手足4本の赤ちゃんの運命
『インド東部のサダル病院で17日、手足がそれぞれ4本ずつある赤ちゃんが生まれた。
18日、英国デイリースター紙が伝えたところによると、現地の人々は偶像を崇拝するように深刻な障害を抱えて生まれた赤ちゃんに関心を示している。
普通の赤ちゃんとは異なる姿を神の現身と考えて、赤ちゃんの近くに来て写真を撮る様子も見られた。 医者は妊娠合併症によって双子が正常に成長できずにこのような形で生まれたと診断している。
赤ちゃんの顔と腹部の間に脚がついている。また臓器の一部が外部に露出しているほか、まだ性別も分かっていない。
インドでは障害を宗教的に解釈してヒンズー教の神が現れたとみなし、祭りなどで子どもに祝福を祈ることもある。』
インドで手足が4本の赤ちゃんが生まれたというニュース。
手が3本というだけでも、日本だとビックリする話題になる。でも、それはいい意味の話題ではないことが多いのではないだろか。
そんな良くない話題の中心になった時、母親は五体満足に生んであげられなかった自分を責めてしまうかもしれない。
でも、それって母親も生まれた子供も不幸だよね?
でも、それって母親も生まれた子供も不幸だよね?
五体不満足で一躍有名になった乙武さん。
生まれた時に手足がない赤ん坊をお母さんは「かわいい赤ちゃん」と受け入れて、普通に愛情を注いだらしい。
結果、乙武さんは私立でトップレベルの早稲田大学政経学部を卒業し、キャスターや作家、タレントなど幅広い活躍をする人物となっている。
もし家族などがこの子は障碍者として、あまり外に出さず、自分達も周りの目を気にして恥ずかしいと思うような態度を取っていたら、このような乙武さんは生まれていなかっただろう。
乙武さんが言っていた「障害は不便だけど不幸ではない」という言葉は、自ら体験されたからだろうなと思う。
ただ、なかなかそういう風にできない雰囲気が、まだ日本社会にはあるのではないだろうか。
さて、五体不満足の反対?の手と足が余分に生えてきたインドの赤ちゃん。
手足がないのも困るけど、手足が多いのも同じように困るよね。
手足がないのも困るけど、手足が多いのも同じように困るよね。
ただ生まれた場所がインドで良かった面もある気がしている。
日本とインドでは生活環境も考え方も違う。
いや、インドと一口に言っても色んなインド人がいて、何十という母語が混在する国なのだ。
よくインドはカースト制度があって選択の自由がないとか言われているが、そういった負の面だけではない。
カースト制度はヒンズー教徒に関することだが、インドにはイスラム教やシーク教をはじめ、さまざまな宗教が混在している。
そんな日本人から見ると文化も習慣も、宗教もハチャメチャなインドだが、こういう手足が4本ある障碍者には暮らしやすい国かもしれない。多様性がありすぎるからだ。
「インドでは障害を宗教的に解釈してヒンズー教の神が現れたとみなし、祭りなどで子どもに祝福を祈ることもある」と記事にも書かれている通り、悪魔とか気色悪いという負の感情よりも、神という尊敬の感情に見舞われるらしい。
もちろんヒンズー教徒だけかもしれないが、インドの一番信者が多い宗教だからね。
だとしたら、どうだろう?
だとしたら、どうだろう?
牛を神様とみなし、牛が店先のものを食べようと平気な顔をしていられるインド人。
神として崇められる生活なら、赤ちゃん自身もお母さんをはじめとした家族も卑屈にならずに生活していけるのではないだろうか。
神だから分離手術できないで、ずっと手足4本という暮らしを続けなければいけなくなるかもしれないという不便さはあるかもしれないけどね。
異物とみなしがちな日本社会よりもインド社会の方が、そういう意味では懐が深い気がする。
考えてみると、それって周りの人の反応なんだよね。
考えてみると、それって周りの人の反応なんだよね。
日本でも昔からそういう障害を持った人がいたが、見世物小屋などで苦難を過ごすことになった人も多かったのではないだろうか。いわれのない差別にも苦しんだだろう。
その一人、「だるま」とも呼ばれた中村久子さんは、自分で苦難を乗り越えられた凄い人だが、もう少し当時の日本社会が違う視点も持っていたら良かったのではないかと思わずにいられない。
このニュースをただ手足が4本ある珍しい子供が生まれた話にせず、自分達の社会を省みるきっかけになればいいね。
人権問題などに関心がいき、昔に比べると少しずつ良くなっているとは思うけど、他国と比較してみるのもいいかも?
人権問題などに関心がいき、昔に比べると少しずつ良くなっているとは思うけど、他国と比較してみるのもいいかも?