古代に神功皇后が三韓征伐帰還の時瀬戸内海の寄島(岡山県浅口市)
の三郎島で天神地祇を奉祀された事に由来し、その後997年に安倍晴明が三郎島に応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祭祀したと伝わっている。
更に永禄,年間(1559年ごろ)備中守護職細川氏の分流の細川通薫(みちただ)が居城の青佐山城の鬼門に三郎島からこの大浦の地に遷宮し
八幡宮として祀った。
明治2年に社名を大浦神社に改め現在にいたる。
写真①は、大浦神社の鳥居ですが、その前にある大浦神社の石碑は
岡山県出身の犬養毅元首相の筆による鳥居の神額の文字を拡大して
彫ったものだそうです。
写真②は、拝殿正面
写真③は、手前から拝殿、幣殿、本殿(写真説明文字が逆になっています)で小振りながら三殿が並んだ 美しい神殿です。
写真④、三殿では特に凛とした本殿が良い!!
写真⑤、拝殿の東より細川通薫の最初の居城・青佐山城(標高249m)
写真⑥は拝殿前の馬場で、毎年秋の例大祭の日に競馬神事が
行われている。細川通薫が領主となった後、地頭株20頭・領家株20頭
の計40頭で行われていたが現在は両加峰り各1頭によって、朝競馬、
昼競馬、留守競馬(御輿が外回りをしている時)及び競馬12懸神事の合計
4回行われ最後の競争に勝った騎手が弓を射るという全国でも大変珍しい神事だそうです。
下図は、大浦神社の概略位置図でJR山陽本線・鴨方駅の南西約5km
の瀬戸内海側にあります、阿部山から12km、金光町占見の晴明霊墳の
南西約9kmの地点です。
写真⑦は青佐山山麓から寄島を見た処です。
干拓事業が1999-3に竣工して今は陸続きになっているが以前は標高80m(左)と69mの2つのピークを持つ瀬戸内海に浮かぶ島で、写真の
右側に小さな島が三つ見えるのが三郎島です。
写真⑧、寄島の丘から三郎島を見る。
写真⑨、寄島の海岸より三郎島
写真⑩、寄島の沖(三郎島の東側)のカキ筏です。
寄島のカキは大きく美味で当地では高級品扱いになっている。
写真⑪、寄島の海岸から青佐山(249m)見る、山頂に本郭跡がある。
当日は、大型寒波の後で瀬戸内海は風もなく波も穏やかで、気温は
11℃で爽やかな時を持てました。
また、450年前に始まった競馬神事が今も地頭方と領家方に分かれて
実施されていのるには驚きました。
<ご参考>
①大浦神社は細川氏が関ヶ原合戦後、毛利氏に従い山口県長府に
移ったあと備中鴨方藩25,000石池田氏によって幕末まで尊崇された
②宝暦11年(1761)火災によって古書の大半を焼失した。
③幕末の文政7年(1842)時点では近隣11ケ村の氏神だったが 現在では
浅口市寄島町、浅口郡里庄町および笠岡市大島中が氏子
④浅口市は2006年浅口郡の鴨方町寄島町金光町が合併して成立した
<.参考資料>
大浦神社由緒