もう、半年近く前のことですが、「今更感」という自己否定を押し殺して書いていこうと思います。

 

結論から言うと、とある方と「縁を切った」という状況になりました。

まあ、それまでも冷戦状態でほぼ縁などなかった状況ではありましたが。

ようやく気が付きました「この人から離れなければ自分は終わる」

賽の河原のように、同じことを延々と続ける羽目になっていたと。

 

そう考えると2022年10月というのは自身の中で大いなる転機でありました。

 

 

続く…

早いもので2021年も残り僅か


今年も色々あったけれど、ココ最近を比較しても、特に濃密な1年だったと思う  


まず始めに、6年間過ごした東海の某県から東京に引っ越したこと


なかなかに大きな決断だったと思う


6年間で培ってきた人間関係とはまた違うコミュニティでのリスタート


その中で様々な気付きがあったかな


今までの人間関係の中での常識が通用しないこと  


これまでは接触する機会のなかった様々な価値観をもつ人と出会い、ズレや自身の至らなさを感じたこと


その事で1番大きかった出来事は5月のこと

 

お世話になっているお兄さんの紹介で会った女性  


結論から言うと、初対面でその人をめちゃくちゃ怒らせた…(汗)


言い訳がましいけれど、悪意があってしたことでは無い


ただ、そのある種の善意の方向性がズレにズレまくっていたのだ


幸い「顔も見たくない」と言うほど嫌われている訳ではないらしく、酒の席で相手がネタにしてくれるほどには落ち着いているらしい


ひとえに彼女の寛大さのお陰というか…


本当に自分の至らなさを反省するばかり


でも、その出来事は、自身の「傲慢さ」を気付かせてくれたと思う


ある意味、自分なりの「善意」はきっと相手に伝わるはずという傲慢さを


置き換えれば、愛情表現や相手を想った行動のつもりでも、受け手が精神的に苦痛を感じたらそれはハラスメントとなるように


いかなる想いが裏にあろうと、相手の受け取り方次第ではそれを正当化できないし、してはいけない


故に、言葉や行動に出す前に、それが相手にとって最善なのか、苦痛を与えないかをよくよく考えねばいけないと痛感させられた


彼女には本当に申し訳ないの言葉しかない



その後はさらに奈落に堕ちた    


7月


学生時代から7年近く付き合いのある女性


その人からのSOSを求める連絡があった


理由は付き合っていた男性に拒絶され、彼女のご両親からは日々その男性絡みで責められ、彼女がうつ病に近い状態となったと


彼女の気が紛れるならと、上司に頼み込み、無理やり休みを獲得した


そして、私の田舎に招待し、家族にも会わせた


しかし、そのことも根本的な解決にはならず


精神的にパニックになった彼女から度々来る電話


夜まで向き合い、終わったら家事や仕事の準備をし、3時間睡眠で仕事に行き、帰ってきてまた電話



身体的には正直ボロボロだった


でも、精神的には苦痛ではなかった


少しでも、彼女の癒しになれればと


背伸びをした正義感に支えられて


そんな生活が日常になった頃、彼女から言われた


「あなたと最初から付き合っていれば。東京に連れてって」



人は追い詰められれば藁にもすがりたくなる


そんな事はわかっていた


でも、私はそれを冗談で片付けたくなかった


彼女は辛い日常を耐えながら必死に生きている


そして、私を必要としている


その想いを半笑いで受け止めてどうする、と


だから、いざとなれば、交際0日で籍を入れることとなっても責任は取るつもりだったし、彼女が東京で職を見つけるまでは、私のバイト時代の貯金を切り崩してでも面倒を見ようと


先に「奈落」と表現している以上、無価値な覚悟だったのだけれど


9月末

 

彼女が精神的に少し回復した


それと同時に、私への連絡が遅くなった


10月 


私は彼女の地元を訪れた


目的は、彼女への想いを告げるため


中途半端はしない、と


あなたと共に歩む覚悟を決めた、と



が、


そこで待っていたのは、何だろう


失望?諦観?虚無?


形容し難い負の感情だった



彼女に告げられた事実


元彼さんとヨリを戻せそう


私への連絡が疎かになったのも合点がいった


そして、元彼さんの地元に翌週会いにいくと


その地元は、東京なんかより遠い場所


彼女といる間、7割以上が元彼さんの話だった


少しの望みを託し、冗談交じりに聞いてみた  


「東京には来ないの?」


帰ってきた答えは


「元彼の地元に行くのでお金遣うだろうから、また今度ね」



「こいつ無理だ」



心の底からそう思った


精神安定剤として利用されたなと


病気が治るように問題が解決すれば、薬なんて無用の長物だし


そして、それっぽいセリフに踊らされていたなと




そして、

東京に戻ってすぐ、私の方から拒絶めいた文面を送った  


私の思い上がりは承知の上だし


彼女に、そこまでの悪意はなかったかもしれない


元彼さんから拒絶されてからは、しつこいくらいに彼女の方から復縁を迫ったらしいが


私が上記のように文面を送った後は、何の連絡もない


それが、返答だろう



かくして、私は7年ほど大切にしてきた人間関係に終止符を打った



それからの私は燃え尽き症候群のような状態である


それに、人は利用価値がある人間のことは徹底的に利用するとわかった


いや、初めからそのつもりはなくとも、利用価値を見出し、且つ相手を見下したら、人は人を物としか見なくなる


ある意味、人の本質的醜さに触れ


手放しに人を信用出来なくなった



会う人会う人から、憂いを帯びた目をしていると言われるようになったし、写真で見る私の人相は醜悪そのものになったと感じる



そして、バグったゲームのような、あらゆる感情の波が不定期に且つカオスに私の中に混在するようになった



常に頭の中に「120% VOlTAGE」が流れているような




まぁ、カビ臭い話はほどほどにして、



これでもいい事はたくさんあった



東京に来てから、東京を拠点とするプロレスサークルの皆さんのオフラインでの仲間に入れていただいた


歳上のお兄さんお姉さんがたくさんいらっしゃるが、かなり可愛がっていただいているし、「大人」

というものは何かを学ばせていただいていると思う



それに、東京に来てから、大好きなプロレスをたくさん見に行けるようになった


後楽園ホール、日本武道館、両国国技館、そして東京ドーム、あらゆる聖地に足を運び、多くの熱闘を目の当たりにした


今年から始めた仕事も、人間関係には特に恵まれ

上司の皆さんから仕事もプライベートもかなり良くしていただいている


それに、奈落と表現した出来事の数々も、

将来的には「あれがなければ今の幸せはない」と思えるようになるだろうし、思えるようにしてみせる



さて「総括」というより「雑感」を述べた形になったが、かなり濃ゆい1年だったと改めて思う (汗)



来年は果たしてどんな年になるのか、


その答えは、もちろん…








11月14日


夜の公園であるひとと2人、話をする。


他愛もない話から、そのひとの悩みへ


慢性的にあるという希死念慮。

それがそのひとにずっとついて回るという。


思えば2年前、私にも希死念慮は存在し

未遂に終わるも、実際に行動に移した



その経験があるから、私の周りには苦しんで欲しくないし、大切なひとならばなおさらその気持ちは強くなる


「死んで欲しくない」


その想いを伝えるには


私が心の奥底に封印していた 

「忌むべき経験」

を解放するしかなかった


そうしないと、ただの綺麗事、一般論でしか伝わらない気がして



結果


大泣きされてしまった


余程、そのひとにも辛い経験があったのだろうし、

私の経験ともリンクしたのかもしれない


ただ、なんだろう。


自分でも泣くことの出来なかったその経験に対し

泣いてくれるひとがいること

それが私を救ってくれた


そして、心に誓った


このひとは大切にしよう


いや、させてください、と。


いずれ詳細は話しますが、


そのひとが私の最も大切なひととなってくれました


ありがとう


今度は全力で笑わせにかかりますのでご容赦を!

私のスマホには、1年前に撮った写真とかを表示してくれる機能があるのですが、


今朝方表示されたのが、地元の田園風景


 そうか、あれ以来地元に帰っていないんだなぁ


そんなことを考えておりました


その気になれば、電車で1.2時間あれば帰れる場所ですが、何やかんやで帰っておりませんでした



そもそも、何で1年前は帰ったのだっけ?


恐らく取るに足らない理由でしょう


今は特に帰る理由もないですが、


あまりにも帰らないと、歳をとって後悔することになるのでしょうか



近々、帰るのもありですかね



押し入れに隠した、いかがわしいビデオの安否も気になりますし



「優しくなくなったね」


久々に会った知り合いから言われてしまいました。


いつもなら

「うるせぇ」と思ってしまいますが、

これ

ばかりは自覚しているので、言い返せないです


こうなったのも、

昨年の今頃、

他の誰よりも心から信頼して、心を許していたひとに

「都合よく利用されていた」

経験からでしょう。


このブログのどこかで、詳細は話したと思いますが


そして、己に気づいてしまったからでしょう


見返りは求めないと思っていても、いざ都合よく利用されていたとわかると、屈辱的な感情を抱いていた己に


「こんな惨めな思いをするなら、最初から見返りを求めて動いた方がどのみち楽だ」


そう思ってしまったのです



だから、私は己に得がないと動かない


そんな打算で動く、心の狭い人間になってしまった

のです


でも、今は物凄く身体が軽くなったのです


だからもう、優しさなんて重りを自分につけたくない


優しくなりたくない


そう思います



すみません💦


サボってました。

コロナ感染から2日程度で症状が寛解し、あとの療養期間は何事もなく過ごすという方もおられるようですが、私はずっと、発熱、喉の痛み、倦怠感、咳…フルコンボだドン!!という状態でした。


いや、誰だよただの風邪とか言った奴


そんなこんなでずっと更新をサボってましたが、

後ほどちゃんとまとめて投稿します。



割と症状は落ち着いてきたものの、時折現れる謎の胸痛。


アタシコンナショウジョウキイテナイヨ




7月11日、療養2日目です。


この日はようやく通院ができました。


またまた時系列順で書いていきます


9時:医療機関に電話。1件目は感染者増加により当日分は受け付けておらず、2件目で16時30分からの診察予約を取る。


10時:上司から電話がくる。簡単な聞き取りと安否確認をされる。これがまぁ辛い😅 いや、10分くらいの電話でも咳き込み、喉痛、声のカスレなどでまともに会話できない。上司にめっちゃ体調を気遣っていただいたのに、無愛想に接したみたいになってしまう。


13時:簡単にお粥を食べるも喉が痛く上手く食せない。そして、何故か苦く感じる。これが味覚障害か。


16時30分:通院。受付の方に声掛けて良いのか分からず、2mほど離れてアイコンタクト。すんなり通していただける。問診や簡単な触診もあるが、本当に声が出ない…。天龍源一郎さんみたいな声になる。

案の定、病院の検査結果も陽性。


ここでびっくりしたのが、案外病院の対応がインフルエンザで通院した時と大差ないこと。

もちろん、医師は防護服にこまめなアルコール消毒をしていたけれど、想像していた院内完全隔離やビニール等で全身を覆われるなどはなかった。

やはりパンデミックから2年以上経過し、それなりにウイルスへの落ち着いた対応マニュアルが出来てきたという事なのかな。

お医者さんや研究者さん、政府自治体の皆さんには感謝してもしきれません。


17時:薬局で薬を貰い帰宅。


ちなみに、病院も薬局も家から徒歩2分だったので、本当に東京最高となりました!


ちなみに処方薬は、咳止め、解熱剤、うがい薬、トローチ。

当たり前だけれどウイルスに直接作用するものではなく、症状抑える系ですね。



18時:早速夕食を食べ。服薬。

ようやく白米を口にできるようになった。

そして、昨日から水分補給で飲んでいたポカリが苦い…。例えるなら、特茶とかヘルシアとかのカテキンマシマシの健康飲料を飲んでいるような感覚です。


ちなみに熱は39℃付近をウロウロ。


19時:東京都の自宅療養サポートに食料等の援助を申し込む。

政治や行政に文句を言う人もいるけれど、本当にこういう救済措置を用意してくれる方々のお陰で我々は命を繋いでいるのだな、と改めて感じました。




さて、今回とても驚いたのは、

薬代がタダという事。



病院で先生から、「咳止め要りますか?」「うがい薬は?」と薬の要不要を聞かれたのですが、保険適用でも絶対高くなるなぁと思いつつも、背に腹はかえられぬと提案された限りの処方箋を出してもらいました。

そして、隣の薬局の薬剤師さんから薬の説明の後に言われたひとことが「お代は今回掛かりませんので、お大事に」。


めちゃくちゃ驚きましたが、この国は何とサービスの充実した国なのだと、改めて感謝の気持ちが出てきました。


普段我々が政府や自治体のコロナ対策について文句を言ってしまいがちですが、実際に罹ってみると、如何に我々が恵まれた場で生活しているのかが分かります。


とはいえ、対策も全てにおいて完璧ではないでしょうし、このような対策があっても困っている方や亡くなる方もいらっしゃるので、見直しやその働きかけは必要でしょうが、感謝の気持ちは忘れないようにしたいと思った次第です。


今回かかった費用は、病院の診察代と私の場合初診だったので初診料の合計2500円ほどです。

倍以上は覚悟していたので、本当に驚きです。



私がこの日の出来事を通して言いたいことは、


「感謝しながら施されるサービスは受けましょう」


と言うことです。

無料だからと必要以上に薬や支援物資を要求するのは倫理的に如何なものかとは思いますが、コロナ感染した時の最低限のサービスは保障されていますので、ご安心を。







何となく自分はコロナに罹らないという謎の自負がありましたが…



罹りました…


感染経路はなんとなくの心当たりはあるけれど、推測でしかないので控えます。


7月9日まではめちゃくちゃ元気でしたが、10日早朝から急に体調が悪化し、今に至るという感じです。


これだけは言っておくけれど、


「コロナはただの風邪じゃない!」


めちゃくちゃ辛いじゃねぇか!!


という訳で、今後感染しないことが1番ですが、もしもの時、少しでもお役に立てればと思い、精悦ながら私の経過を時系列順に書いていきます。



7月10日


5時:その日の1時頃の入眠だったが、喉の痛みで目覚める。うがいや水分補給も効果なし。

常に喉に乾燥した空気をドライヤーで当てられているような感覚。


7時:体温を測る。36.5℃。エアコンで喉がやられただけだろうと判断し、そのまま再度寝る。


10時:熱が37.7℃に。コロナを疑う。PCR検査可能な医療機関を探すも、日曜日なので軒並み休み。


12時:都の発熱相談センターに連絡する。休日診療が隣町の病院だったため、移動のリスクを考え断念。会社に電話。翌日を欠勤にしてもらう。

空腹なのに食欲なし。たまたまあったスポーツドリンクをチビチビ飲む。


16時:熱が39℃を超える。会社備品の抗原検査キットを配達してもらい検査。陽性。やっぱりなぁ。  






17時:吐き気と頭痛と悪寒が起こる。飲酒した後の朦朧とした気持ち悪さに近い。直ぐにトイレに直行し吐く。


18時:頭痛が酷い。常にガンガンしている。熱を測ると40.2℃。終わった…。通院するまでは自己判断はしないようにしようと服薬は控える。


19時:再度吐く。


21時:水を飲んでも気持ち悪くなる。


22時:頭痛が常時おきており、熱も40℃付近を記録しているので、耐えきれず解熱薬を飲む。

ワクチン接種の時に買っておいた自分に感謝


23時:熱が38.5℃に下がる。悪寒と吐き気、頭痛がなくなり、会社の方に買っていただいたプリンと自作のお粥を食べて就寝。


これを書いている11日現在、10日の夕方以降が症状のピークだと感じています。



自己判断は良くないけれど、解熱剤飲んでよかった…発熱している時は身体とウイルスとが闘っている証拠と言いますが、生命の危機を感じたら迷わず飲んでください!


明日投稿しますが、翌日の病院でも解熱剤が処方されたので、余計な我慢は本当に無用だったんだなぁと反省です…







あちぃ…


電気代も値上がりした事だし、今年は極力冷房を使わないぞ!!と決意してから3日


私の決意は水泡に帰しました。。。


エアコンの代わりにと買った冷風機ですが、

風量がよそ風レベル…

普通に扇風機の方が涼しい⤵︎⤵︎⤵︎


この夏1番無駄な買い物をしました。


結局エアコンが最強でしょ!

と気がつき、来年以降は無駄な痩せ我慢は辞めることを決意しました。



さてさて、本題に入ります。

別にどこが悪いかは上手く説明できないけれど、最近何となく違和感を覚えることがあるのです。


それは、勝手に感情を決めつけられているような気持ち悪さなのです。


そのきっかけは

とある人との会話の中で、最近趣味仲間が増えて色々趣味について話をしているということを私が話すと


「それは嬉しいね」


と返されたことです。


いや、何が悪いの?と思うかもしれません。


別に何も悪くはないのです。



ただ、こちらは「嬉しい」など一言も言っていないのに、まるで感情を決めつけられたかのような気持ち悪さがあるのです。


もちろん「嬉しい」という感情はあるとは思いますが、そんな単純な定義で片付けられるほど、私の感情とは簡単ではない、と。


「嬉しい」というのは、あなたの感想ですよね、と。

それをあたかも私の感情のように話されている違和感というか、何と言うか。


これは想像の話ですが


例えば、親しい方が亡くなったとして、それを他人に話したら「悲しいね」と言われたとします。私であれば「そんな簡単な言葉で片付けんな」と心の中で思ってしまうし、「勝手に自分の感情を決めつけんな」と思ってしまいます^^;


うん、めんどくさいやつですね…

自分でもそう思います。

絶対こいつに友だちはいません。


少しばかりの自分語りが許されるなら、こうなったのは幼少期に「素直な子」である事を暗に求められたことが発端なような気がします。


元来、私は感情を素直に表現する事に気恥しさを覚える、ひねくれた子どもだったのです。

同居している父方の祖父母や両親はそれを理解していたので、私がどんなに憎まれ口を叩いても、真意を理解してくれていました。


ただ、同居していない母方は、私の本質を知らなかったのもあるでしょうが、「素直な子」に矯正しようとしていた節がありました。


例えば、ご飯を皆で食べている時に母方が「みんなで食べると美味しいよな」と言ったことに対して、私が「別に」とふざけて言うと怒られたりと、ただの気恥しさからおちゃらけて言ったことに対して、小一時間説教をされ、公式通りの感情を抱き、それを素直に表現する「素直な子」である事を強制されたという記憶がずっと残っているのです。


故に素直な子を演じてきた自分と本来のひねくれた自分の乖離がずっと私について回ったのかも知れません。


だからこそ、「嬉しいね」「悲しいね」と言った感情の決めつけのような事に妙な違和感と若干の拒絶反応を示してしまうのかもしれません。


私の感情を一般的に正しいと考えられる公式に当てはめるな!

勝手に定義すんな!

素直な感情とやらに矯正すんな!と。


それを言った本人はそんな意図はないと思いますし、その事が原因でその人を嫌いになるということはないでしょう。


それに、私も感情の決めつけのような行為を他者にやっていたと思うので、その人を糾弾する権利はありません。


ただ、たった一言から覚えた妙な違和感と、その原因をこうして文字に起こしてみた次第です。



最後に一言、

こいつ「めんどくさいね」







先月末に、ちょっと用事があり名古屋に行きまして、ホテルに2泊してきました。

何を血迷ったか喫煙部屋を予約してしまい。
中には入ると、ヤニのすごい臭いが…

実を言うと、20歳の頃からわずか数ヶ月ですが、喫煙者だった時期があり、ある日発作的に止めてからは5年ほど、非喫煙者として過ごしていました。

しかし、その部屋が私の眠っていた喫煙欲を呼び覚ましてしまったのです。

吸いたい…
ああ、イライラする

ニコ中に逆戻りしそうです。。。

しばらくはこの衝動との戦いです。