JR山陽本線の三原市本郷駅の北8kmの所に臨済宗仏通寺派大本山・御許山仏通寺があります。
應永4年(1397)安芸国沼田郡高山城主の小早川氏の第9代当主の小早川春平が愚中周及禅師を開山として創建した。
写真①は、参道の杉並木と門前の茶屋の座席
写真②は、杉並木の先の石灯籠の参道
写真③は、巨蟒橋(きょもう=大蛇) の前の崑崗(こんこう)池の鯉、当日は他の参拝者も無く、近づくとすぐ集まってきました。
下図は、仏通寺の位置の概略図です。
安芸国豊田郡高坂村許山(現・三原市高坂町許山)にあり、寺の前を仏通寺川が流れている。
写真④、門前を流れる活龍水(仏通寺川上流)
写真⑤、活龍川の手前より法堂方向を見る
写真⑥、活龍水に架かる巨蟒橋写真⑦、巨蟒橋を渡るとすぐ本門がある
写真⑧、本門を入ると右に鐘楼がある。
写真⑨、鐘楼側から法堂を見る。
写真⑩、法堂の西には沢山の石仏群がある。
写真⑪、活龍水の南側には開山・愚中周及禅師を祀る開山堂があり、その登りの石階段、正面奥の建物が開山堂です。
石段と杉林の中の蝉時雨(つくつくほうし)がよかった。
"木漏れ日の石段てらす せみしぐれ" おそまつ
写真⑫、開山堂のすぐ横にある多宝塔
仏通寺は、三度目の訪問ですが、前回は紅葉の仏通寺、今回は新緑の仏通寺でした。
<ご参考>
1)仏通寺の名は、開山の愚中周及禅師が入元した時、佛通禅師に師事したことに由来するという。
2)應永11年(1404)に後小松院より京都五山の次位とされ紫衣を賜る。
3)嘉吉元年(1441)将軍足利義勝、文永元年(1404)には将軍足利義政の
祈願所となっている。
4)仏通寺の寺運の隆盛期には七堂伽藍の他、塔頭88、末寺は全国12ケ国に及び3,000余ケ寺があったと伝わる。 江戸期には100寺
5)仏通寺は、沼田(ぬた)小早川氏の氏寺として栄えたが江戸時代初め
福島正則が藩主となって寺領を没収されている。
6)その後、浅野長晟から寺領500石を給され浅野氏の庇護をうけた。
7)仏通寺の法系は、現在の管長まで205世の歴史をもつている。
8)安芸国沼田郡は、沼田郷、真良郷など7郷あったが鎌倉時代後期に
安芸国豊田郡に編入されている。
<参考資料>
現地の説明板
仏通寺発行、大本山佛通寺誌