歴史を知る | slow life … 大好きなロードバイク・ミニベロで ❤︎

slow life … 大好きなロードバイク・ミニベロで ❤︎

slowな心地よい生活を送りたい ❤︎
遠くの景色を見たくて slowで走ってます。
たどり着いた感動を残したいフォトログ。

この橋はね、橋の東南角で歌舞伎の小屋を開いた興行師大坂太左衛門に由来。

橋を改修する時に、その由来や、多くの芝居小屋があったことから、木を基調とする歴史的な意匠を取り入れたんだって。


それにしてもここから見渡すと橋が多いわね〜

道頓堀川だけで21個だったかな❓


人が映らない様に撮ってますが、私の背後は人が割と行き来してます 魂

ロードバイクにまたがり写真を撮る私陽アウェーな存在です…ヶラ((´∀︎`*))ヶラ((*´∀︎`))ヶラ

かまへん、かまへん…

西を振り返って見ると、今やグリコと並ぶシンボル的存在感のドンキーの観覧車"恵比寿タワー"や串カツだるまの大臣人形が


再び道頓堀商店街に戻って…((유∀︎유|||))💦

とにかくゴミの散乱にはビックリ…

パッカー車が2台来てたかな❓

毎朝こんな感じなんだろか❓

恥ずかしい大阪の景色を見てしまいましたもやもや


アソコが道頓堀川の端っこ。

木津川と道頓堀川をクリアキラキラ

٩(๑′∀ ‵๑)۶•*¨*•.¸¸♪

ココからの東横堀川になります。

大阪城外堀として豊臣秀吉により、天正13年に開削されたといわれてます。


上に阪神高速が走る、この川はこんな景色がずーっと続きます魂

MAPを見て 予想はしてましたが、正直、色気ないです魂

でもね川に架かる橋には歴史があり、幾つかチェックポイントとして渡りました。


九之助橋

江戸時代初期の絵図には、既に九ノ介橋として記載されていることから、最初の橋は東横堀川の開削後しばらくのちに架橋されたものと考えられてます。

橋名は、何らかの関係者の人名に、つながりそうに思えるますが、その由来は不明なんだって〜。


農人橋

江戸時代に造られたそうで、当時は農民が耕作のために通っていたため、こう呼ばれるようになったそうです。

現在は、田畑なんて一つも無いからイメージ出来ませんが、生きていくには大切な橋だったのでしょうね。

それにしても歴史的な橋が架かる川の上を走る近代的な高速道路のこの景色に違和感を感じる私ですが、なんだろかも面白感… (((uдu*)ゥン


本町橋

現役の橋としては、市内で最古と聞いてます。

当時は長さが約54m、幅は5.9mの木橋だったと記されてます。

現在の橋は大正12年に、本町通を市電道路として拡幅した際に架け替えられたもので、3連の鋼アーチを、石づくりの橋脚で支えるという重厚な構造になってます。


橋の袂には船着場が設けられ、クルーズ船が楽しめます。


大阪最古の堀川であり大阪城の外堀、高速道路の高架が上部を覆い、暗くて怖いイメージだけど、見方を変えれば街中で貴重な「囲われ感」があるオープンスペース。

雨のときも小型船のクルーズが快適な「屋根つき」の水面です。


そんなちょっと素敵な説明のありました。

水都大阪のプロジェクトの一つですね キラキラ


緑地帯を見つけ、ちょっと下りてみると古い"東横堀川水門"発見…(⊙︎ロ⊙︎)ハッ

東横堀川水門は大川(旧淀川)と繋がってるみたいで川面高さを調和するらしいが、今も使われてるのかな❓

その水門のそばには、橋名板の入った親柱が。

平仮名だから出口ね。

知ってました❓

漢字表記が入り口でひらがな表記が橋の出口なのょ〜私は最近知りました v(°∇︎^*)


でもこれ使われて無いょね❓

緑地帯から上がると…

ありました、ありました…キラキラ

今橋

北浜が諸物産の集積地として発展して東横堀川対岸との往来のため「今あらたにかけた橋」が今橋といわれています。

江戸時代、今橋通は、豪商といわれた鴻池などの両替屋が軒を連ね、一大金融センターを形成していました。

それで造幣局が近くにあるのかしら❓

この頃は「日本の富の七分は大坂に、大坂の富の八分は今橋にあり」といわれてたらしい…


土佐堀川にでました。

朝陽が眩しい〜キラキラ


ゴールまで一気に行こうかとも思ったけど…
ココからもキチンと残したいから…
本日ココまで‼️

☆(*Ü*)٥hayoϋ☆


今日は月曜日。

仕事に行って、その後 クリニックへ採血に。

その後は長女とおでかけ。

今週も頑張りましょう (๑•̀ㅂ•́)و✧


❤︎︎( ॢꈍ૩ꈍ)੭*cнϋ❤︎