦のザックセイバーJr戦で左膝内側側副靭帯損傷・半月板損傷の怪我を負い、その後欠場となった。


11月8日、彼本人が会見をし、11月14日のWORLD TAG LEAGUE での復帰を宣言した。



チケットは即売り切れ。



追加販売を期待して、一日中スマホとにらめっこする日もあった。


そして、取れた!


そして、行った!!


しかも入場口から最も近い席だった!!



新日本プロレスの主な試合をテレビ朝日系列の「ワールドプロレスリング」で放送している。



自分が観に行った試合。


感慨深く見ていると、、





映ってた!!


推しと同じ画角に収まった!!


心臓止まるかと思った😅



残念ながら東京では既に放送されてしまったそうだけれど、



名古屋地域のメーテレでは


本日深夜3時より放送されるらしい!!



誰への宣伝なんだ…







ちょっとだけ「俺の家の話」をさせて貰いたいと思います。

未だにちょっと不思議な話を。

私の祖父は、私が13歳の頃に亡くなりました。

10万人に1人と言われる難病で、徐々に脳が固まっていき、記憶が失われていく病に侵され。
(記憶のままに書いているので、病気に対する知識が不十分かつ、間違っているかもしれませんが)

祖父に違和感を覚えたのは、私が10歳くらいの頃でしょうか。

「ばぁさんどこいった?」と祖母の居場所を私に聞いてきたのです。5分おきに2度。。

「さっき聞いて、俺答えたよね?」そう思いました。

「認知症」という概念がなかった私でしたが、人は歳をとると記憶力が若干悪くなるものだと、片田舎の老人の多い街で育ったが故に、肌感覚で知っていました。

当時祖父は75歳。

年相応の「ボケ」であろうと。


日を追う事に小さな違和感がより確信になりつつあったのですが、それでもまだ年相応の「ボケ」の範疇に収まり、その些細な違和感が日常のものとなり、些細さすら感じなくなっていったのでした。

私が12歳になるまでは。


12歳。私が中学校に進学してすぐのとき。

入りたての部活動の練習でヘトヘトになりながら帰ってくると、祖母が真っ青な顔をして家中を走り回っているのです。

「おじいさんが、どっか行っちまったよ」

祖父は近所に行くにも徒歩ではなく車を使う人でした。それに、黙って外出をすることはなく、誰かしらに行き先を伝えてから行く人だったのに。


それが、車も車の鍵も家に置いたまま、祖父の姿だけがなかったのです。


祖母には家に待機してもらい、私は買ってもらったばかりの通学自転車にまたがり、祖父を探しました。

砂利道から泥だらけの農道を全速力でかっ飛ばし、銀ピカの自転車を真っ黒に染めながら。

祖父がいたのは、1km程先の神社でした。

季節は5月上旬の日没間際。

日中は暖かくとも、夜は底冷えするほど寒くなる北関東の片田舎。

薄着のまま、手ぶらの祖父が、なんの目的もなく歩くのを見て、私は一瞬、今自分が何を目の当たりにしているのかわかりませんでした。

我に返ったときは、祖父の手を引いて家に連れ戻そうとしていました。


ここからは詳細は覚えていませんが、祖父は何やら支離滅裂なことを言って、かなりの力で私の手を振り払おうとしていたのは覚えています。



その後、明らかな「異変」が立て続けに起こりました。


ある日、学校から家に帰ると、居間に「うんち」の臭いが充満していたのです。
発生源はやはり祖父。
トイレに行ったあと、おしりを拭かずに出てきたのでした。


またある時は、私が遊んでいたテレビゲーム機器の赤いランプを「火だ」と言い出し、足でゲーム機を踏みつけにしようとしました。


祖父は喫煙家でしたが、口に葉の部分を咥え、フィルターに火をつけようともしていました。何度も何度も。


ある日祖父に歳を聞くと「50歳だ」と言い出し、(当時78歳) 「オラの母ちゃんどこいった?」と12年前に亡くなった自らの母をの居場所を聞いてきたのでした。

そして、「母ちゃんが心配だからオラ家に帰る」と急に深夜に騒ぎ出しました。祖父がいるのは紛れもなく自分の家なのに。

そんな祖父を「家に連れて帰る」という名目で残業終わりの父が車で何時間もドライブに連れて回っては家に戻って、祖父に「家に帰ってきた」と思い込ませていたのでした。
深夜2時頃だったでしょうか。
父はそのまま、5時には起床し、翌朝も会社に向かうのでした。

それでも常に「おかしい」わけではないのです。
「穏やか」な時もあるのです。

ただ、突然混乱しだす、烈火のごとく怒りだす。
そのスイッチがどこにあるのか分からない。
いつそれが入るか分からぬ恐怖、そして身も心も限界を迎えた父や母や祖母、怯える妹たちを見て、私はこう思ってしまいました。


「じいさんが死ねば全てが解決するのかもしれない」


続く











先日、仕事で遠方へ訪問に。


仕事も片付き、気分転換にいつもとは違う道を通りながら会社に戻っていたら、


ふと視界にある寺院が入ってきました。




世田谷区にある真宗大谷派の西蓮寺さん


場所と宗派は違えど、この「西蓮寺」には浅からぬ因縁といいますか、切っても切り離せぬ存在でありまして。

たまたまブラブラしていてたら、ふと視界に入ってきた偶然に驚きつつ、勤務時間の2分ほどサボりをして、境内に入りお賽銭を納めてきました。




何か近々ありそうな予感…

16時からの訪問に備え、15時半に会社を出る。


先方へはおよそ15分ほどの距離。


余裕を持って出発するのが私の矜恃。


訪問した事を会社に報告するため、


オンラインの訪問記録表をスマホで開くと

 

 訪問が16時30分からになってた…



しまった。早すぎた。


45分を無駄に過ごすことになってしまう、



仕方なく、うち30分を休憩に計上し、コンビニによる。





会社からの帰路で買おうとしていた週刊プロレス。

すぐさまお会計を済ませ、公園で読む。


寒空の下、落ち葉の中の虫をつつくカラスに包囲されながら、

おもむろに読む。


たまにはこういう日もいいかな。

日がな一日、○んぽしようと思い立ったが吉日。



タッタッタッと、気持ちのよい○ンポで、進んでおりますと、


大きなコンビニがありまして、


田舎にはこんな風に、おっ○い、○んぽはよくあるのですが、


都会ではなかなか見ないので、非常に珍しく思い、立ち寄ってしまいました。


中で色々物色してますと、美味しそうな棒状のチ○コがありまして、


昔よく祖父母に、そんなにチ○コを口に頬張ったら、鼻血が出るぞと取り上げられたものです。


懐かしさのあまり、買って、チ○コの先っちょを少しだけかじってみますと、優しい甘さが口○っぱいに広がるのです。


いい買い物をしたなぁと、気分よく○んぽを続けていると


道中の学校から、体育の授業でしょうか、



○んこをとる声が聞こえてくるのです、


体育の授業と言いますと、



学生時代、1人はいた鬼教師に、○んこが小さいやつが1人でもいると、よく「ヤリ直し」としごかれたっけなぁ。


いやー懐かしいなぁ。



今や、20代も半ば、気がつけば老けたなぁと思いますよ。


本当にしなしなになりましたね。


ちゃんと自分を奮いタタせてイかないと!!