自分でも上手く表現ができないけど、鬱屈とした気持ちやイライラやストレス、生きづらさ、息苦しさを感じることが最近よくあります。
まず祖父が入院したあたりから自由の無さを感じてきました。
あの時は祖父がいつ死んでもおかしくない状況だったし、それから無事に退院して来たものの、世話に追われて自分の時間が減ったことに気がつきました。
朝は布団から起き上がらせオムツを取り替え、歩行介助して、食後には薬を飲ませて、トイレに行きたいと言えば排泄の介助、あれが食べたいこれが食べたいと言えば、おやつを用意したり水を持ってきたり…。
それに祖父はさみしがり屋だから、できるだけ一緒にいてやらないといけない。
危険なことをしないようにある程度の監視は必要です。
そんな片時も目を離せない状況で祖母に暴れられたりした時は本当に大変で、怪我をしないことのほうが珍しいかもしれません。
祖母の相手は母一人では難しく、たまにわたしも手伝ったり、ほんのちょっとだけ父が諭してくれたりするけど、今となっては暴れるのはほぼ毎日のこと。
それに父と母も問題があるというか、たぶんお互いにコミュニケーションが下手くそなんじゃないかと感じることがあって、それによる喧嘩も困ったものです。
例えば言葉を聞き取れなかったり聞き返したり、話が1回で通じず同じことをまた話さなければならなかったり、返事が遅れて返ってくることもあれば、主語 述語 修飾語 接続語などの日本語の口語文法の基礎すらお互い怪しく、それがより理解を難しくさせ、苛立ちから口論に発展することが多いです。
そんな時は喧嘩になりそうだと感じたら
「もうやめなさい!」
「話はそれでおしまいにして!」
「ろくなことにならないんだから!」
などとわたしが言わなければどうにもこうにもなりません。
特に母はいつまでも話をやめようとしないので疲れます。
そんな母も自分にとっての自由時間がないことをわかっているのか、祖父母が寝て落ち着いた夜になると、夜中までテレビを見ていることが多く
「もう寝たほうがいいよ」
「ほどほどにしときな」
と声をかけるけど、
「あぁー」
とまるで気の抜けたカラスのような声を出して聞いてるのか聞いてないのかわからないような反応で終わるか、
「わかってる」
と一言返されて終わり。
喧嘩の仲裁も、睡眠を促す言葉も
「これって完全に親子の立場が逆転してるよな」
「まるで老人の介護と子供の躾、両方やってるみたいに感じる。」
「自分の存在って何なんだろう?」
と、考えれば考えただけ闇に飲まれていくような感覚になったりします。
というか疲れる。
こんなことはどこの家庭にもあることだろうし、家で介護をしている人たちや、子育てをしているお父さんお母さんからすれば、わたしの考えは馬鹿げているように感じると思います。
それでもわたしは自由が欲しい。
1日のうちの半分だけでも、罪悪感や心配事を感じないで済む時間が欲しい。
そんなことを時々思うようになりました。
◇◆終わり◆◇