小田郡矢掛本陣から旧山陽道を4Km東に行くと吉備真備公園と更に4Km東にまきび公園などがある。
付近の関係位置は下図のとおり。
吉備真備は、下級官僚(正7位上)下道圀勝の子として695年に生まれ勉学に励み22才の時、入唐学生に選ばれて
帰国後(33)橘 諸兄のブレーンとして、途中藤原仲麻呂により九州大宰府に左遷されるがその後、遣唐副使として
二度目の入唐後、71才の時に従2位右大臣となった人物である。
吉備真備公園にある写真①吉備真備像、写真②公園広場、写真③は吉備真備宮
写真①吉備真備像
写真②公園広場
写真③吉備真備宮
写真④は吉備真備が晩年故郷に戻り、父祖を偲んでこの公園の前を流れる小田川の対岸の大岩の上で
琴を奏でたという琴弾岩がある。
今でも秋の名月の日に弾琴祭が毎年開催されているという。
写真④琴弾岩
この小田川は、この後川幅を広げながら悠々と流れ高梁川に合流して瀬戸内海に灌ぐ。
写真⑤
この琴弾岩から旧山陽道を4Km東の所に吉備真備の生誕地と云われる下道郡箭田の「まきび公園」に至る。
写真⑥まきび公園、写真⑦は「まきび記念館」の遣唐使船の1/10の模型、写真⑧は吉備真備が発明したと
伝わる「カタカナ」の記念碑、写真⑨は吉備真備の菩提寺・吉備寺、写真⑩は吉備寺の南側の丘にある
真備の墳墓。
写真⑥まきび公園
写真⑦遣唐使船
写真⑧カタカナ
写真⑨吉備寺
写真⑩墳墓
「まきび公園」の東北500mの所に吉備真備の産湯の井戸⑪と吉備氏の館跡の碑がある。
写真⑪産湯井戸
吉備氏の館跡
真備町は、江戸時代は岡田藩伊東氏1万石の領地だったが、昭和27年に吉備郡(江戸時代は下道郡)
の箭田町、薗村、呉妹村、二万村、大備村が合併した時に吉備真備に因んで町名を「真備」としたそうだ。
現在は、広域合併で岡山県倉敷市真備町になっている。
写真⑬は真備町の中心の箭田(やた)にある旧山陽道の一里塚の記念碑。
写真⑬一里塚
<メモ> 吉備真備の略歴
① 30才で唐より帰国ご橘諸兄の政策ブレーンとなる
② 41才 従4位下春宮大夫
③ 51才 従4位上右京太夫
④ 55才 筑前守に左遷される、この時期に京の下級武官が大宰府へ派遣されて真備より「孫子」を学んだと
「続日本紀」に記されていると云われる
⑤ 57才 遣唐副使
⑥ 59才 帰国して正4位下 太宰大弐
⑦ 69才 造東大寺長官、 藤原仲麻呂追討の功により従3位 参議、中衛大将(後の近衛大将)
⑧ 71才 中納言、大納言を経て従2位右大臣、兼中衛大将
⑨ 81才 775年没
資料、真備観光ガイド、現地説明板、岡山県の歴史散歩(山川出版社)