芋かけ 金七銭の看板 | オリベストリートの骨董店 仏像を楽しむ「珍品家」│

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岐阜県多治見のオリベストリートの古美術「亘」をお借りして、仏像を中心に骨董店「珍品家」を営んでます。
名古屋市から車で40分、多治見駅から10分です。
お問い合わせは、080-1562-4321まで連絡下さい。

 

愛知県犬山市の仏像専門の骨董店「珍品家」です。

 

今日は、珍品家のちょっといい加減な時代付けの看板の紹介です。

この看板は、岐阜県中津川市加子母の古道具屋にあったものですが、

  芋かけ 金七銭

と、力強く書かれた看板を見て、自然薯(じねんじょ・ヤマイモ)をたっぷり掛けた旨そうな丼

と、この看板に誘われて、のれんをくぐった人も多かったろうとイメージして買ったものです。

 

これが芋かけ丼です。

 

 

 

 

七銭が高いのか、安いのか、何時の時代の七銭なんだろうと、考えて日本のお金の流れを調べて入る内に、この看板は、100年位前の看板だろうと思っています。

根拠はいい加減ですので、へ~っ、そんな単純かい、くらいで聞いて下さいね。

 

日本は明治維新によって、貨幣の単位を

  一両(4分・16朱・4000文で一両の価値)

から

 1円(100銭、1000厘で一円の価値)

の新しい貨幣制度に代わって行きました。

 ところが金貨、銀貨は間に合ったのですが、銅貨が間に合わずに、明治30年の廃止まで、

 

下の写真の寛永通宝

 

 

 

 

下の写真の天保通宝

 

が銭や厘の代用に使われていました。

明治6年の一銭貨幣です。

明治34年の一銭貨幣です。

 

 

明治30年頃では、、

白米(10㌔)22銭、風呂1銭5厘、酒(一升)4銭

明治44年では、

饅頭1個5厘、かけそば1銭、うな重20銭

 

大正時代も明治34年と同じ貨幣が使われました。

大正2年の一銭

 

 

大正時代は、

白米(10㌔)1円78銭、風呂3銭、豆腐一丁2銭、日雇い59銭

 

昭和前期(10年まで)

白米(10㌔)2円30銭、風呂7銭、豆腐一丁5銭、日雇い1円53銭

 

昭和12年で

焼き鳥10銭、天丼40銭、

昭和13年の一銭貨幣です。

 

 

昭和20年までの戦時中

白米(10㌔)3円25銭、風呂6銭、豆腐一丁6銭、公務員75円

戦争によって、銀貨が不足して、紙幣を発行、1銭銅貨が1銭アルミに代わります。

 

昭和22年までの戦時中

白米(10㌔)150円、風呂4円、豆腐一丁1円、ハガキ銭、

この頃に金属が不足して、軍が使用した薬きょう(銃の火薬を詰める筒)や弾帯(弾丸の底にはめ合わされた銅)をスクラップを素材にした黄銅貨(現在の穴あき5円)の製造がはじまります。

 

驚くのは、珍品家が生まれた昭和28年の

    「少額通貨の整理及び支払金の端数計算い関する法律」

という法律が施行されるまで、寛永通宝(銅銭)、文久銭(銅銭)がお金として使われていたようですね。

詳細は分かりません。

 

こうやって見ると時代背景によって円も銭も形も変わり、貨幣の価値も変わっていることが分かりますよね。

 

現在、白米10㌔4~5千円位、丼物は7~800円、銭湯4~500円位、豆腐一丁1~200円として、丼物は、銭湯の倍として考えると、この看板は、明治後期~大正前期が妥当な線じゃないでしょうか。

あんまり深く考えないで下さいね。

以上、いい加減な珍品家でした。