津山城の満開の桜、岡山県津山市 | 史跡散策

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古代からの歴史や史跡散策が趣味です。
プロフィール写真は、備後・福山城

 岡山県(旧美作国)津山城の桜は1,000本ほど植樹されて

西日本有数の桜の名所です。

 以前より一度満開の時に訪れたいと思っておりました。

 最初の写真は、南入口から石段を登ると三の丸跡に到り

三の丸から見る二の丸石垣と桜です。

 

  次の写真は、三の丸の北側から裏下門跡から二の丸に入り

二の丸西側の桜並木のトンネルです。

 

 次の写真は、二の丸東から備中櫓と本丸の石垣です。

  備中櫓は築城400年を記念して2005年に復元されたものです。

 

 次の写真は、旧天守閣台から本丸跡を見た処です。

 

 次の写真は、二の丸の東端から二の丸と三の丸の満開の桜が

  圧巻でした。

 

 次の写真は、在りし日の津山城の雄姿です。

明治6年(1873)廃城令前の写真(城内に提示)で津山城は津山盆地

の中央部に位置し梯郭式平山城で日本三大平山城の一つです。

 津山城は天守閣の外、櫓の数では広島76棟、姫路城61棟を凌ぐ

 77棟の櫓が有った。

 

 次の写真は、城の南部を流れる藺田(いだ)川この北岸(左)の

 内側が城下町。

 

 次の写真は、津山の玄関口のJR津山線の津山駅です。 

 

 次の写真は、津山駅前に展示してあるC11型蒸気機関車

津山駅には1936年に開設された旧津山扇型機関車庫が有り

現在、「津山まなびの鉄道館」が開設されている。

 

 <ご参考>

①津山城は、1441~1444年、美作国守護職・山名教清の家臣の

 山名忠政が鶴山丘陵に築城した(鶴山城)が応仁の乱後に廃城。

②1603年、備前・美作の領主の小早川秀秋家が滅んだ後に

 森蘭丸の弟・森忠政が美作一国18.6万石を領し鶴山を津山と

改名して(1603~1614)の工期をかけて津山城を築城した。

③1697年世継無く森氏が備中荏原2万石に転封後には、結城秀康

 系の松平氏が10万石で入部し明治に至る。

④2006年、日本100名城

  1990年、日本さくら名所100選に選ばれている。

⑤津山城(津山公園)では3/23~4/7さくら祭が開催中で三の丸を

  中心に屋台が多数出店されていた。 

⑥丁度、帰省中の長女と長男の嫁と妻の4人で福山より山陽本線

 岡山駅経由津山線で訪れました。(片道約160km)