僧侶が人間の限界に挑戦する千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)です。 | オリベストリートの骨董店 仏像を楽しむ「珍品家」│

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 日本の仏教、代表宗派13宗の内、

   空海(くうかい)が高野山で開いた「真言宗」   

   最澄(さいちょう)が比叡山で開いた「天台宗」


この空海と最澄という二人のお坊さんは、1000年位前の平安時代のお坊さんなんですが、若い頃に中国の「唐」に渡って修行をして、帰国後は、空海が高野山で大日如来(だいにちにょらい)を本尊として「真言


宗」を開祖、一方、最澄は、比叡山に入って、薬師如来(やくしにょらい)を本尊として、「天台宗」を開きます。


 今日は、釜掘 浩元という住職が千日回峰行の「堂入り」をされたこともあって「天台宗」の荒行、千日回峰行を紹介したいと思います。


 この千日回峰行(以下、行と表現します)に挑戦して、生きて帰ってくる僧侶は50%、途中挫折は、切腹という行(ぎょう)なんですが、この行に挑戦する僧侶がウン十年に一人位出ます。



 行は、7年間で1000日、比叡山山中を巡る荒行

   1年目から3年間は、1日30㌔を100日間、決まった礼拝所260ヶ所以上を巡り、

   4年目から5年目は、同じく30㌔を200日


1000日中の700日目から

   9日間、飲まず食わず、眠らずの最も過酷と言われる「堂入り」

の行に入り、10万回の真言を唱え続けます。


   6年目からは、1日60㌔を100日

   7年目からは、1日60㌔を200日

続けて、最後の100日間は、比叡山山中30㌔を巡り満行となるそうです。


 何と7年間で、地球を一周巡る計算だそうです。

 凡人にはピンと来ませんが、挑戦した僧侶の半数は、生きて帰れない行で、途中挫折は、切腹という厳しい掟(おきて)があるようです。


 現代の医者が「この行は死にますよ」と止めるようですが、天台宗のお坊さんは、何故、自分自身を追い込むのでしょうか。


 ここからは凡人の独り言です。

 仏門に入る人は、どこかの宗派に入り、資格を取って、行(ぎょう・鍛錬)を積み重ねて、僧侶から住職という寺持ちになるんでしょうね。


僧侶は皆、目標とするところは、お釈迦様の教えに近づくことであり、金や名誉や欲、いわゆる煩悩(ぼんのう)から解放されて、ただ生きている事に満足感を得られる状態を追求する事だそうです。


 当然、恨み、つらみ、妬みと言った感情をも捨て去らねばなりません。

 そして悟りを開くんだそうです。

 悟りという言葉を良く聞きますが、生きて悟りを開いたのは「お釈迦様」だけだそうです。


 小僧の頃から仏門に入り、行を積み重ねて、お釈迦様に近づくことを目標にして、日々鍛錬を繰り返して来た、比叡山一山・善住院住職 釜堀 浩元という戦後13人目の住職が、「堂入り」まで達成され、後2


年間を比叡山の山を巡られます。

 そして満行で「阿闍梨(あじゃり・師範)」という称号?を貰うのだそうです。


 臨まれる僧侶は、僧侶になった自身への挑戦なんでしょうか、後戻りできない千日回峰行、僧侶が自分を限界まで追い込む荒行に挑戦することに世界も驚いています。


 比叡山・慈眼寺 塩沼 亮潤住職も千日回峰行を達成した人ですが、この方の言葉が実に重い。

   心が折れそうになって、99%駄目だと思っても、一つでも良いから前を向いて生きて行きたいと言

   う気持ちを残しておいた方が良い。


   神様、仏様でも皆様の心をコントロール出来ないように、自分の意思で一つでも持ち続けていると、

   やがて1が2に、2が4になって、どんどんと強くなっていく。向上心を持つことが大切です。


   成長には痛みを伴いますが、情熱を何時までも持ち続けると、幾つになっても、ふとした瞬間に涙が

   にじむくらい、清らかな気持ちになれます。


   人生に向き合って、そして今日と向き合い、この瞬間を精一杯生きて頂きたい。


   朝起きて今日も一日宜しくお願いします。と手を合わせ、良い事をして悪いことをしない。

   夜、何事も無く終わったら、神様、仏様有り難う御座いましたと感謝すること。


   これも立派な信仰だと思うのです。

   人生が行であり、日々が行とするならば、行に終わりはない。

   全て出合いに感謝しながら、一息一息を大切に、この命がつきるまで。


どうですか、生死をさまよって、這いつくばって、普通の僧侶でも見れない世界を見てきた人が、目的を達成した時に語る言葉は途轍(とてつ)もなく重いですね。


 ただただ、反省と感謝なんだそうです。


                                                      合 掌