【ブックレビュー】国境の南、太陽の西 - 村上春樹 | 止揚。(旅ブロその他)

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ジャズ喫茶を2店舗経営している30代の主人公。というと村上本人と重なる経歴なわけですが、あくまでフィクション。

先日「田中慎弥・完全犯罪の恋」のレビューをしたけれども、そちらも作者本人の経歴と限りなく重なるがあくまでもフィクション。

作家になったことがないので分からないが自分の人生の中で経験してきたことを主人公の人生に反映させる(一部分でも)というのは作家にとってはやりやすいのかな。完全に自分の人生の中で経験したこともない、関係を持ったこともない縁もゆかりもない設定であれば、それはかなり想像力を試される作業なのかと。個人的な想像力だけではなくて、あらかじめの取材なり準備なりがないと、さすがに何の前提知識もなく思い付きででっちあげた主人公像では読者も共感をしないだろうし。

 

内容としては、簡単に言うと、不倫する男の小説です。

島本さんという小学校の同級生と大人になって再開し、妻子がいながら北陸や箱根へ連れまわして、寝て、最後は何事もなかったかのように妻と和解する話です。

物語に引き込まれている間はひとつひとつのディティールに思いを至すし感情移入もするが、冷静に考えるとこれはただの浮気癖のある汚い男の言い訳の物語だよな、と、個人的には解釈せざるを得ないというか。

 

世の中にいる不倫をしている男性の胸中も実は同じようなものなのかもしれません。私は既婚者ですがこのような浮気や不倫というものを経験したことがありませんので、子供のころから抱いていた「不倫」「浮気」というものを、要は字の如く”倫に不らず”という汚いイメージとして考えています。

 

たぶん作者自身も、この主人公自身もそのことを切実に理解はしているんだろうなとは思うけど、現実に目の前に巻き起こる事象としての”不倫”というのを村上春樹的に描くとこういうことになるんだなと思った。ちなみに作中には”不倫”という言葉は一切出てきません。ただ淡々と、

 

”いとこと寝た”

”島本さんと寝た”

 

というのがさも夜寝る前に歯磨きをするくらいのノリで粛々と実行されるのみ。

 

しかしながら30代で妻子持ちで傍らで内緒で小学校の同級生と寝る、というのは一般的な社会通念上何をどう隠そう不倫以外の何物でもないでしょう。

 

それからイズミという高校の同級生も登場するが、ストーリー的には冒頭に小学校の同級生として登場する島本さんのくだりと、後半に出てくる妻・有紀子の間の中間に差し込まれるストーリーで、このイズミという人物が何を意味するのかよく分からなかったな。

 

高校時代にイズミと服越しに寝て(イズミはそういう接触に対してじっくり時間をかけないといけない性格の人物らしいので)、しかしその合間にそのイズミの従妹の大学生と寝て、イズミがそのことを知って縁が切れ、後年そのイズミは豊橋で廃人のような人間になってしまう、ということらしいが、イズミが豊橋で廃人になってしまうこととこの主人公のハジメとの間の浮気騒動は明らかに関係があるように思われるが、結局この意味深な展開の中身を回収(要は伏線回収)せず放っぽり投げて物語が終わってしまうところには、ちょっと納得しがたい部分があるかな。

 

この元恋人のイズミという高校の同級生のくだりは実は存在しなかったとしても、島本さんと有紀子と主人公のハジメという3つの軸で物語は完結するように思えてならない。完全にイズミのくだりやイズミという人物は物語の核心と関係なく宙ぶらりんになってしまっている。

 

強いて言うならばこのハジメという主人公が、30代で同級生と不倫することの以前にも高校時代から、根っからの”浮気性”のある人物だということを補足・強化しているという効果には寄与していると思う。

主人公ハジメの汚い部分・どうしようもないろくでなし、という点を補強している。

 

とはいえ結局最終幕で語られるハジメの「僕は何かに追われて生きている。僕には資格がない」というような話も、浮気性の自分を許してくれ、という言い訳にしか機能していないように感じられますね。

 

当方があまりに純朴な青少年だからそういうふうに感じるのかもしれませんし、世の30代の男性方からすれば、これくらいの経験は誰でもしているんだよ、ハジメの気持ちも分かってあげなよ、というかもしれない。

 

でも浮気や不倫というものを汚いもの、罪悪感を感じるべきもの、という社会通念がなかったとして、この小説を完全にゼロベースでクリアな頭で読んだとしたら、もしかしたら完全に主人公に感情移入をし、のめりこんでしまえるかもしれないし、イズミと付き合いながらその従妹と脳みそが溶けるくらいセックスをして彼女を傷つけたり、有紀子と子供がいる傍らでバーにやってきた同級生の島本さんと石川に旅行したり箱根の別荘でセックスをするということが、あくまで自然発生的な出来事なのだと、主人公も元々私には資格がない云々という弱い一面があるしそのことを主人公自身も自覚しているから、ま、そういうこともあるっしょ、というふうにうっかり思い込んでしまうかもしれない。

 

村上春樹という小説家の書く文章というのはそれくらいの人の心にじんわり忍び込んで人を納得させてしまうくらいの病的な効果をもたらすものなのだとつくづく思わされました。