愛知県犬山市の仏像専門の骨董店「珍品家」です。
今日は、珍品家のちょっといい加減な時代付けの看板の紹介です。
この看板は、岐阜県中津川市加子母の古道具屋にあったものですが、
芋かけ 金七銭
と、力強く書かれた看板を見て、自然薯(じねんじょ・ヤマイモ)をたっぷり掛けた旨そうな丼
と、この看板に誘われて、のれんをくぐった人も多かったろうとイメージして買ったものです。
これが芋かけ丼です。
七銭が高いのか、安いのか、何時の時代の七銭なんだろうと、考えて日本のお金の流れを調べて入る内に、この看板は、100年位前の看板だろうと思っています。
根拠はいい加減ですので、へ~っ、そんな単純かい、くらいで聞いて下さいね。
日本は明治維新によって、貨幣の単位を
一両(4分・16朱・4000文で一両の価値)
から
1円(100銭、1000厘で一円の価値)
の新しい貨幣制度に代わって行きました。
ところが金貨、銀貨は間に合ったのですが、銅貨が間に合わずに、明治30年の廃止まで、
下の写真の寛永通宝
下の写真の天保通宝
が銭や厘の代用に使われていました。
明治6年の一銭貨幣です。
明治34年の一銭貨幣です。
明治30年頃では、、
白米(10㌔)22銭、風呂1銭5厘、酒(一升)4銭
明治44年では、
饅頭1個5厘、かけそば1銭、うな重20銭
大正時代も明治34年と同じ貨幣が使われました。
大正2年の一銭
大正時代は、
白米(10㌔)1円78銭、風呂3銭、豆腐一丁2銭、日雇い59銭
昭和前期(10年まで)
白米(10㌔)2円30銭、風呂7銭、豆腐一丁5銭、日雇い1円53銭
昭和12年で
焼き鳥10銭、天丼40銭、
昭和13年の一銭貨幣です。
昭和20年までの戦時中
白米(10㌔)3円25銭、風呂6銭、豆腐一丁6銭、公務員75円
戦争によって、銀貨が不足して、紙幣を発行、1銭銅貨が1銭アルミに代わります。
昭和22年までの戦時中
白米(10㌔)150円、風呂4円、豆腐一丁1円、ハガキ銭、
この頃に金属が不足して、軍が使用した薬きょう(銃の火薬を詰める筒)や弾帯(弾丸の底にはめ合わされた銅)をスクラップを素材にした黄銅貨(現在の穴あき5円)の製造がはじまります。
驚くのは、珍品家が生まれた昭和28年の
「少額通貨の整理及び支払金の端数計算い関する法律」
という法律が施行されるまで、寛永通宝(銅銭)、文久銭(銅銭)がお金として使われていたようですね。
詳細は分かりません。
こうやって見ると時代背景によって円も銭も形も変わり、貨幣の価値も変わっていることが分かりますよね。
現在、白米10㌔4~5千円位、丼物は7~800円、銭湯4~500円位、豆腐一丁1~200円として、丼物は、銭湯の倍として考えると、この看板は、明治後期~大正前期が妥当な線じゃないでしょうか。
あんまり深く考えないで下さいね。
以上、いい加減な珍品家でした。