岡山県浅口市(旧備中国浅口郡)には安倍晴明ゆかりの地と云われる
場所が、阿部山、寄島大浦神社と今回訪れました金光町占見にある晴明霊墳の三ヶ所があります、この占見の地名は晴明の占いに由来する
とも云われています。
写真①は「晴明霊墳」のある集落を山裾の溜池の南から見たもので、
中央のやや右奥の住宅の脇にあります。
写真②③が安倍晴明墓と伝わる「晴明霊墳」で、後世に建立された
供養塔とも云われている。
写真④同じ溜池の東側から芦屋道満墓の方向で中央のやや右の丘に墓があり、「晴明霊墳」との距離は約200mです。
写真⑤、芦屋道満墓
写真⑥、芦屋道満墓の丘より先の溜池を見た処
写真⑦、「晴明霊墳」の横を進み、坊主岩がある道満池に向かう山道
写真⑧、約200mほど登ると直径約30mほどの道満池と云う小池があり
池の中央奥に「坊主岩」という高さ7m、直径6mの坊主の頭によく似た
大岩がある。
この岩が、村に災いを起こすと予見した芦屋道満が措置をしたと伝わる
今は冬季で水はほとんど枯れていた。
写真⑨、「晴明霊墳」の西500mにある大宮神社
創建は666年頃で往時は「一の宮」だったそうだが文安3年(1446)に社殿
および古文書を焼失している、現在の社殿は元禄13年(1700)再建
写真⑩、「晴明霊墳」付近から南の金光町の市街地方面を見た処です。
金光町と云えば金光教本部のある街ですが、中央奥の山裾にかすかに
大きな屋根が見えます。
写真⑪、「晴明霊墳」の背後(北側)の山、JR新幹線はこの山のトンネルを通っている。
下図は金光町占見の「晴明霊墳」の位置図です。
JR山陽本線の金光駅の北約1km、鴨方町の阿部山の東6km、寄島町
の大浦神社の北9kmの地点です。
<参考資料>
現地説明板、Wikipedia 安倍晴明
<ご参考>
安倍晴明(921~1005)は平安時代の陰陽師ですが、50才ごろ天文博士
その後主計権助、左京権大夫、穀倉院別当、播磨守を歴任して最終官位は従4位下まで昇っている。
途中995年ごろ備中介を兼任したとも云われ、一時期に備中国に下向
したと推定するのも一興でしょうか?!