宮川町 高見医院 | クラクラ倉吉 目が回りますね

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京都市在住の元倉吉市民です。いつに間にか大きく変貌してしまった生まれ故郷を、覚えているうちに記録しておきたいおっさんブログ(^^♪

 ボクの母親方の祖父が亡くなったのが昭和45年でした。事故で寝たきりになっていたのですが内科的な疾患もあったようで、あるお医者さんが月に一回程度往診に来てくださっておりました。

 当時のボクは小学1年生またはそれ以前の保育園児でしたので、細かなことは記憶になかったのですが、往診に来られた先生のことはなんとなく覚えておりました。

 宮川町の大前タイヤさんの向かいにあった「高見医院」の高見先生です。祖父の死亡の確認および宣告をしていただいたのが高見先生で最後までお世話になりました。

 

 このたび高見先生のご親族の方より貴重なお写真をご提供頂きましたので公開させていただきます。

 

 

 昭和56年当時の高見医院さんの写真です。近所には同級生の家も多くあって、小学生時代から何度もこの前を通りました。母や祖母から祖父がお世話になった先生だと聞かされていましたから、前を通り看板を見るたびに祖父を思い出したものです。

 

 往診においでになった先生の印象は、ずっと今までご高齢の先生だと思っていましたが、その当時のご年齢は50代半ばでいらっしゃったそうで、幼少期の記憶はあてにならないものだと改めて感じたものですが、正確な当時のお歳がわかると、なんと完全に忘れていたはずの往診の様子を少しばかり思い出したのです。

 

 玄関から室内に入ってこられた様子、診療かばん、寝たきりの祖父に聴診器を当てておられるお姿、そして自信がないのですがもしかしたらボクの妹の往診にも来ていただいたような気が。

 ご親族の方から当時の先生の年齢を教えていただけなかったら、この記憶の引き出しは絶対に開かなかった可能性があります。

 

出典グーグルマップ

 

 現在の様子ですが大前タイヤさんも高見医院さんも見当たりません。大前タイヤさんは駄経寺町に移転され、高見医院さんは北栄町でご活躍になっておられるそうです。

 

出典グーグルマップ

 

出典 国土地理院ウェブサイト

 

出典グーグルマップ

 

 上が現在、下が昭和49年です。ずいぶんとこのあたりも変わりましたが、ボクは昭和57年以降は倉吉に住んでいなかったので、目をつぶれば下の写真の街並みが目に浮かびます。荒神町から砂利道だった玉川沿いの道を歩き、高見医院さんのところで角を曲がり、住吉神社の方へ遊びに行ったり、反対側に曲がってスイコーや東中の方へ行ったり。懐かしいです。

 

 貴重な写真を本当にありがとうございました。