父が高校生3年生の時に胃がんでなくなったので
保険の外交員をしながら女手一つで
長女の私を筆頭に3姉妹を育て上げた実母。
長患いした父の入院費や治療費を稼ぐためとはいえ
バブルのその頃面白いように保険が取れたのもあり
母は保険の仕事にどっぷりはまっていきました。
母が仕事を始めたのと父の病魔との闘いが
重なった時、子供たちは中1・小5・小4。
まだまだ親の手が必要な時に我が家は
家に大人がおらず。
お金のことはなんとかなるから子供のために
家にいてやってくれという父の希望と
仕事が面白くてたまらない時期の母。
父が入退院を繰り返し家に帰ってくるたびに
大きな声で夫婦喧嘩をしていました。
確かに母が働いていなかったら
治療費も入院費も我々の学費も
払えなかったことでしょう。
しかし当時の母は今でいうネグレストでした。
姉妹のご飯は次女が何とか作っていました。
私は学校帰りに父のいる病院にバスで通う日々。
母は仕事でいつもいないのでせめて自分が
そばにいなくてはと幼心に思ったのです。
いまなら分かる気がします。
仕事をすることで現実逃避していたのだなと。
バブルの頃の保険信仰はそれはまぁすごかった。
猫も杓子もほいほいと保険に入ってくれたらしい。
当然母の生活は派手になっていきましたね。
毎日毎日部下を連れて外食三昧。
晩もお客さんのお宅を回って帰ってこない。
家はいつも子供たちだけでした。
バブルが崩壊しても母の一たび身に着いた
贅沢三昧癖はその後も抜けませんでした。
そして現在、母は79歳。
75歳の時から認知症です。
重度の糖尿病から来る心臓病で
何度も救急車で運ばれています。
低血糖で何度も倒れその都度
迎えにいきました。
最後に低血糖で倒れたのは自宅。
夜中に倒れたのか、朝方倒れたのか。
発見したのは朝の9時、たまたま訪問した私でした。
泡吹いて目が明後日の方向を向いて
ぶっ倒れている母を救急搬送。
脳は糖分で動いているので、その糖分が遮断された
時間によって脳の損傷が決まる。
認知症の始まりです。
母の友人らは皆まだお元気で民謡やら俳句やらと
忙しくお出かけしているようで
母は毎日デイサービスに通っています。
若い頃、毎日毎日外食して暴飲暴食の日々。
運動もせず、健康診断の結果が最悪でも放置。
病気が分かって食べるものを変える指導を
何度受けても、薄味だと満足できないのか改善せず。
そりゃ病気にならないのがおかしいわ
そんな素晴らしいロールモデルをつぶさに見て
生きて来たので母のようになってはいけないと
食べる物には人一倍気をつかっております。
外食はほとんどしません。
母にはもちろん感謝しておりますけども
母のような生き方はしたくない。
50代で食べたものが60代の自分を作る。
そう思っております
まずくない!!おいしいプロテイン♪