愛知県犬山市の仏像専門の骨董店「珍品家」です。
「円空」好きの珍品家ですが、本物の円空仏は下呂の円空館や岐阜市の円空美術館等々に行かなければ拝めません。
「円空」は、飛騨地の寺に立ち寄っては、一宿一飯の義理のように神仏像を残していますが、お寺やお宮は、常時展示をしていませんのでご尊顔を拝せませんよ。
円空彫り(模倣・似せて彫る)なら珍品家も二体有りますので一体を紹介しますが、
良く彫られていますが、所詮は贋物です。
修験者「円空」は、
岐阜の美並(みなみ)村の生まれで、32歳で同村の粥川寺で仏門に入り、二年後に伊吹山で行を行い、修験道(日本古来の山岳信仰・神道が仏教に取り入れられた日本独特な宗教)のために北へ上がって北海道に入ってます。
行く先々でナタとノミを使った素朴な神仏像を12万体も残したと言われていますが、大半が粗末に扱われて、現存する円空仏は、5298体、愛知県には3241体、岐阜県は1684体が大切に受け継がれています。
その内の数十体が下呂の「円空館」に展示されています。
先に報告した神仏像以外の神仏像と背面の筆書きの紹介です。
下の写真
富士浅間大菩薩像です。
下の写真
青面金剛神像、背面に直筆の筆書きもあって、岐阜県の重要文化財に指定されています。
円空の晩年は、岐阜県関市の弥勒寺(みろくじ)で亡くなるまで、この地で過ごしているようです。(64歳没)
さて、ここまでが我々が知る円空ですが、ここからは余り知られていない円空は歌人でもあったという話です。
岐阜県関市にある「洞戸円空記念館」には1200首もの和歌が残されています。
これだけの和歌がどのように保管されていたのか、これが感動ものでした。
円空は、生涯3回 高賀神社(関市洞戸高賀)で過ごした記録があるようです。
円空は、この高賀神社に納められている甲斐の国(山梨)や熊野新宮神社(京都)から寄せられた12~13世紀(平安時代・多少バラつき有)頃に書き写された傷んだ「大般若経」600帖の貴重性を思ったのでしょうか、修復に取り掛かります。
円空は、この巻子装(かんすそう)の「大般若経」を円空直筆の和歌や神符(しんふ・御札)を裏打ちに使って、保存しやすいように冊子装にも補修しましたが、この裏打ちの和紙が円空直筆だと判明してから騒ぎになったようです。
「大般若経」から一枚一枚を丁寧に剥がして乾燥させ「円空」直筆の和歌として、期間限定で展示しているのが、岐阜県関市の「洞戸円空記念館」です。
これが「円空」の和歌で裏打ちして補修した「大般若行」です。
下の写真
これでも丁寧に剥がされたのでしょうが、苦労されたことが分かります。
修験者 円空は、歌人としての才能を発揮した多才な僧侶だったんですね。
因みに、晩年に過ごしたと言われる「高賀(こうか)神社」は、岐阜県関市洞戸高賀に所在する神社で、創建は奈良時代ですが、室町時代に火災になって、江戸時代に再建されたようです。
円空仏も多数所蔵しており、高賀神社伝来円空作仏像群として、岐阜県指定の重要文化財になっていますが、大半は、「洞戸円空記念館」に保管されているようです。