憲法記念日やかかわった功績の記念日には、必ずX、ネットで話題になり、NHK大河ドラマでも取り上げて欲しいとのお声も聞かれますが、ご実家の白洲家は、摂津国三田藩(現・兵庫県三田市)の儒学者の家系であり士族、遺された業績やお言葉から、「武士」としての誇り、矜持をお持ちであったと伺えます。
戦後、GHQにより、わずか8日間で「英文で書かれた」日本国憲法。この憲法に真っ向から異義を唱えられました。
日本は明治憲法をベースに改正案を進めるも拒否され、アメリカの「敵国」である日本の弱体化を図ることが明確な、戦争放棄を定めた9条。
「従順ならざる唯一の日本人」とGHQに評されたとも伝わりますが、「私はGHQに殺されはしないと思うが、もしかしたら…」とご家族に伝えられた日もあり、次のようなお言葉を遺されています。
「敗戦最露出の憲法案は生る。『今に見ていろ』という気持ち抑えきれずひそかに涙す」、「この憲法は占領軍によって強制されたものであると明示すべきであった。歴史上の事実を都合よくごまかしたところで何になる。後年そのごまかしが事実と信じられるような時がくれば、それはほんとに一大事であると同時に重大な罪悪であると考える」
「人に好かれようと思って仕事をするな。むしろ半分の人には嫌われるように積極的に努力しないと良い仕事はできない」
「今の政治家は交通巡査だ。目の前に来た車をさばいているだけだ。それだけで警視総監にはなりたがる。政治家も財界のお偉方も志がない。立場で手に入れただけの権力を自分の能力だと勘違いしている奴が多い」、
まさに現在の政治家です・・・
ご逝去からほぼ四半世紀が経過する24年後の2009年、マッカーサー記念館の倉庫から、白洲氏が設計され、マ元帥に贈られた椅子と書簡が発見。書簡には“Your most obedient servant. Jiro Shirasu.”(あなたの最も従順な下僕 白洲次郎)」と署名。
実際はその正反対であられました。
この署名に、マ元帥は苦笑されながら、日本での攻防の日々がよみがえっていたことでしょう。
激動の昭和史、大東亜戦争終戦時、多くのご英霊、生き残られたご先祖様、そして自決をもって青年将校の決起をとどめられた阿南惟幾大将、鈴木貫太郎首相をはじめとする偉人、その日本人の中心に昭和天皇がいらっしゃったからこそ、現在の日本があります。
元祖・日本保守党の石濱哲信先生、その他元自衛官の方々が匿名でコメントされていますが、「岸信介首相の時代、アメリカが日本の自衛隊を自由に使えるようにするため、日本国軍にしないように日本国憲法が制定され、秘密協定が結ばれた」、とも言われます。
「自国軍を持ち、日本人による自主憲法をもって初めて独立国」と、石原慎太郎先生、田母神先生も教えられますが、そのことすら日本の教育では教えません。
日本を良くするためには、子どもたちにより良き日本を引き継いでいくためには、まず歴史的事実、日本の置かれている現状を知りましょう<(--)>