人生の岐路に立っている…かもしれない。
30代で社会人としてかれこれ10年以上働いているので、その中で紆余曲折はありましたが、今回も同様にあるひとつの岐路に立っている。
人間関係による傷病休職中で(あまり詳しく書くと面が割れるのでこれだけにしときます)現職に復職するか、現職以外の社内の別の部署へ異動させてもらうか、実家の近くの会社へ転職して引っ越すか。大きくこの3つの選択肢。
それぞれ一長一短がある。だから何を実現したいかというよりはどこで妥協するのかということになってくる。
結局どの道を選ぶにしても個人の価値観の問題になってくる。
自分がいちばん大切にしたいものは何なのか。
例えば住む場所をいちばん大切にする、ということであれば、住み心地の良いエリアへ引っ越すのがいい。
ただ弊害もいろいろ出てくるので(嫁がいる&引っ越し費用&そもそも引っ越し先に仕事があるのか等)そこも見極めないといけない。
自分の価値観の中で職業選択における大切な要素を羅列し優先順位をつけて、その上位のものを採用する。
しかしながらどの選択肢を取るにしても何かしらのコストやリスクをはらむわけで、そのコストやリスクを引き受ける=覚悟を決めるということしかない。
覚悟を決める、ということなしには何の選択をもできない。
明後日上司と面談をするが、そこまでには自分のなかで決着をつけておかなければならない。
復職するには診断書が必要なので、現職復帰なら所定の診断書料金が発生してくる。目先の金とは言えあなどれない。
何が何でも現職でなければならないのか、というと、そこまでの情熱があるわけでもなく、かといって完全に諦められるわけでもない。
人は何かについて常に白黒はっきりしていなければならない、ということはないと私は思っているが、にっちもさっちもとにかく白黒はっきりしないといけない場面というのは当然存在する。今回はそれに該当する。
とりわけビジネスの場面においては、報告・連絡・相談のなかで、自分の意志は何なのか、契約していた仕事が完了しているのかいないのか、いないのならいつまでに片をつけて、そのために必要な物資があるのか、ないなら費用をどう捻出して…
上司でもクライアントでも、こういうことを常に流れ作業のように片付け続けなければ仕事になんないのだ。
けれどもかといって、例えば原発問題について、再稼働させる必要があるのかないのか、などという議論に、電力会社でも原発の地元自治体でもない一般人が、白黒はっきりつけていないといけないのか、といえば決してそんなことはない。
何かの意思決定に関わる当事者でなければ、必ずしも態度をはっきりしている必要はない。中途半端でもいいのだ。
むしろこういう抽象的なはなしは態度を中ぶらりんにしていた方が頭を柔軟に働かせることができる。
話が脱線したがとにかく今は岐路に立っております。
前述で人生の岐路と書いたが、それはちょっと大げさな気がするので、単に岐路と呼ぶことにします。
明日は自宅へ留まり、思考を整理しようかと思います。